第59話 私闘
地面を蹴って走り出す。僕が倒れていた場所に黒球が降り注ぎ地面を削り取った。
転げ落ちたときに痛めた足は踏み出すたびに激痛が走り、何度も倒れそうになって地面に手を付ける。
――足を止めたらダメだ。移動し続けろ、とにかく距離を取れ! 魔法が届かない距離まで走るんだ!
射程外に出たかと思われたそのとき、急激に周囲が暗くなった。異変を感じた僕は頭上を見上げる。夜空を覆っていたのは黑球だ。巨大な時空転移魔法が月明かりを遮っていた。
これまで僕が発現させることができた最大値二十メートル、その数倍はある。
アレを落とされたら跳ばされる! 跳ばされたらこの世界に戻ってこられる保証はない! 避けるんだ!
「アハハハッ! 消えろ!!」
ユーリッドが杖を振り下ろした。巨大な黒球が視界を覆い尽くしていく。
逃げろ! どこに!?
球体の中心が僕に向かって落ちてくる。走って逃げても避けられない。左右前後に逃げられないなら下しかない!
咄嗟に僕は杖を地面に向けた。次々と黒球を生み出して地面を削って地中へ逃げる。
深く、深く、地面を掘り進んでいく。
ただ真下に逃げるだけじゃダメだ、落ちてくるのは球体なんだ。球体の直下に僕はいる。斜めに移動しろ!
進行方向を変えて横穴を作った僕が倒れ込むように移動した瞬間、地表が吞み込まれていった。
地中にいたはずなのに空が、月が見える。星々が瞬いている。
クレーターの表面は大きく抉られていた。
間一髪だった。方向を変えて移動したのが幸いした。あのまま下に掘り進んでいたら消えていた。ギリギリ間に合った……助かった。
止めていた息を吐き出すと焼けるような激痛が走る。
「ぐぅっ!」
右耳だ。ジンジンと疼き、痛みが響く、生暖かい血液が脈拍と同じリズムで噴き出していく。
僕は耳に触れようと手をあげた。だが、腕が上がらなかった。
違う。あがらないんじゃなくて、挙げようとした右腕がないのだ。
右腕が……右耳がない……。腕と耳を持っていかれた……。
腕を失った肩口から血液が噴き出していく。
僕は左手で右肩を押された。血は留まることなく指の間から次々と溢れ出る。
空に浮かびながらユーリッドは僕を見下ろしていた。
「なんだよ、せっかく月に転移させてあげようとしたのに」
まあいいや、とユーリッドは薄く笑う。
「空を飛べるって便利だよ。こいつは恒竜王を倒したときに天啓を受けて習得したんだ。この僕がだよ? 信じられるかい? 基本魔法が使えずに魔法学校を追い出された僕が! こんな上級魔法が使えるようになるなんてね! この力で今まで僕を馬鹿にしてきた連中を見返してやるんだ! ひゃははっははッ!」
夜空を向かって笑い声をあげた。
勝ち誇り、愉快に笑う声が荒野に響き渡る。
その様子を、腕を失った僕は見上げることしかできない。
絶対絶命だ。能力に差があり過ぎる。
僕はこいつを止められない。こんなヤツに負けるのか……。
こんなところで僕は死ぬのか……。
僕が死んだらラウラはヤツの奴隷になってしまう。このままラウラを渡していいのか?
「そんなこと……いい訳ないだろうがッ!」
僕は杖で体を支えながら立ち上がった。歯を食いしばり、ユーリッドを睨み付ける。
「なんだよ、その眼は? まだやる気かい? 諦めが悪いね……我ながら呆れるよ」
失笑を浮かべたユーリッドは空から降りてきた。地面に足を付けて杖を僕に向ける。
「さらにロープを手繰り寄せたのを実感するよ。もうほとんど魔力は僕の物だ。キミも感じているんだろ? キミに勝ち目はない。奇跡でも起こらない限りね」
僕にはあいつの考えていることが手に取るように分かる。
あいつは黒球で僕の体を少しずつ削ってなぶり殺す気だ。
あの頃の僕なら……、彼女に裏切られ、人生に失望して腐っていた僕ならきっとそうする。
させない……、やられてたまるか!
残った力で迎え撃て!
ユーリッドに杖を向けて魔法を放つと同時に黒球の撃ち合いが始まった。
僕は力の限り連射する。いくらも経たないうちに球数で圧され始めた。力の差は歴然、すでに防御で手一杯だ。
くそッ! 策はないのか!? 考えろ! 最後まで諦めるな! なんでもいい、形勢を逆転する一手を考えろ!
悪寒、頭痛、倦怠感、脚がふらつき、意識が朦朧となり、視界が狭くなっていく。
杖を持つ腕が次第に下がり始める。
魔力枯渇の影響が顕著に現れ始めた。
撃ち出した黒球の何発かがユーリッドまで届かなくなってきている。
「ふひひっ! 限界が来たかな? 眼が虚ろだよ。今まで無駄な努力ごくろーさま! じゃあ、さよならだね」
ダメだ……、なんでもいい……奇跡でも、なんでも……。あいつだけには負けたくない……負けられないんだ。あいつをぶっ倒す力でも、騎兵隊の援軍でも、遅れてやってきたヒーローでも、なんでも……。ああ、神さま……精霊さま……、誰か、どうか、お願いだ……僕を助けてくれ……。
土日は更新をおやすみします。




