とある英雄の物語《剣》4
ここは地竜の穴倉、あの重婚クソ野郎が黒い卵になっていた場所だ。
この時点ではあいつはいないことは分かっているはずなのに、あいつの残滓を感じる……。くそ、思い出しただけで寒気が走る。あの絶望は簡単に払拭できる物じゃない。
「ねえアナ、どこまでやっていいの?」ノーアがアナスタシアに訊ねた。
稽古といえど互いを敵として相対した今も、彼女は飄々とした態度を崩そうとしない。俺は完全に舐められている。
彼女の口ぶりからしてアナスタシアの仲間、つまりは勇者パーティの一員に違いない。実力者であるのは確かだけど、レイラばーちゃんほどのプレッシャーを感じない。
「殺して構わない」
「だってさ」と彼女は俺を哀れむように肩をすくめてみせる。
「なあ、アナスタシア大師匠、俺はどこまでやっていいんだ?」
「殺す気でやれ」
俺は死んでもいいけど、彼女は殺すなってことか?
端から俺に勝ち目がないと思っているのか、それともかつての仲間が死ぬ場面を見たくないのか。
「あんたが殺されることには気が引けるみたいだぜ。よかったな、俺の大師匠が仲間想いで」
「あれ? あはは! アナってそんな優しいキャラじゃなかったのにおかしいねぇ、もっと冷酷冷淡なイメージだったけど、この会わない数週間で何があったのかな? まあ、大師匠のことは気にしなくていいからさ、ボウヤも私を殺せるなら殺してみなよ!」
「ああ、お互い、殺されても文句はなしだ」
微笑を浮かべたノーアは両腰に携えた獲物を抜いた。
形状は十手に似ている。だけど三叉だ。中央の長い刃がメインで両サイドの刃は相手の武器を受けるための鍔といったところだろう。
「原剣 《無二釵》」彼女は言った。
原剣、レイラばーちゃんから聞いたことがある。
精霊の加護を受けた特別な武器、それぞれが特別な固有能力を有している。
「無二なのに二つあるのかよ」
俺は愛刀 《叢雲》を抜く。
「んー……、確かにそうだ――ね、と言い終わる前にノーアは俺の間合いに入っていた。
電光石火の刺突攻撃に反射的に体が反応する。刀でノーアの釵を跳ね上げた。
これぞ今までの修行の賜物だ。俺だって伊達に勇者に鍛えられてはいない。
すかさず切り返した俺は刀を振り落とす。その斬撃は一対の釵で受け止められた。しかし俺は止まらない。再び切り返そうと手首を捻った直後、
――刀が離れない!?
まるで獣に喰らい付かれたように無二釵が叢雲を離さない。直後、側頭部に衝撃が走りぐらりと視界が揺らぐ。
攻撃された!?
俺は咄嗟に後方に飛んで距離を取る。眼前のノーアは片足立ちのまま、左足を高く上げた姿勢で止まっていた。
蹴られたのか……、くそ、なんだありゃ速すぎるぜ。スピードはレイラばーちゃん以上だ。これが竜人の身体能力なのか……。
しかしなるほど、これで一つはっきりした。
強力な磁石みたいに相手の武器を強制的に引き寄せて攻撃を封じる。それがあの《原剣》無二釵の特殊能力だ。
そうと判ればそうなることを前提に戦えばいいだけだ。離れられないのは相手も同じ、自分の獲物から手を離さないのならそのまま組み伏せるだけ。
俺は距離を詰めてノーアに斬りかかる。大上段から振り下ろされた縦一文字の一閃は、相手の頭に到達する直前で弧を描くような軌道に変化した。ノーアを避けて叢雲の切っ先が地面に突き刺さる。その間隙に反撃を受けて俺は再び後退する。
「ぐっ!」口角から鮮血が迸った。
「驚いた?」無二釵を肩に担いで彼女はほくそ笑む。
「これが無二釵の特殊能力、《引斥力》だよ」
引斥力、引き付ける力だけじゃなかった。無二釵には二つの特殊能力がある。
俺は頬に付着した血液を腕で拭う。
「どちらかが引力でどちらかが斥力なんだけど、ボウヤに違いが分かるかな?」
彼女はジャグリングするみたいに左右の釵を何度も入れ替えて俺を挑発する。
「考えても仕方ねぇ……」
俺は刀を構えなおした。手足の一本でも頂くつもりだったが、スイッチは切り返る。
――殺す!
ガラにもなく咆哮を上げて最速の一撃を放つ。息付く間もなく二撃目に繋げ、休むことなく攻め続ける。
攻撃はまるで当たらない。刀が引っ張られたり弾かれたりして姿勢とタイミングが崩されてしまう。まるでリズムが掴めない。いいようにあしらわれている。
この俺が子供扱いだ。
強い、強いのはもちろんだが戦い方が上手い。なによりやりにくい。レイラばーちゃんとはまるで戦い方が違う。
これが勇者パーティの実力、なによりノーアはまだ本気じゃない。俺はとんだ井の中の蛙だったらしい。
でも、悪くない。
強敵を前にして俺は笑っていた。精神が高揚する、高みがゴロゴロいることが楽しくて仕方ない。
「分かっていても対応できないだろ? それがこの無二釵の真の実力だよ」
息を切らせる俺の前で、呼吸一つ乱さないノーアが攻撃の手を止めた。
「ははん、さすがにこれだけ撃ち合えばボウヤの剣が分かってきたよ。ボウヤに剣を教えた人物がどんな感じなのかもね」
「……」
俺は息を整えながらノーアの隙をうかがう。
「これは絶対強者の剣だね。力任せに敵を粉砕してきた。強すぎるから相手は攻撃が来ると分かっていても避けられないし受けられない。ゆえにフェイントなんて必要ない。だからシンプルだ。無敵の剣ってのはね、下手糞が真似したところで読みやすいだけの鈍らになっちゃうんだよ?」
ぺらぺら喋るノーアは隙だらけのようで隙がない。どこから攻めても返り討ちにされてしまう気がする。
「生まれたときから強すぎたんだね。その人には好敵手がいなかった。ただ力を振るうだけで勝てた。だけどボウヤは違う。そこまでの才がないのにそんな剣を仕込まれちゃ、しょうがないよね。ボウヤの剣はもはや〝呪い〟のレベルだよ、可哀想にね」
可哀想だと……、認めねぇ……。レイラばーちゃんが俺に託した願いを……、俺とばーちゃんの時間が否定されることなんて、あってはいけない!
「俺は強い!」
「ボウヤはそう思い込まされていただけさ」
「黙れ!」
俺の刀が空を切る。
「歪んだ愛情さね。その人はボウヤを傷付けたくなかったのさ、弱すぎるボウヤをね」
カッと血が昇り不用意に踏み込み過ぎていた俺の視界は、ぐにゃりと斬撃と同時に曲
がって意識を失っていた。




