第88話 白羊宮
イザヤたちが戦場に身を投じて姿が見えなくなった後、グリフォンは少し離れた茂みに着陸して僕らを降ろしてくれた。
そして、グリフォンの全身が光に包まれて魔境へと還っていくのであった――。
いわゆるひとつのギリギリセーフですね。
『あと少し遅かったらミートソースになっているところだったよ』って僕は震えながらマミーに言ったんだ。そしたらマミーはこう答えたさ。『パスタを茹でる準備をしていたのに残念だわ』ってね! Hahahaha! lol!!
……お後がよろしいようで。
アメリカンジョークっぽく愉快に解説する僕の膝は、がくがくと笑っている。もう大爆笑だ。面白くてじゃない、恐怖の余韻である。
ラウラも地に足を付けると同時に腰がくだけて、へたり込んでしまった。彼女はしばらく動けそうにない。
「わたしたちはどうするの?」
アルトは言った。さすが自己浮遊できるだけあって余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)だ。
「そうだな、これだけ混戦だと僕の出番は薄そうだ。イザヤさんたちの邪魔にならないように、戦線から外れた魔物を狙って撃っていくしかないかな」
「わ、私はあそこへ行ってもいいか?」
ラウラは額の汗を拭って立ち上がった。ふらつく彼女は、まだ少し気分が悪そうだ。
「構わないけど、大丈夫か?」
「うむ、地上に降りたから元気になってきた」
「……てか、なんかウズウズしてる?」
「ああ、もっと技を磨きたい。かの英雄《極刀》オミ・ミズチ殿から学んだ技を実践するまたとない機会だ。ユウと並び立つためにも、少しでも経験を積みたいのだ」
仮面には《極刀》の意識が宿っているというが、僕が付けても反応はなかった。起動したときの話を聞く限り、マジックアイテムの類なのだろう。
信じ難い話ではあるが、オミ・ミズチから直々に指導を受けているラウラの剣術の腕前は日々上達している。
それにしてもラウラは、僕と並び立ちたいとかそんなことを考えていたのか。もう十分強い気がするけど、すでにアイザムでもリタニアス王国でも彼女に敵う者はいないはず。
「わかった。この距離なら狙撃は僕ひとりでも大丈夫だから、ラウラはイザヤさんに加勢してくれ」
ラウラはこくりとうなずいた。
「わたしはわたしは?」
「アルトは上空から全体の戦況把握を頼む」
「わかったわ!」
「それぞれ無線機を持って行ってくれ。なにか異常があればすぐに知らせろ」
「了解!」
「了解した」
ラウラが走り出し、アルトは再び大空に舞い上がる。
「さてと」
彼女たちを見送った僕は小高い丘の緩やかな斜面に移動して腰を降ろした。カルロス・ハンコックスタイルで立てた膝の上に腕を乗せて、腕の上にヘカートを置く。
スコープを取り付けたヘカートで戦場の様子をうかがうと、二百メートルほど離れた戦場では、大型のミノタウロスが空にぶっ飛んでいた。
やったのはイザヤだ。彼は魔槍グングニルの刃で魔物を突き、そのまま反対側の柄で別の魔物を打ち上げる。
打ち上げった魔物たちは、ノエルの火炎魔法で消し炭にされていく。ふたりの連携が完璧過ぎる。しかも襲いかかってくる騎士団の攻撃を避けながら、それをやってのけている。
わざわざ魔物の体を舞い上げているのは、騎士たちをノエルの魔法の巻き添えにさせないためだろう。
「ふたりともやっぱ超つえー……」
そんな戦場にラウラが斬り込んでいく。
剣技《朧月夜》で襲い掛かってくる騎士の攻撃を掻い潜りながら、正確に魔物だけを屠る。
あの技は刃の上半分を遅延させて敵を斬ると聞いていたが、正確には任意の場所を遅延させる剣技のようだ。ラウラは刀身の真ん中でも付け根の部分でも状況に応じて自在に変化させている。
どっちにしてもあんなことできるヤツは変態だと僕は思います。まあ、女性は少し変態チックな方が好みですが……ん? んん??
――ちょっと待て……、僕はさっきなんて言った。
自分がつぶやいた心の声にとんでもない違和感を覚える。
〝襲いかかってくる騎士の攻撃を避けながら〟だと??
「ちょ……、なんだありゃ??」
よくよく観察してみると騎士団同士、魔物同士で殺し合いをしている奴らもいるではないか。
騎士たちはイザヤにもノエルにもラウラにも当然のように襲い掛かっている。
「いったい何が起こっている!?」
アルトに状況を確認させるため、無線機に触れた僕の目の前に、ひとりの女性が立っていた。
緩いウェーブのかかった淡い金色の髪、天女の羽衣のようなドレスからすらりと伸びる長い四肢、無垢で穢れのない白い素肌が薄い生地に透けている。
呼吸することも忘れてしまいそうな超絶美女だ。
「はじめまして」
慈しむように彼女は微笑んだ。
「は、はじめまして……」
「あなた様が《金牛宮》を倒した《白き死神》ですね」
「はい……」
こんな問答をしている場合じゃないのに、不思議と彼女を拒むことができない。
「あなたは、女神さまですか?」
「わたくしが女神に見えているのですね?」
「それ以外の言葉が見つかりません……。それ以外には考えられません……」
「それを聞いて安心しました。あなた様がそう視えているなら、すでに《超級幻惑魔法》の術中に嵌っている証拠です」
「……術中?」
なんだろう、単語が頭に入ってきても意味が理解できない。ぼうっとして思考が遮られる。
彼女の指先が僕の顎に触れた。彼女に見つめられた僕は動けない。……違う。動こうとする意志が消えていくのだ。
「わたくしは魔王様配下ゾディアックがひとり、《白羊宮》カルデナ・アリエスと申します」
「ゾディアック……、カルデナ……アリエス……」
なんだっけ……、どこかで聞いたことがある……。知っているはずなのに、何も思い出せない。考えられない。
「ええ、その通りです。わたくしはあなた様のカルデナ」
「僕のカルデナ……」
そう言われたことが、天に舞い上がるほど嬉しかった。彼女の瞳に見つめられるだけで幸せになる。
「魔王様はひどくあなた様にご執心であります。今後、脅威になると感じておられるようです。なので、あなた様が来てくださるのを心よりお待ちしておりました。これはあなた様を誘き出すための罠、彼らは最初から捨て駒なのです」
「僕を待っていてくれたんですね……」
カルデナは微笑んでくれた、僕だけのために。
「あなた様は強力な魔法を行使すると伺っております。これからはわたくしの右腕として、わたくしだけのために働いてもらえますか?」
「はい、もちろんです」
そうあることが正しいのだ。
疑うことは何もない。
僕のすべては彼女のため、彼女のすべては僕のために。
カルデナはうなずた。
「それではあなた様にお願いがございます。あそこに蠢く者たちすべてを殲滅してください、このわたくしのために」
彼女の白い指先が砦を示す。
「わかりました」
僕はヘカートを構えてスコープを覗き込んだ。
あそこで蠢く者たちの命をすべて――、カルデナに捧げるために。




