第76話 モンスターハウス
僕が自分の影に呑み込まれそうになったそのとき、アルペジオは《無制限不覚知》を唱えた。
影は目的を見失ったかのように再び足元に戻っていく。
「な、なにが起こっているのよ……。なんで私たちの影が勝手に動いたの? あれは魔物なの……? ねぇ、一体どうなっているの?」
動揺するアルペジオの声が迷宮に虚しく反響する。
正直言って僕もパニくっている。思考停止の一歩手前だ。アルペジオの問いかけに返す余裕もない。
あの影はなんだ?
魔物?
アルペジオの魔法で影は僕らを見失った。だとしたらあの影は魔物の一種だと考えられるが、迷宮専門のヤコブとプラチナ冒険者のバリウス、ふたりの索敵を掻い潜って影に憑依できるとは思えない。
敵の魔法である可能性はないか?
いや、近くに術者の気配はなかった。魔法を行使すればハイエルフの耳が反応しているはずだ。つまり、意思を持たないなんらかの機械的なトラップが発動したと考えるのが自然……。
影に吞み込まれるあの様子は時空転移魔法と良く似ている。どこか別の場所に跳ばされた可能性が高い。
待て……、時空転移魔法と似ている?
うろ覚えだけど、ジュラル迷宮で回収した【アルデラの魔導書】の中に《転移魔法》についてまとめられた魔導書があった。目次には僕が使う時空転移魔法の他に、通常の空間転移魔法や、影を媒体とした簡易転移魔法についての記載があった気がする……。
これが正にそれではないか?
仮説に過ぎないが、この迷宮を設計したヤツがいるとすれば、それをトラップとして組み込んだのではないか……。
「まさか……みんな、今のでやられちゃったのかな……」
アルペジオの弱気な声が僕の意識を引き戻した。
「アルペジオ、さっき君が使った魔法にはどんな効果があるんだ? 詳細を教えてくれ」
「今はそんなこと教えている場合じゃないよ!」
「重要な事なんだ、教えてくれ」
僕が口調を強めるとアルペジオは小さくうなずいた。
「……うん、《無制限不覚知》は被受術者の存在を完全に消す魔法よ。その対象は姿だけじゃなくて、匂い、音や気配、あらゆる情報を遮断することができる」
「魔法にも有効か?」
「魔法を反射したり無効化はできないけど、追尾魔法には有効ね。さっきの影みたいに標的を見失う」
「そうか……。総合的に判断するとあの影は転移系の魔法だと思う」
根拠は薄いが、僕は自分にそう言い聞かせた。内心ではかなり焦っている。クールを装わなければならない。ふたりとも冷静さを失えば本当に全滅だ。
「だとしたらどこかにいるってことでしょ!? 早く探そうよ!」
「落ち着いて、僕らだけで闇雲に動いても迷うだけだ」
「じゃあどうするのさ!?」
「ハイエルフの耳で音を探ってみる。足音とか《蛇咬》の魔導士が魔力を使えばその流れを探知できると思う。意識を集中するから周囲の警戒を頼む」
アルペジオがうなずき、僕は目を閉じた。耳に意識を集中させる。
――魔力の流れ、歩く音、会話する声、なんでもいい。聞き逃すな。
――……ッザ、……ズ……。
カン……、ガン、ザシュ……。
微かに聞こえる。何かを叩く音、戦闘している? 音が発生している場所から魔法の波動を感じる。魔力はかなり乱れている。術者の焦りが魔力に乗って伝わってくる。それに聞こえてくる足音は相当な数だ……、複数の人間がそれ以上の数の何者かと戦っている。
「こっちの方向から音がする。ラウラたちは魔物と戦闘中だ」
僕は壁を指さした。
「早く助けに行こう! とにかく進むしかないよ!」
「待って」
踵を返したアルペジオの手首を僕は掴む。
「かなり距離がありそうだ。壁をぶち破って一直線に行こう。迷宮の破壊は御法度だけど、そんなこと言っている場合じゃない」
《アナザーディメンション》
時空転移魔法を発動して石壁を消失させたその先に新たな通路が現れる。しかしそこには今までいなかったゴーレムが徘徊していた。
「魔物!? ゴーレム!」
「シカトだ、襲って来たやつだけ対処しよう。進行方向にいる魔物は全部消していく」
僕はひたすら音のする方角へ進んだ。壁を消して魔物を消して一直線に進み続ける。
次第に地下へと向かっていき、戦闘音をはっきり捉え始める。間違いない。もうすぐだ。
「いま音が聞こえた! この壁の向こうだよ!」
アルペジオが声をあげた。
僕は魔法を発現させて石壁を円形にくり貫く。
「こ、これは……」
体育館ほどの空間は魔物で溢れかえっていた。モンスターハウスだ。
あの影は侵入者をこの部屋に跳ばすためのトラップたったのだ。
あちこちから斬撃音や悲鳴、雄叫びのような絶叫が聞こえてくる。
乱戦状態の中、魔物たちが群がる隙間からバリウスとタルドの姿が一瞬だけ見えた。彼らは魔物にとり囲まれて四方から攻撃を受けている。防戦一方だ。
他のヤツらの姿も確認できた。敵と味方が入り乱れている。
「くそ! これじゃあ手が出せない!」
僕の魔法では味方も一緒に転移させてしまう危険がある。一気に蹴散らしたいが、一体一体倒していくしかない。
部屋の奥の方で炎が噴き上がった。イーサンが火炎魔法を放ったのだ。
あの野郎ッ!? こんな場所で火炎魔法なんて使うんじゃねぇよ!!
「ユウ!」
アルペジオが叫んだ。3匹のコボルトがアルペジオに襲い掛かろうとしている。
「アルペジオ!?」
僕は魔法でコボルトの頭を同時に消し飛ばす。
前後左右から襲い来る魔物、倒しても倒しても魔法陣から新たな魔物が溢れていく。埒が明かない。
くそ、アルペジオを守るので手がいっぱいだ。ラウラ、無事でいてくれ……。
「うがぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁッ!!」
咆哮――、部屋の中心からだ。
それはラウラの声だった。




