第56話 契約破棄
「ボクはキミがこの世界でやっていることを悟った。時空転移魔法を攻撃手段に使うなんてすごい発想だよ! まったくもって脱帽だ! 防御不能魔法をキミは生み出したんだ! これは誇るべきだ!! だってそうだろ? 魔導士の価値が一変するほどの大事件なんだぜ!」
興奮気味に拳を握りしめたユーリッドは、思わずといった感じに椅子から立ち上がった。
「そして、転移される魔物が増えるほど僕の力は弱まっていったんだ。それはつまりキミがこっちで強くなるほど、ボクの魔力は落ちていくことを意味している。僕らは繋がっていたんだよ、一本のロープでね」
同じ顔の少年は僕を見ながら口角をあげてニヤリと笑う。再び椅子に腰を掛けて足を組んだ。
「正直、この事実に気が付いたボクは危機感を覚えたよ。確かにボクはこっちの世界を捨てた。だけど、今まで積み重ねてきたものを失うのは嫌なんだ。だからね、とりあえず一旦元の世界に戻ってボクもキミの真似をすることにしたのさ。そしたらビックリだ! ボクの習得した時空転移魔法は無敵じゃないか! 敵は防御はおろか反撃すらできやしない! ボクはこの世界の勇者になれると知った! 諦めていた夢が手中にあると悟った! この魔法を使わない手はない!! だからボクは倒しまくった! 殺しまくった! バーバリアンタイタンを倒して、恒竜王と配下たちを蹴散らして準勇者まで登り詰めた!!」
ユーリッドはテーブルの上に置いてある金属製の仮面を指先でなぞる。その隣には僕がラウラに買い与えた陶器の仮面があった。
「その仮面は……。そうか、お前が仮面魔導士の正体だったのか……」
「ああ、そうさ。最近ちょっと有名になり過ぎちゃってね。街に入るときはあらかじめ仮面を取っているんだよ。そうそう、彼女と会ったときの彼女の第一声を訊きたいかい? 彼女はいきなり謝ってきたんだよ。『ごめんなさい、私が悪かった』と悲し気に、今にも泣き出しそうな声でね……。ボクはすぐに気付たよ。もうひとりのボクがこの街にいることを、そしてキミたちが現在進行形で仲違いしている真っ最中だということに……。だからボクがキミの代わりに彼女を慰めてあげたんだよ。別にいいだろ? 僕らは同一人物なのだからさ」
ユーリッドは自分の手柄を見せつけるように両手を広げた。
忘却しかけた憤怒がみぞおちから込みあがる。
だけど僕は唇を噛んで湧き上がる怒りを無理やり抑え付けた。
――冷静になるんだ。相手のペースに吞まれるな……。こいつの語っていることがすべて真実だとは限らない。かなり話を盛っているに違いない。エロいスイッチが入ったラウラは言葉責めだけで喘いでしまうくらいだ。ラウラはヤツにヤられてなんかいない……OK、僕は冷静で相手は僕だ。僕は自分のことを誰よりも知っている。
僕にはユーリッドの考えていることが解る。
こいつは僕を挑発しているんだ。
勝ち誇り、自分が優位なのだと誇示している。
自分こそが正解なのだと、自分こそが正史なのだと、それを僕に認めさせようとしている。
これはヤツにとって、もうひとりの自分を超えるための儀式。
完全に相手を打ちのめして屈服させるための儀式。
同等で対等な者のマウントを取り、敗北を認めさせることで〝ロープを自分の元へと手繰り寄せる〟ための儀式なのだ。
「ふん、本当にそれだけか?」
だから、僕はわざと嘲るように鼻で嗤ってみせた。
「……なに?」
ユーリッドの眉がピクリと動く。
「お前の顔、その眼……僕は良く知っているぞ。何度も鏡で見ていたからな。なあ、ユーリッド……お前、この短い時間でどれだけ騙された?」
「……」
ユーリッドは答えない。
ぐっと眉間に力を込めて僕を睨んだ。
そのわずかな挙動だけで、僕はユーリッドが僕の世界でどんな目に遭ったのか容易に察することが出来た。
僕が最初にユーリッドから受けた印象は〝純朴〟だった。
そう、自分の感情に正直で希望に満ちていて甘っちょろくて夢見がちな青二才だった。
そんな青二才があの世界で、しかもオッサンからスタートして上手く立ち回れるはずがない。
「だから言ったろ? 『この世界は悪意に満ちた魑魅魍魎の世界』だってな」
「黙れよ……」
ユーリッドを纏う空気が変わった。眉間のシワをさらに深く刻む。
知ったことかと僕は畳みかける。『お前のことなど眼中にない』と突き放すような態度で肩をすくめて、もう一度鼻で嗤ってみせた。
「まあ、それはいいさ。僕もこっちの世界で騙されたからな、お互い様だ。それで、話を戻そう。つまりお前の目的は『契約の破棄』だろ? 元の世界に戻ってやり直したいから僕に地球へ帰れって言うんだろ?」
僕がそう言うとユーリッドは大袈裟に溜め息を吐いた。
「そうじゃないんだよ。ボクの言いたいことはね……」
僕は待った。もうひとりの自分の言葉を黙って待った。
「ボクが言いたのは『どっちもボクのだからキミは退場してくれ』ってことさ」
「は? 退場?」
「つまり死んでくれってことさ」




