第58話 勇者の条件
《地竜の穴倉》は赤茶けた荒れた大地に出来た巨大なクレーターだ。隕石が落ちて出来たのではなく、かつて魔神ヴァルヴォルグと三英雄が戦ったときに出来たと記された石版が、聖都市カインに残っている。
だから実際に竜の巣がある訳ではないのだが、地竜が住んでいるという言い伝えがあるため近づく者は少ない。
昼間の賑わいが嘘のように静まり返り、閑散とした橋を渡って僕はアイザムの街を出る。
北へ走り、森を通り抜けて赤茶けた大地に出ると視界が開けた。
頭上に広がるのは満点の星空、そして今にも落ちてきそうな大きな月が輝いている。
地球で観たフルムーンよりも遥かに大きい。これがこの世界のフルムーンなのか、真夜中だというのに昼間のように月明かりが大地を照らしている。
巨大なクレーターの中心で、僕を待ち構えるようにユーリッドは立っていた。
三百六十度が見渡せるあの位置は、僕を迎え撃つには最適だ。僕らは互いに不意に接近されることを忌避し、最も警戒している。
互いが一撃必殺の武器を所持しているからだ。
その効果範囲の外から相手を視認できる場所で待ち構える。つまり先に陣取った者が地の利を得る――、僕もあいつの立場ならそう考えただろう。そう思ってくれているなら好都合だ。今は条件が違う。
こちらのアドバンテージは、ヘカートによる遠距離攻撃。
あいつはヘカートの特性を知らない。おそらく今はまだ、変わった形をした杖か、ただの銃を模した杖だと思っているはずだ。もしヘカートがなければバカ正直に出て行くしかなかった。まさか遠距離魔法の射程を凌駕するレンジから攻撃してくることなど想像できないだろう。
同じ魔法しか使えない者同士の闘い。しかしあいつと僕の魔力量は8対2、その差は歴然だ。正面からぶつかっても勝ち目はない。加えてあいつは空が飛べる。空中移動する的を射向くにはまだ練度が足りない。
ヤツが大人しく待ち構えているこの好機を逃してはならない。
盛り上がったクレーターの縁の影、そこで僕は姿勢を伏せてヘカートを構えていた。
距離は二百メートルほど、当てられない距離じゃない。もっと遠くの標的を射貫いたことは何度もある。だけど、いつもは双眼鏡とラウラのサポートがあった。
双眼鏡はラウラの荷物の中だ。
ユーリッドはまだ僕の接近に気付いていない。
チャンスは一度だけ、失敗すれば距離を一気に詰めてられてしまう。
「一発で仕留めろ……」
無意識のうちに僕は呟いていた。
――仕留める……。
口に出した途端、言葉の重みが増す。
殺すのか? もうひとりの自分を? 僕にできるのか?
今さらそんな世迷い言が脳裏をよぎる。
躊躇している場合じゃない。あいつは僕を殺してふたつの世界を手に入れる気だ。
あいつを止められるのも、止めなきゃいけないのも僕だけだ。
あんなヤツを勇者にしてはいけない。
あいつは勇者なんかじゃない。世界を我が物にしようとする魔物、魔王だ。
自分の不始末は自分で付けろ。自分で自分を討つんだ!
呼吸を整えろ。穿て、穿て、穿て――。
「……卑怯だとは言ってくれるなよ」
そう言って、僕はトリガーを引いた。
黒球が銃口から射出、ユーリッドの頭部に向かって一直線に飛翔したその刹那だった。ユーリッドが腰に手を当て姿勢を変えた。頭の位置が僅かに左にずれ、弾丸はユーリッドの額を掠めて地面に突き刺さる。
外した!
どろり、と弾が掠めたユーリッドの額から血が流れ出した。顔を鮮血に染めたユーリッドの視線が動き、うつ伏せになる僕の姿を捉える。
再び狙いを定めてトリガーを引くが、すでにユーリッドは空高く跳躍していた。
僕は空を飛ぶユーリッドに向かって連射する。弾はことごとく時空転移魔法によって防がれてしまう。
ふわりと僕の前に距離を取って着地したユーリッドは、ローブの裾で顔を拭った。斜めに線が走るように額の皮膚が削がれている。
「……危ないところだった。まさかそんな奥の手があったなんて想定外だよ」
ユーリッドの顔に余裕の笑みはなく、僕を睨み付けた。
こうなったら正面から戦うしかない。
警戒すべきは無詠唱魔法だ。魔法反射さえできればあいつの虚を突くことができたのに、精霊アニマはまだ僕の祈りには応えてくれない。
「その杖は『らいふる』を模していたのか……。あっちの世界での武器の特性がそのまま反映されている。さすがボクだね、この世界で育ったボクにはその概念を突破するのは難しいかもしれない。でも面白い、それもボクが頂こう」
僕はヘカートを反転させて杖に持ち替えた。黒球を連射するが、ユーリッドが展開した同一魔法に呆気なく呑み込まれていく。
それでも僕は魔法を放ち続けた。
このままではジリ貧だ。僕の方が先に魔力が枯渇する。だけど、反撃する暇を与えてはいけない。
時間を稼ぐんだ。次の一手を思い付くまでの時間を稼げ!
どうする? 距離を取ってまた狙撃のチャンスをうかがう? もしくは魔法を掻い潜って接近し、無詠唱魔法の間合いに入って相打ち覚悟の特攻をするか――。
ぐらり、と体が傾いた。
いつの間にかクレーターの淵へと追い込まれていた僕は、足を踏み外して斜面を転がり落ちていった。
「ぐぅっ!」
硬い地面に衝突して回転が止まる。肩と脚に激痛が走った。
すぐに立ち上がれ! 走れ! 次の攻撃が来る!




