とある英雄の物語《弓》1
三十歳を前にして冬眠状態だったヴァルが目覚め、契約が執行されると同時に僕は死んだ――、はずだった。
ヴァルに摂り込まれた僕の魂は、そのまま体内に保管され、しばらくしてからヴァルの眷属として蘇る。
簡単に言うと、僕が生きていたときと立場が逆になったのだ。
基本的にヴァルが表にいて、僕は裏からヴァルの視点で世の中を観察する。考えることもなく悩むこともなく、ヴァルを介して伝わってくる情報をただ受け取るだけの、悟りを開いたニートのような存在だ。
僕という自我は意識の深層をたゆたい、年月の経過と共に魂が形をなくして液体のようになっていき、感情というものが次第に薄れていくのを感じた。
たまに自分の妻や子供たちの様子を遠くから見せてもらうことで、僕は自分の形を維持していた。
そんな僕の前にアナスタシアが現れたのは、僕が死んでから半世紀ほど経ったときだった。
彼女は言った。
このままでは世界が消滅すると。
彼女から詳しい話しを聞いてみると、どうやら並行世界の僕がやらかしたらしい。
なんてこった……。まさか自分が世界を滅ぼす元凶になるなんて、父さんは英雄なんだと信じる息子や娘たちに顔向けができない。
こうなった責任は誰にあるのか?
決まっている。もちろん自分、僕自身だ。
ヴァルを通して責任を取らせてくれと訴える僕にアナスタシアは言う。
「これは我々の役目ではない。三英雄を育て闇落ちしたユウを討伐させる他ない。これは既定事項だ」と。
すべてが繋がっていたことを僕は悟る。まさかここが三英雄伝説の始まりだったとは夢にも思わなかった。
しかも僕の孫にはあのオミ・ミズチがいるらしい。
現在の彼の師匠はレイラだ。
レイラはオミ・ミズチが誕生して名付けられた時点で自分のやるべきことを察したそうだ。
明確な理由は分からずとも、そのときに備えて彼女はミズチを鍛えた。かつて自分が《極刀》から教わった剣技を孫へと伝えることに専念した。
レイラとはすでに話がついていて、《極刀》オミ・ミズチはレイラからアナスタシアに引き継がれる。
《弦槍》は並行世界のヴァルが担当するそうだ。もうすでに動き始めているとのこと。一体どんな人物なのだろう。
そして《鳴弓》だ。
生前、ヴァルは《鳴弓》の正体について語っていたことがある。その正体は僕がヘカートを託した桃色の少女、ジーナ・マルゲインである。
アナスタシアがここに来た理由について、この世界のヴァルが《鳴弓》の担当になるのだろうと、僕はそう思っていた。
「ユウ、過去に戻ってジーナ・マルゲインを育てるのだ」
アナスタシアは言った。
ヴァルではなく、意識下の僕に語りかける。
「なぜ僕が?」僕は問う。
今の宿主はヴァルだ。ヴァルを差し置いて眷屬たる僕が自分勝手な行動はできない。
「魔神ヴァルヴォルグのままでは都合が悪い」と彼女は答えた。
「歪みか……」
同一人物が同じ世界にいることでセカイの歪みが発生する。それは水面にふたつの波紋が出来るようなものだ。互いに打ち消し合って互いの存在を相殺する。
アナスタシアがこくりと頷く。
「そうだ。三英雄はローレンブルクを拠点に活動を開始する予定だ。歪みを回避するため、《弦槍》を担当するのがヴァルヴォルグなら《鳴弓》は別の誰かでなければならない。その誰かがキミなのだ」
僕には受諾も拒否も選択する権利がない。もとより断るつもりは毛頭ない。
ただヴァルが受け入れるかどうかは――
「そういうことだユウ、さっそく過去に戻るぞ」
ヴァルの覚悟はすでに決まっていたようだ。ならばもはや僕が四の五の言う筋合いはない。
それにしても僕の失態をあのジーナに拭わせることになるなんて、クリーゼさんにも顔向けできなくなってしまった。僕にはジーナを育て、見守り、ハッピーにする責任がある。
僕は今日から全身全霊を彼女に捧げるのだ。
――その日のうちにジーナに会うため僕はヴァルの魔法で過去へ跳んだ。
過去に戻ると同時に僕とヴァルの意識が反転する。そして身体が若返っていることに気付く。僕がジーナと出会った頃の姿に戻っていた。
「ヴァル……」
『なんだ?』
「せっかく隠居生活を楽しんでいたのに、すまない……」
『世界の危機なのだ。魔神に摂り込まれたユウを倒さなければ我の妃を助けることができない。これは必然だ。我は数いる並行世界の我の中からこの役目を与えられたことを誇りに思う』
「ありがとう……、ヴァル」
礼を述べた僕は周囲を見渡す。しんしんと雪が降っていた。薄っすらと雪が積もりはじめている。
どこかの山中のようだが……。
「あれ? ここって?」
ジーナと出会ったファンガスの街じゃない。それに季節も違う。あのときは雪なんか降ってなかった。
でも、ヴァルが転移座標を間違えるとは思えない。
ここに来た意味が何かあるというのか?
少し離れた場所で誰かが倒れているのを見つけた。若い男と女、もう既に息絶えていることはここからでも見て取れた。雪に覆われていく彼らは手を重ねて、まるで寄り添うように死んでいる。
「あ……」
見覚えがあった。ずっと昔に視た光景を重なる。
ここは……まさか!?
「そんな……この場所は――」
『そうだ。ここはユウとラウラがアルデラに殺された場所だ』
ふらふらと歩き出した僕はラウラの亡骸の前で膝を付いた。
「ラウラ……」
無残にも首の骨を折られた彼女を前にした僕の眼から涙がこぼれ落ちていく。
「なぜだヴァル……なぜ僕をこの場所に連れてきた……」
『ヘカートを回収するためだ』
「……ヘカートを?」
『思い出せ、ジーナ・マルゲインと初めてあった日のことを。ジーナがどうやってヘカートを手に入れたのかについて』
「そういうことか……」
〝変な魔導士から買ったッス〟
彼女はそう言っていた。
「……つまり僕がジーナにヘカートを売りつけた魔導士だったってことだな?」
『そうだ、この時代のジーナと接触してヘカートを託せ。その後、再び時間を跳ぶ』
「……分かった」
ヘカートに埋め込まれた二つの魔石を取り外した僕は、息絶えた自分とラウラに手を合わせて立ち上がり踵を返した。




