第87話 予測不可
幻獣グリフォンは僕らを背中に乗せると翼を羽ばたかせて一気に上昇、大空に舞い上がった。
瞬く間にアイザムの街が遠ざかっていく。港に停泊する大型商業船が米粒みたいだ。
飛翔すると同時にラウラは僕の腕にしがみついてきた。
どうやら彼女は高い所が苦手なようだ。がくがくと全身を震わせている。思い返せばリタニアス王国をふたりで観光したとき、時計台に登るのを嫌がっていて気がする。
僕は彼女の肩を引き寄せて抱いた。さり気なくオッパイの感触をここぞとばかりに味わってみる。役得というやつである。
ああ、たまにこれくらいか弱くなってくれるのもいいなぁ――、なんて、余裕ぶっこいていたのも束の間、グリフォンが左に旋回を始めた。水平線が急速に傾いていく。
「うおっ!?」
「きゃー---------ッ!」
重力に引っ張られて体がズリ落ちそうになった僕は慌てて灰色の体毛を掴んだ。
危うく転がり落ちるところだった。
あらためて下を見ると、その高さに僕のゴールデンボウルはキュっと縮み上がる。
シートベルトなんてないから常にグリフォンの体にしがみ付いていなければならない。もし滑り落ちたり振り落とさりでもしたら真っ逆さまに落ちて、潰れたトマトの完成だ。
幻獣の背中に乗って空を舞うなんてファンタジックなイベントにウキウキしていたけど、これは想像以上にデンジャラスだ。
ちなみにさっきの悲鳴はアルトではなく、ラウラである。
うむ、なるべく景色を見ないようにして、イザヤと親交を深めることにしよう。
「イザヤさん、こういう召喚獣ってどうやって手に入れるんですか?」
僕は風を切って飛翔するグリフォンの背中のうえでイザヤにたずねた。
「召喚獣として呼び寄せるには対象と契約するか、服従させるかのどっちかだべ。こいつは魔境にいたときにとっ捕まえて手懐けたべさ。他にもケルベロスとかベヒモスとかも手懐てきたべな」
「おお……」
さすが準勇者、スケールがでかい。ひょっとしてイザヤの本来のジョブはビーストテイマーなのか?
「さて、着くまでは体力を温存しておくべよ」
イザヤはグリフォンの背中にゴロリと寝転んだ。
ノエルはというとグリフォンの首の付け根に座っている。まるで操縦しているみたいだ。
「ノエル、この辺りは漸竜王の縄張りに近い。刺激しないようにするべな」
「わかってる……」
おお、初めて喋った……、声も中性的だな。
それにしても速い。
山も谷も川も超えてあっという間にアルゼリオン帝国領フィテェル公国の上空に入っている。
このスピードなら今日中にコウレス平原に到着できる。
「こんな移動手段があるなら、どうして馬に乗っていたんですか?」
「こいつを呼び出して使役するには時間制限があるべ。おめえらと予定通りアイザムで落ち合えなかったときのことを考えて温存しておいたべな。ところで現地の状況についてはどこまで聞いているべさ?」
「えっと、突如出現した魔王軍がなんだか砦を築き始めて、その間に帝国と聖都の騎士団が包囲したってぐらいです」
「んだな。正確には魔王軍三千に対して両騎士団一万が砦をとり囲み、編成を完了させた両正規軍合わせて八万の兵がコウレス平原に向かって進軍中だべ」
「さすがにその戦力差なら余裕ですよね?」
「んだんだ。聖都騎士団にも帝国騎士団にもオリハルコン級冒険者に相当する騎士がごろごろいるべ。オラの知り合いの猛者もいるべよ。しっかし、魔境に渡ったオラたちからすれば、それでも何が起こるかわかんねぇってのが本音だべさ」
「そういえば、どうしてイザヤさんたちは遠く離れた場所のことなのに、そんなに正確な情報を把握しているんですか?」
「それはだな、ノエルが魔導ギルドに入っているからだべ。決まった時間に各地の魔導ギルドから最新の情報が使い魔を介して伝わってくるべよ」
「へぇ……なるほど」
魔導ギルドか……、僕も入った方がいいのかな。今更って感じはするけど。
「そういやユウ、勇者パーティには会えたべか? アイザムに立ち寄ったって聞いたべ」
「はい、一日だけでしたけど色々と話せて良かったです。雷帝にも、逢えましたし……」
「そっか、オラは雷帝を見送ってやることができなかったべ……。心残りだべなぁ」
寝そべっていたイザヤは起き上がって胡坐を掻いた。
「あれだけ強い男が、たったひとりのゾディアックに負けたなんて今でも信じられねえ」
そう言ってイザヤは曇り空を見上げた。
「次の勇者はイザヤさんなんですよね? 三人の準勇者の中で一番強いってグランジスタさんが言っていましたよ」
「どうだかな、正直どうでもいいべ。勇者なんて称号がなくてもオラがやることは変わらねえべ。それよりもグランジスタのおっさんに認められたことの方が百倍うれしいべな」
イザヤはニッと歯を見せて笑ったそのとき、「見えてきよ」
前方を見つめるノエルが言った。
グリフォンの嘴が示す先に、魔王軍が突貫で築いた砦が見えてきた。
砦と言っても見張り櫓を中心に塹壕を掘って、柵で囲っただけのチープな代物だ。
「うひゃー、うじゃうじゃいるべな。トロールにグールにスケルトン、お? ミノタウロスもいるべ、あの中じゃあいつが一番厄介だべな」
「いや……、なんか様子が変ですよ」
砦を囲んでいるはずの騎士団の姿が見えない。バリケードの中で蠢いているのは魔物だけではなかった。
すでに戦闘が始まっているのだ。
帝国騎士団の真紅のマント、聖都騎士団の群青のマント、そして魔物たちが砦の中で入り乱れてる。
「なんだよこれ……。帝国と聖都の正規軍が到着するまで待つんじゃなかったのかよ……」
グリフォンが砦の上空で旋回を始めた。直下では乱戦状態が続いている。
「どうしますか?」
僕はイザヤを見た。彼はグリフォンの背に立ち、曇りのない真っ直ぐな眼で前を向く。
「行くっきゃねーべ! やることは単純だ! 魔物を全部ぶっ倒しちまえばいいべさ!」
魔槍グングニルを片手に放たれた矢のように走り出したイザヤはグリフォンの背中から飛び降りた。ノエルも彼の後を追う。
「へ? ――……うぇぇぇぇぇぇぇっぇえええええっ!? ちょっ!? ちょちょちょっと待ってくださいよ!!」
僕は叫んだ。だがもう遅い。彼らの姿は乱戦の中へと消えて見えなくなった。
グリフォンが徐々に高度を下げていたといえ、地上までの高さは三十メートルはある。この高さから迷いなく飛び降りるなんて、どうかしてるとしか言えない。
僕にあんな真似できる訳がない。
「あの……グ、グリフォンさん……、急に召喚が解けて消えたりしませんよね? で、できれば……、どこかに降ろしてもらえたりします?」
グリフォンは僕の呼びかけに無反応だった。ただ前方を向いたまま翼を羽ばたかせた。




