とある英雄の物語《剣》1
【特別編】英雄の物語は二話完結です。
――あれは俺の背丈がレイラばーちゃんを追い越した頃だ。
「ミズチ、これからあなたの長い戦いが始まります」
レイラばーちゃんに初めて勝ったその日、彼女は俺を抱きしめてそう言った。
碧色の瞳から止めどなく涙を流す彼女を目にしたとき、伝説の勇者に勝利した喜びは一瞬で吹っ飛び掻き消えてしまった。
こんなにも感情を露わにするばーちゃんを見るのは初めてだったから、なにより彼女が抱いている感情は歓喜や感動ではなく悲壮だったから。
そのときの俺にはレイラばーちゃんの涙の理由が分からなかった。
ただ俺は、ばーちゃんのその一言で自分が彼女を越えたことを知った。
俺は強くなったけど、この力を誰のために振るうのか、誰に振るうのかまだ知らない。
今も世界各地で人族と魔人族、あるいは人間同士の小競り合いは起こっているけど、世界の脅威と呼べる脅威はない。一昔前のような人類を脅かす存在はいない。
これもひとえにスケコマシ重婚クソ野郎こと、ユウ・ゼングウの残した功績のおかげなのだ。
どういうことかというと、世界に散った彼の子孫たちが各国の武力衝突の抑止力として働ているからである。
紛争あるところにゼングウあり――、俺の一族はいつの間にか世界のバランサーを担っていた。
それはさておき、長い戦いが始まるとはどういう意味なのか、一体なんのために俺を鍛えたのだろうか。
戸惑う俺に彼女は告げる。
「数日のうちにあなたの師匠となる方が迎えにきます。あなたはその方と旅立つのです」
「師匠? 旅立つってどういう意味だよ?」
ばーちゃんは「時が来れば話します。今は家族や大切な人と時間を過ごして、いつでも出発できる準備をしておきなさい」と言って涙を拭い、いつもの穏やかだけど隙のない表情に戻した。
理由も分からず家に帰った俺が、今日の出来事を両親に話すと、ふたりはハッと息を呑んで言葉を詰まらせた。
「今夜はあなたが大好きな肉蕎麦にしましょう」と微笑む母さんの表情で俺は悟る。
どうやらレイラばーちゃんに勝つこと=旅立つことは決まっていて、両親も承知の上だったようだ。
そして翌日、レイラばーちゃんから「私の稽古は終わりです。よく頑張りました。今は思うようにやりたいことをしなさい」と告げられた俺は、浮かれ気分で村を出て隣町に向かった。
ついにレイラばーちゃんから解放されたのだ。今まで我慢してきた分を取り返そう。好きなことを好きなだけやって、遊び尽くしてやろうと意気込んでいたのだが、町に着いても特にやりたいことも見当たらず午前中には引き返して、いつもの場所で剣を振っていた。
……もはや病気だと自分でも思う。
俺のやりたいことってなんなのだろう。最初は嫌で嫌で仕方なかった稽古だったけど、イメージ通りに技が決まれば爽快だし、ばーちゃんに褒められることが嬉しかった。
なんとなく分かった気がする。
俺が剣で剣は俺、頭の先から足の爪の先まで剣で出来ている。それが俺という人間なんだ。呪いにも近い教育で俺はそうなってしまった。だからってレイラばーちゃんを恨んだりはしない。さっきも言ったように結局、俺は剣が好きなんだ。
それから数日が経過したある日、朝のトレーニングから家に戻るとレイラばーちゃんが来ていた。テーブルには母さんと父さん、そしてもう一人、エルフの少女が座っていた。
「おかえりなさい」と母さんが言った。
振り返った金髪のエルフの翠色の瞳が俺を捉える。
思わず見惚れた。彼女はとても綺麗で、言葉にならないくらい美しかった。
「彼がそうか?」エルフは言った。
「はい、ミズチ・オミです」と答えたのはレイラばーちゃんだ。
敬意が込められたばーちゃんの口調で俺は察した。
エルフ族は純血に近いほど長命で容姿が変わらない。つまり彼女が俺の師匠になる人だ。
「この女性が?」
俺の質問にレイラばーちゃんが「ええ、あなたの師匠となるアナスタシア・ベル様です」と答えた。
「アナスタシア・ベル?」
初めて聞いた名前だけど只者じゃないことは分かる。
纏う空気が異質だ。この少女はとんでもなく強い。でもレイラばーちゃんほどではない。それなのに俺の師匠??
「はじめましてミズチ、キミはある者を倒すために強くならなければならない。そのために私は遠いところからやってきたんだ」
「なに言ってんだよ、俺は強――」
「知っているよ」と彼女は俺の言葉を遮った。
「キミは十分に強い。だが敵はさらに強い。はっきり言ってしまえば次元が違うのだ、今のキミでは歯が立たないほどにね」
「……なんだと?」
僅かな怒気を声に込めた直後、俺以上にレイラばーちゃんの放つオーラが空気をピリつかせる。
「――ッ!?」
「ミズチ、この方への無礼は許しません」
静まり返る中、エルフの少女が席から立ち上がる。
「ミズチ、準備は出来ているな? 時間がない、そう表現するのは違和感があるが時間がないのだ」
「あ、ああ……、出来ている、ます……」
「外で待っている、両親に別れの挨拶を」
そう言ってアナスタシアが家から出て行くと、母さんが立ち上がり俺を抱きしめた。
「ミズチ……」
「母さん……、どうしたんだよ? まるで今生の別れみたいじゃないか……。相手が誰だか知らねぇけど、さくっと倒して戻ってくるさ」
母さんは答えなかった。俺の胸に顔を埋めて泣いている。父さんが俺の肩に触れた。大きな腕で俺と母さんを一緒に抱きしめる。
「な、なんだよ、二人とも……、まかさ俺がそいつに殺されるとでも思っているのかよ……。俺は勇者レイラに鍛えられてんだぞ、負ける訳ないだろ」
母さんは首を振るだけで何も言わなかった。
そうではないのかもしれない。母さんは俺が負けるとは思っていない。
父さんも母さんも知っているんだ。これが今生の別れになることを、だけど口にすれば辛くなる。だから何も答えない。
言葉の代わりに俺はふたりを強く抱きしめた。
――きっとこれは運命なのだ。
最後にレイラばーちゃんが席を立つ。俺と目が合うと彼女は頷いた。とても穏やかな顔をしている。
「レイラばーちゃん……」
別れを告げようとする俺に彼女は慈愛に満ちた声でこう言ったのだ。
「また会いましょう、ミズチ」




