第77話 機動兵器
ラウラ視点です。
「ガァッ!!」
ラウラのダマスカスブレードがゴブリンロードの心臓を貫いた。
胸に空いた穴から鮮血が吹き出し、視界を紅く染める。
ラウラの全身は血にまみれていた。白亜だった仮面も真紅に染まっている。
そのほとんどが魔物の返り血だ。だが彼女も無傷ではない。深手ではないにしろ手足にいくつも傷を負っている。
魔物は全方位から襲い掛かってくる。倒しても倒しても魔法陣から無限に湧き上がってくる。
肩で息をするのもままならないラウラの肉体は、限界をとうに超えていた。
――重い……腕が上がらない。脚が動かない。剣が手から滑り落ちてしまいそうになる。握力もすでに限界だ。
彼女がどんな状態だろうと襲い来る敵は止まらない。思考する前に体が反射的に動き、ラウラはコボルトの首を二匹まとめて跳ねた。
他の者たちはまだ生きているのか?
時折、悲鳴と怒号が魔物たちの中から聞こえてくる。
誰かを助けている余裕など皆無、自分を守るだけで精一杯だ。
疲弊していく身体、擦り切れていく精神。
目の前の敵をただ倒すことだけを考えて剣を振っていたラウラだったが、豪雨のような攻撃が止んだ僅かな間隙で、周囲を見てしまった。
霞んだ視界に屠ってきた魔物の死骸が映る。だが、その数を超える魔物たちが蠢いていた。
ラウラをとり囲み、にじり寄る。この地獄のような時間が始まったときから何ひとつ変わっていない。それどころか悪化している。
すべてが無駄だったのだ。いくら斬っても終りはない。死ぬまで終わらない。足掻いたところで、結果は変わらない。
絶望的な光景にラウラの心は遂に折れてしまった。
(わたしはここで死ぬのだな……)
心に支えだった黒髪の少年の顔が脳裏に浮かぶ。
(ユウ……。もう一度、あの髪を撫でて、頬を寄せ、口づけをしたかった……。愛する人が出来て、彼を愛することが出来て、わたしは幸せだった……)
死を覚悟したラウラの仮面の内側で小さな灯火が瞬いた。灯火は流れるように動き出して光の文字を刻んでいく。
【The signal detection.】
視界の中央に不可思議な文字が浮かび上がる。
「なんだこの文字は? ……うぐっ!?」
脳天に釘を刺されたような痛みが走る。
「うがぁぁぁぁっぁぁぁぁッ!」
【Install start.】
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(こ、これは……ッ!?)
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【Complete】
【Set up start.】
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――なんだ……? なんだこれは……やめろ、わたしの頭の中から出て行け!!
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【Complete】
【Program start.】
『なんつーかよ、さっきから見ていたが、まるでなっちゃいねぇな。そんなに強く柄を握ればすぐにバテちまうぞ』
男の声が直接、頭に響いてくる。
「だ、誰だ……」
『おまえさん、それでも武士か?』
やめろ……頭が痛いっ! 割れそうだ……! やめろっ、やめろ!?
『力を抜いて、オレ様を受け入れろ。オレ様が剣の使い方ってやつを教えてやる』
激痛から逃れたい一心でラウラは力を抜いた。
海で溺れたときのように、もがくのではなく波に身を委ねるように脱力すると、ふっと痛みが消えた。
「こ、これは……」
次の瞬間、視界に映るすべてがスローモーションになっていた。
自分ではない誰かに体をコントロールされながら剣を振っていた。四方から襲い掛かってくる魔物たちを一太刀で薙ぎ払いながら進み、いともたやすく死体の山を築いていく。
『なんだよ、ひどく柔いなこいつら……』
男は言った。
周囲の魔物が一掃されて視界が広がる。その先にヤコブがいた。
背後にはバジリスク、今まさにヤコブに襲い掛かろうとしている。顎を広げたバジリスクの鋭い牙が迫る。助けようにもヤコブの後ろに回り込んでいる時間はない。
――ダメだ、間に合わない! この位置から斬撃を飛ばせばヤコブの身体ごと切ってしまう!
『よくみておけ、刀ってのはこうやって振るんだ』
自分の意思とは無関係に動き出した体は一直線にヤコブの懐に潜り込み、ヤコブの身体ごとバジリスクを剣で切り裂いた。
(な、なにをする!?)
『見てみろ』
バジリスクの首が胴体からズレ落ちていく。しかしヤコブは無傷だ。魔物だけが横一文字に両断されていた。
『剣技《朧月夜》、簡単に説明すると敵だけを切る技だ』
(ど、どいうことだ? 確かに私の剣はヤコブの体を斬ったはず……)
『ああ、斬った』
(じゃあどうして?)
『神速で肉を切ると細胞が切られたことに気付かずそのままくっつくんだ』
(それでは魔物を切ったことの道理が通らないではないか)
『だから刀身の上半分だけを遅延させた。これが《朧月夜》だ。まあ、理屈はいいから体で覚えろ。おまえさん、潜在能力は高いからコツさえ掴めばできるようになる』
頭の中で妙な男と会話している間もラウラの体はずっと動き続ける。
素早く、無駄がなく、最短で、滑らかに、淀みなく敵を屠っていく。
(刀身の上半分だけを遅延? そんな技がこの世にあるなんて……)
『あん? オレ様の知り合いは出来るヤツが多かったのになぁ、ひょっとしてオレが生きていた時代と違うのか?』
(あなたの名は?)
『オレか? オレ様はオミ・ミズチだ』
(オミ・ミズチ?)
『聞いたことないか? これでも結構有名だったんだぜ。そうだな、他に時代が変わっても残ってそうなヤツといえば……、ヴァルヴォルグくらいか?』
ヴァルヴォルグだと? あの魔神ヴァルヴォルグか?
『お? オレ様に倒されたあの野郎の方が有名だとは許せんな』
(待て? 倒した、だと? ヴァルヴォルグをか?)
『ああ、そうだ』
(じゃ、じゃああなたは三英雄の……)
『三英雄? ずいぶん御大層でくすぐったい通り名だな。通り名といやぁ《極刀》なんて呼ばれたこともあったな』
(まさか……、本物の極刀なのですか?)
『さあな、そうかもしれねぇし、そうじゃないかもしれねぇ。どういう訳だか、オレ様の意識はこの仮面に閉じ込められているようだ』
(それならなぜ今まで出てこなかったのですか?)
『おまえさん、死を覚悟しただろ? どうやら〝それ〟がオレ様が目覚めるトリガーになっていたみたいだ。まったくこの仮面を造った奴は相当性格が捻じ曲がっていやがる』
――死を覚悟か……。今まで死を覚悟したことがなかった訳じゃない。エリテマでゴブリンロードに襲われたときも死を覚悟した。けれど、この仮面を付けてからはない。どんなピンチのときもユウがなんとかしてくれると私は信じて疑わなかった。
ユウと離れていた今だからこそ、皮肉にも私は死を覚悟することができ、助かったというのか。
(しかし……、魂の拘束とはなんと残酷な……)
『ああ、全くもって禁忌を畏れぬ異端の術だ。まあ、また剣技を教えてやるからよ、ちったぁは修練しておけよ。んじゃな』
「ま、待ってくださいオミ殿! まだ聞きたいことがッ!?」
頭の中でオミ・ミズチの存在が薄れていき、身体の占有権を完全に取り戻したラウラの眼前に映ったのは、綺麗に胴体を分断された魔物の死骸の山と、怯える眼で返り血に塗れた自分を見るヤコブたちの姿だった。
日曜日はお休みしますマス!




