とある英雄の物語《剣》2
荷物を背負って家を出た俺の前に転移魔法陣が展開されていた。
これがどこに繋がっているのか、不安もあるけど正直言うと好奇心の方が勝っている。わくわくしている。
だって俺はこの村と隣町のことしか知らない。冒険者として旅立っていった叔父や叔母、従兄弟たちのように、いつか外の世界に出たいと思っていた。憧れていたのだ。
たとえそれが帰れない一方通行の扉だとしても冒険を夢見ている。
俺は両親とレイラばーちゃんに見送られながらアナスタシアと一緒に魔法陣を踏んだ。
視界が光に包まれ浮遊感を覚えた後、再び地に足が着いた。
「ここは?」
そこは見渡す限りの荒涼とした赤茶けた大地だった。クレーターのような場所にいる。空は太陽が昇っているにも関わらず真っ黒で、まるでこの世の終わりのようだ。
「西方大陸、地竜の穴倉と呼ばれていた場所だ」
「ここに何があるっていうんだよ?」
「進めば分かる」
歩き出したアナスタシアの後を追って歩き出す。
次第に瘴気が濃くなっていく中で、見たこともないおぞましい光景に俺は息を呑んだ。はっきりと視認できるほど禍々しいオーラがそいつを中心に放たれていた。どす黒い瘴気が空に昇っていく。空を黒くしている原因はそれだっだのだ。
「お、おい……、なんだよ、あれは……」
人の大きさほどの黒い塊、人ではない。魔人でもない。生物ではない。でも生きている。息を吸って吐いている。
得体の知れない何かと距離を残してアナスタシアは足を止めた。そのすぐ後だ。黒い物体に小さな裂け目が出来て開いた。
――目だ。単眼だが、人間の眼に間違いない。
ぎょろりと動いた眼球が俺を捉えた瞬間、俺の意識は途絶えた。
輝く太陽と黒い空、赤茶けた大地を背に俺は仰向けになっている。
どういう理由か転移してきた最初の位置に戻っている。でも、俺は自分に何が起きたか理解できた。
「……俺は死んだのか」
寝そべる俺の横に立つアナスタシアに言った。
「その通りだ。キミは死んだ」
「……生き返ったのか?」
「生き返ったのではない。私の魔法で時間を戻したのだ、記憶を保ったまま」
眼が合っただけで死んだ。いや、殺されたんだ。ヤツは殺意だけで俺を殺した。
今まで会った誰より、なによりも強い。とんでもない化け物だ。強いだとか化け物だとかそんなレベルじゃない。
勝てるイメージがまるで持てない。
「この位置なら大丈夫だ。今はまだ近づかなければ攻撃されることはない」
「……あいつはなんだ?」
俺の問いにアナスタシアは瞳を閉じてから再びゆっくりと開いて俺を見据えた。
「あれはキミの祖父、ユウ・ゼングウの成れの果てだ」
「……な、なんだって? オレの祖父? だって、じーさんはとっくに死んだはず……」
「そう、キミのセカイではな」
「キミの世界?」
「ここはキミの住んでいたセカイとは別の世界、並行世界だ」
「並行世界? 俺がいた世界とは別の世界があって……、こっちの世界のじーさんはあんな姿になっちまったってことか?」
「そうだ。キミはレイラから祖父のことをどこまで聞いている?」
「復活した魔神ヴァルヴォルグを倒した英雄だと……」
「それは正確ではない。正しくは魔神ヴァルヴォルグに成り代わろうとした者を、魔神ヴァルヴォルグと共に討ったのがキミの祖父だ」
「つまり、じーさんとレイラばーちゃんは魔神ヴァルヴォルグの仲間だったってことか?」
「その通りだ。その戦いでレイラ・ゼタ・ローレンブルクは完全に死亡したが、魔神ヴァルヴォルグの協力を得られたおかげで生き返り、生き延びたユウ・ゼングウはキミたち子孫を残すことができた」
「なんでこっちの世界のじーさんは、あんな姿になっちまったんだ……」
「こっちのセカイでは魔神ヴァルヴォルグの協力を得られず、レイラを失って絶望したユウは魔神の細胞に摂り込まれてしまったのだ。それがあの状態だ」
理解が追いつかない俺に構わずアナスタシアは話を進めていく。
「最初に言ったが、キミの役目はあいつを倒すことだ」
「倒す……あれを……」
分かっている。無理だと言葉にすることは許されない。
「新たな魔神として生まれ変わったユウ・ゼングウは、世界を改変してやり直そうとしている」
「改変? やり直す?」
「そうだ。レイラの前世体、ラウラ・シエル・ヴォーディアットが生きている時点まで過去に戻り、そして魔神も魔法も存在しない世界に作り変えようとしている」
「よくわからないけど、魔神と魔法がない世界に何か問題はあるのか?」
「ある。世界の理が変われば世界は一変する。存在しない物が存在し、存在するものが存在しなくなる。なによりキミたちが消える可能性がある。改変された世界でユウ・ゼングウが同じ未来をたどる可能性は極めて低い。そうなればユウ・ゼングウの子供が消える。ユウ・ゼングウの子供が消えれば孫も消える。キミもだ、ミズチ・オミ」
「その……単純な疑問なんだけど、どうしてあんたがそんなことを知っているんだ?」
「世界が改変される直後の未来から来たからだ。完全に改変が終了していたらキミに会うことはできなかった」
「いや、矛盾しているんじゃないのか? あんたのいた未来では改変は起こったんだろ?」
「時間遡行魔法が自動で発動したのだ。改変は未来から徐々に過去に向かって侵食している。次々と分岐点が消えていくのを感じる。いづれこの時間軸も侵食される」
「確認なんだけど、あいつを……、あの状態のじーさんを助けられないのか?」
「無理だ。もうあれはユウ・ゼングウではない。過去に戻りたい未来を変えたいという願望だけで動いている概念のような物だ」
「くそ……」
「レイラもキミの母親も、ユウの子孫を助けるためにキミを送り出したのだ。たとえ成れの果てになったといえ並行世界の夫を、自分の父親を殺すことになったとしても」
「俺の手に家族の運命が掛かっているのか」
「タイムリミットは四年だ。四年後、あれが動き出し世界の改変をはじめる」
「……オレは何をすれば?」
「私と一緒に並行世界を渡って過去に存在した魔王を倒していく。キミたちは名を変え勇者として力を付け、ローレンブルクに集い本物の魔神ヴァルヴォルグを倒した後、最終的にあれと戦うことになる」
「ちょっと待ってくれ……、キミたちだって? オレの他にも誰かいるのか?」
「ああ、あとふたりいる。そっちは別の者が担当している。我々と同じように世界を渡って歴代魔王を倒して勇者と呼ばれる者たちだ。顔を合わせるのはもう少し先になるだろう。いくぞ、ついて来い」
踵を返したアナスタシアの背中を俺は追った――。
「あれからきっかり四年か、もうずっと昔のことのようだぜ」
「あのさぁー」
亜麻色のショートカットの少女、セツナは俺の話を聞いてなぜか呆れている。
「これから決戦だって言うのに昔話するのやめてくれない?」
立ち上がった彼女はうんざりした感じで弦槍を肩に担いだ。
「なんでだよ?」
「そういうのは縁起が悪いのよ」
「自分もそれ知ってるッス! ししょーから聞いたッスよ! ふらぐってヤツっすね!」
勢いよく立ち上がって頭の横で結われたポニーテールが揺れる。桃色の髪の少女、ジーナは言った。
「なんだよお前ら、そのふらぐってヤツのせいで俺たちが負けるとでも?」
「冗談言わないでよ、ボッコボコにしてやるわよ!」
「そのために自分たちは戦ってきたんスからね!」
少女たちは眼をぎらつかせる。
魔神ヴァルヴォルグに単独で挑み、殺られる度に闘志を燃え上がらせていた彼女たちを見ていて俺はいつも思っていた。
〝こいつらマジでいかれてるな〟と――。
そう思える仲間に出会えたことが狂おしいほど嬉しい。苦笑して俺は立ち上がる。
「さあ行こうぜ、俺たちの運命を倒しに」
互いの顔を見合わせて頷いた俺たちは、転移ゲートに向かって歩き出した。




