第53話 暗雲
日が暮れる前に宿に戻ると、部屋にラウラの姿はなかった。
もしかして愛想をつかれて出て行ってしまったのか……。
僕は数瞬の間、焦ってその場で立ち尽くした。だけど部屋の隅にラウラの剣と荷物が置いてあることに気付き、胸をなでおろす。
じゃあ、買い物にでも行っているのか?
それとも、どこか人気のない場所ですんすんと鼻をすすって泣いているか……。
とにかく、探しに行こう。
ラウラを見つけて、ちゃんと謝るんだ。
再び宿を出た僕だったが、ラウラの行くところなんて検討が付かない。
なぜなら、いつも僕がミレアのところに行っている間、ラウラがどこでなにをしていたのか知らないのだ。背中を預けるパーティーメンバーにも関わらず、なんとも情けない話だ。
いつも彼女は僕が戻ってくる前に夕飯を用意して待ってくれていた。
いつも彼女は僕の衣服を洗濯して干してきちんと畳んでおいてくれた。
それが当たり前になっていた。
ミレアに言われたとおり、僕はなんて甲斐性のないヒモクソ野郎なんだ……。
これは愛想を付かれて出ていかれても仕方ない。
ラウラが行きそうな場所で僕が思い付くのは冒険者ギルドくらいだった。真っ先に向かってみたが、ギルドにもラウラの姿はなかった。
いつもの受付のお姉さんに、ラウラを見ていないか尋ねてみると、「今日はまだギルドに顔を見せていませんね」と答えた。
「今日はまだ?」と首を傾げた僕に彼女は教えてくれた。
ラウラは手ごろなクエストや一人でもこなせるクエストを毎日見繕いにやってきているそうだ。
まったく知らなかった。
彼女は僕の知らないところで先に進む努力をしていたのだ。
自分の不甲斐なさに肩を落とし、僕は日が傾き始めた露店街を歩く。街道に並ぶテントから肉を焼く香ばしい匂いが漂ってきた。
お腹が空いてきた。ラウラもお腹を空かせているだろう。
ラウラを見つけたら、謝って、今夜はまた魚介亭に誘ってみよう。
ぼんやり歩いていると、いつの間にかマーケットの裏路地に迷い込んでいた。
怪しげな紫色のランプが狭い隘路の軒先に並び、まるで通行人を誘うように炎が揺らめいている。
ノックスやネフから話を聞いたことがある。この辺りはいかがわしい大人たちが集う娼館ストリートで、中には怪しい薬や奴隷を扱う店もあるそうだ。
今まで立ち寄ったことはない。
興味がなかったといえば嘘になってしまう。生活が落ち着いたらこっそり行ってみたいと思っていたくらいには興味を持っていた。
偶然とはいえ足を踏み入れてしまったが、今はそんなことをしている場合ではない。
「あれ? 旦那、もうお戻りですかい? しかも一人で?」
踵を返した僕の後ろから声を掛けられた。振り返ると商人風の男が立っていた。舌舐めずりするのがクセなのか、ときおり舌で唇を舐めている。見るからに胡散臭い男だ。
なんだこいつ……、どこかで会ったか?
「ところで例の媚薬の効果はどうでしたか? もうガンギマリでしたでしょ? うひひひひっ!」
下卑た笑い声をあげて男は自分勝手に話し続ける。
「それともあのべっぴん売っちまったんですかい? せっかくあっしが色付けて買おうと思っていたのになぁ。あの娘、見たところ元貴族でしょ? あっしの顧客でそういった生娘を欲しがる大商人がいやしたってのにねぇ、ああ、もったいないもったいない」
ペロリと下唇を舐めた男と僕は向かい合う。
「なんのことですか?」
「はい? 昼頃に旦那が連れていたべっぴんさんのことですよ?」
「……昼? 僕は街の外にいたから人違いじゃないですか?」
「はあ……?」
首をひねる男から視線を切った僕は、足早でその場から立ち去った。
まったく、なにを訳の分からないことを言っているんだあの男は? 誰と勘違いしているか知らないが実に不愉快だ。
おそらく詐欺の類だろう、言葉巧みに商品を売りつけようとしているんだ。あそこに行くときに気を付けよう。
「おう、ユウじゃねぇか!」
足早に裏路地を抜けたところでまた声を掛けられた。
今度は声ですぐに分かった。ノックスである。
「さっきはシカトしやがってこの野郎め!」
どいつもこいつもなんなのだ。僕に似ているヤツでもいるのか?
「その『さっき』がいつか知らないけど今日会うのは初めてだよ。それよりノックス、ローラ(ラウラの偽名)を見なかったか?」
ん? と顔を歪めたノックスだったが「そんな小さいことはどうでもいい」と言わんばかりに肩を組んできた。
「おお、そうだ! そのローラだよ! まさか仮面のねーちゃんがあんな美人だとは知らなかったぜ! お前だけ良い思いしやがってこの野郎め、ガハハハッ!」
「どういうことだ? ローラは仮面を外していたのか?」
そんなはずはない。人前では仮面を外すなと命令している。ラウラは僕の命令に逆らうことはできない。それに教会のお尋ね者であるラウラがそんなリスクを冒す訳がない。
「あん? 仮面ねーちゃんの隣にいたのってユウだろ? フードを被っていてもお前だってすぐに分かったぞ、なにせこの辺りにゃ東方人は珍しいからな」
人違い……、いや、違う……。
商人風の男はまだしもノックスの証言には信憑性がある。彼にはフードを被っていても声を掛けられたことが何度もある。
まさか……。
口の中が苦さでいっぱいになっていく。




