第84話 魔導の極意
「別格……ですか」
「ああ、だから敵が《双児宮》だと分かったら絶対に近づくな。見つかる前に逃げろ」
「《双児宮》は私でさえ知らない魔法を使う。おそらくそれは時間と空間に干渉する類、ひょっとしたら魔王より強いかもしれない」
「……じょ、冗談ですよね」
アナスタシアは首を振る。
「実はライゼンがまだ準勇者のとき、偶発的だけど魔王と一度だけ戦闘になったことがある。そのときすでにほぼ互角に渡り合っていたから、《双児宮》がいなければ今頃ライゼンが魔王を倒していた」
「ああ、同感だ。俺もライゼンが魔王に負けるところなんて想像できない。だが、あいつには勝てるイメージが持てない。いいか、ライゼンの孫、燃えるような紅い髪と瞳をした少女のようなナリで、浅黒い肌をした魔人――」
「それから大きな三叉のピッチフォークのような杖を持っていた」
グランジスタの後を追うようにアナスタシアが付け加えた。
「ピッチフォーク?」
「刃先が湾曲した農具のことだ。藁を持ち上げたりするでかいフォーク」
グランジスタが答えた。
ああ、海の神様ポセイドンが持っているトライデントみたいなヤツか。
「そいつが《双児宮》デリアル・ジェミニだ。繰り返すが絶対に近づくなよ。どうしても戦うってならイザヤとデスピア、ふたりの準勇者が揃うまで待つんだ」
「わ、わかりました」
それから、彼らと会話しているうちにあっと言う間に時間が過ぎて日が暮れていた。
グランジスタたちはそのままアイザムに泊っていくことになり、ギルドの建物は翌日の朝まで勇者一行の貸し切りになった。
◇◇◇
二階にある応接室の一室に、雷帝ライディンの遺体が運び込まれた。
僕とラウラも今夜はここに泊まる。さっき別の部屋に寝具を持ち込んで準備万端だ。
そして、みんなが寝静まった深夜、僕はラウラに気付かれないように部屋を出た。
雷帝が眠る応接室のドアを開けて彼の横に立つ。
壮年期の祖父の顔は写真でしか観たことがない。
シワがない代わりにじいちゃんの顔は傷だらけだった。いくつもの切り傷が刻まれている。上半身を覆うシーツを剥ぎ取り、鎧の金具を外して彼の体を見ると、至るところに深い刺し傷があった。右手は肘から下、左足は膝から下がなく、心臓は貫かれて脇腹ごと内蔵が抉られている。
「……なんだよ、じいちゃん……ボロボロじゃないか……。こんなになってまで戦っていたのかよ……」
僕はじいちゃんの胸に触れる。当然ながら心音はない。皮膚はアナスタシアの魔法の影響で氷のように冷たかった。
自然と涙がこぼれ落ちていく。
「すまない。可能な限り復元に努めたのだが、それが限界だった」
振り返るとアナスタシアがドアの前に立っていた。僕は慌てて涙を拭う。
「いえ……、そんな……、アナスタシアさんたちが生きて戻ってきただけでもすごいのに、じいちゃんの遺体を運んでくれたんですから、これ以上は望めません」
「ライゼンの孫、お前の顔を、お前の眼を、私によく見せてくれ」
「はい」
僕はアナスタシアの視線の高さに合わせてしゃがんだ。
アナスタシアは両手で僕の頬を優しく包み、僕の眼を見つめた。彼女の美しい翡翠色の瞳に僕の顔が映り込む。
「なるほど、確かにライゼンと同じ眼をしている。同じ輝きを内包している良い瞳の色だ」
「……そんな、僕はとてもライゼンみたいにはなれません」
頬から手を離してアナスタシアは首を振った。
「そんなことはないよ、キミは強くなる。私には分かるんだ」
「あの……、こんなことを聞いていいのか分からないけれど、ライゼンとアナスタシアさんは恋人同士だったんですか?」
「なぜそう思う?」
「いえ……、なんとなくそう思っただけです」
ふふ、とアナスタシアは微笑んだ。どっちとも取れる含みのある笑みだ。
「その答えはキミの想像に任せるよ。それとすまないが、ライゼンの聖剣エイジスは諸般の事情で私が預からせてもらう」
「僕に許可を求める必要はありませんよ。ましてや強力な武器なら相応しい人が使うべきです」
「いつか必要になるときが来るさ。ライゼンの孫、左手を……」
「?」
アナスタシアに言われるがまま左手を差し出した。彼女は僕の掌にナイフの刃を当ててスッと引いた。血液が線状に染み出て、遅れて熱感と疼痛が現れる。
彼女は僕にしたのと同様に、自分の掌に刃を当てて引いた。彼女の皮膚が切れて血が滲んでいく。
「私の掌と合わせて握れ」
彼女は腕を伸ばして自傷した掌を僕に向けた。
言われたとおりに僕は彼女と手を合わせ、互いの指を絡ませて握りしめる。
重ねた手の内側は次第に熱を帯び始め、淡い光が指の隙間から漏れていく。
「これは?」
「契だ。キミの魂と聖剣エイジスをリンクさせた。これで必要なときに聖剣を召喚することができる」
手を離すと傷口が塞がっていた。痛みもない。
「最後にライゼンの孫、これが今生の別れとなるだろう。師弟関係という訳ではないが、キミに《魔導の極意》を伝授しておく」
「魔導の極意、ですか……」
僕の喉がゴクリと鳴る。
「ああ、心して聞け」
「は、はい」
「囚われるな、縛られるな、我らは自由である」
「……」
僕は続きを待った。
「……」
アナスタシアの言葉はそれ以上続かなかった。
「……え?」
「以上だ」
「いまのが極意?」
「その通り」
むふふん、とアナスタシアは満足気に平らな胸を張る。
「その意味を正しく理解したとき、キミに敵う者はいない」
「よく分かりませんが……わ、分かりました」
「かく言う私も未だその境地に至れていないのだがな。キミならきっと超えられるはずだ」
そう言ってアナスタシアは微笑んだ。
翌朝、再びリタニアス王国の騎士団を先頭にしてパレードの隊列が組まれた。
見送るために沿道に出ていた僕の前にグランジスタが立つ。
「正直いうとな、お前がライゼンの孫だなんてまだ理解できてねぇんだ。だけど、お前がライゼンの孫っていうのは嘘じゃないと思うぜ。だからよ……」
彼は「死ぬなよ、また会おうぜ。今度はお前の冒険譚を聞かせろ」と硬く握りしめた拳で僕の胸を叩いた。




