第64話 ゾディアック
最小限の荷物を最短でまとめた僕らは愛馬メンデルソンとモンブランにそれぞれ騎乗して駆け出した。
馬を休憩させる以外はほぼ休むことなく移動し、同じ日にアイザムを出た冒険者たちの誰よりも早くリタニアス王国に到着したのだが、王都の跳ね橋門を前にして二の足を踏んでいる。
急ぐことで頭がいっぱいで、僕らがクリアしなければならない問題があることを失念していた。
入国審査だ。
王都を囲む壁を超えるには門を通って衛兵のチェックを受けなければならない。
以前、僕は異端者として捕まり、リタニアス王都に入ったが、僕の顔を知る衛兵は少ない。せいぜい二、三人程度だろう。
僕よりも問題なのはラウラだ。
衛兵の前で仮面を外すことになる。
かつて騎士隊長だった彼女の顔を知らない衛兵はいないはずだ。
ラウラは魔女として指名手配されている。なんとか仮面を外さずに通過しなければならない。
遅れてやってくるギルドの連中に紛れ込むことも考えていたが、しばらく様子をうかがっていると、王都の中に入っていく人より出て行く人の方が明らかに多いことに気付く。誰も彼もが大きな荷物を抱えている。
逃げ出していく民衆の波に乗じて門を潜るという半ば強引な作戦に出た僕らだったが、「アイザム冒険者ギルドから派遣された傭兵だ」と伝えるだけで衛兵から検査を受けることなく入国することができた。
想像していたよりも王都は混乱しているようだ。魔王軍が攻めてくるのだから、まあ、そりゃそうだよな……。
この国は既に緊急事態であり、リタニアスから逃げ出す者はいても好き好んで入ってくる者はほとんどいない。
国のために戦ってくれる戦士がひとりでも多く必要であり入国時の審査など、もはや不要なのだ。
傭兵には王国から滞在中の宿と飲食が提供される。今夜と明日から昼、夜の二回行われるミーティングに出席するよう告げられ、衛兵から指定された宿屋に到着した。
ラウラは居ても立っても居られずに宿を出てリタニアス城へと向かった。僕も彼女の後を追った。
今の彼女は一介の冒険者だ。王女が謁見することなど有り得ない。
城門前まで来たところで身分を明かすこともできず、ラウラは堀の外から城のバルコニーを遠目に見つめていた。
きっと王女が姿を見せるのを期待して待っているのだろう。城の窓の向こうに見えるのは慌ただしく動き回る騎士の姿だけ。
その光景をしばらく眺めて、僕らは引き返すことになった。
その夜、大聖堂に集められた冒険者たちに現在の状況が伝えられる。
魔王軍は明日の昼にはリタニアス領内に入り、早ければ明後日の明け方に戦闘が開始されると見込まれる。
敵の戦力は五千、対してこちらの戦力はリタニアス王国、クロイツ共和国、冒険者ギルド併せた連合軍三万弱。
数では圧倒しているが連合軍は籠城策を取り、さらなる援軍が到着するまで時間を稼ぐことが決まった。
そして二日後の朝、領内に入っていた魔王軍が陣形を変えて進軍を開始したとの情報がもたらされる。
僕のハイエルフの右耳は、夜明け前から魔物が地面を蹴る幾千の足音を捉えていた。一時間もすれば肉眼で視認できる距離に入るだろう。
魔王中央軍第一陣を率いているのは、魔王直轄のゾディアックに名を連ねる《金牛宮》ルファルド・トーレスだ。
ゾディアックは魔王を守護する十二の魔人からなる直参の配下たちだ。
これは勇者が死んでからしばらく経って判明したことだが、勇者は魔王に敗れたのではなく、このゾディアックに所属するひとり、《双児宮》デリアル・ジェミニに殺されたということが分った。
誤った情報が伝えられた経緯は、使い魔から伝言を預かった神官が焦って各地に『勇者が魔王に討ち取られた』と伝令を飛ばしてしまったからだ。
その後、情報が訂正されたのだが、正確な情報は逆に人々に恐怖と不安を与えた。
歴代勇者の中でも最強クラスと謡われた雷帝ですら、魔王城に到達することさえできず配下に敗れたのだ。
もはや人類に勝ち目はないと絶望し、悲観した。そんな人々を鼓舞したのが、魔境から帰還したばかりの準勇者《隕鉄》ランドフォースとそのパーティーだった。
彼らは西方大陸に戻ることもなく率先して北方大陸に留まり、北方守備軍を再編成した人界軍の指揮官として辺境の防衛に当たった。
そして進軍を開始した魔王中央軍第一陣とランドフォース率いる人界軍がローレンブルクで激突する。
戦況は一方的なものだった。
魔王軍の兵士たちは、一度攻撃を始めれば昼夜を問わずに攻めてきた。対して人間側は疲れたら休み、喉が渇けば水を飲む、腹が減れば補給する必要があり、動き続ければ意識を失ったように寝てしまう。
人界軍の兵士たちはあっという間に疲弊していった。
一年間食べなくても生きていけるワニのような種族の違いもあるだろう。だが、前線の兵士を支える後方支援と物量に歴然とした差があった。
魔王軍は回復魔法のみを使う専門の魔導士を引き連れているうえに、傷を癒すポーションを大量に保有している。
西方大陸では最低でも金貨一枚はする高価なポーションを魔王軍は惜しむことなく使ってくる。致命傷を与えても一瞬で回復して再び戦列に加わる。
人界軍が崩壊寸前まで追い込まれ、このままでは全滅するとランドフォースが撤退の判断を下そうとしたときだった。数日間続いていた魔王軍の猛攻が突然止まり、ルファルドの使者を名乗る魔人が人界陣営にやってきた。
ルファルドからの伝言は『準勇者よ、貴様のような武人を失うの惜しい。軍門に下れ。魔王様に忠誠を誓い、配下となるならば貴様は生かしてやる』といった内容だった。
当然そんな要求に応じることはできないが、ランドフォースは『私が仕えるのは強者のみ、欲しくば一対一の決闘でねじ伏せてみよ』と大将であるルファルドに一騎打ちを申し出る。
これはランドフォースの苦肉の策だった。
無論、決闘の申し出など交渉にもならず一蹴されることは分かっていた。
それでも使者が行き来している間は攻撃が止まる。
使者がランドフォースの伝言をルファルドに伝え、さらに返答を持って戻ってくるまでの間、僅かな時間を稼ぐことができる。まだ体力が残っている兵士たちを逃がすことができる。
仮に一騎打ちの誘いに乗ってくるならそれでよし。大将さえ討ち取れば敵は退く。それができなくても可能な限り戦いを引き延ばして、ひとりでも多くの兵士を戦場から離脱させることを狙った。
だが、ここで想定外のことが起こってしまう。
ルファルドは脳筋野郎だったのだ。
是非もなく一騎打ちの申し出が受諾されてしまい、使者が返事を持って戻るよりも早く、その日のうちに敵の大将が自ら単独で乗り込んできてしまった。
虚を付かれたランドフォースはルファルドと戦うも圧倒されて戦死する。精神的な支柱、そして主戦力である準勇者を失った人界軍は一気に瓦解し壊滅してしまった。
だが、彼が稼いだ僅かな時間は無駄ではなかった。戦線を離脱した兵士が教会に戦況を伝え、神官たちは魔王軍の襲来は時間の問題だと各国に呼び掛けた。
その時間があったからこそ、魔王中央軍がリタニアス王国領土内に入る前に、リタニアス王国、クロイツ共和国の両軍とアイザム冒険者ギルドの冒険者を加えた三万の臨時連合軍を編成できたのだ。
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