第242話 たったひとつ
――ユウ!
……。
――ユウ、起きろ!
……だれだ? 僕を呼ぶのは誰だ?
――ユウ、戻ってくるのだ!
……この声は、ヴァルか? なんだよ、せっかく良い気持ちで寝ていたのに……。なんで起こそうとするんだ。
――ユウ、正気に戻るのだ!
……正気? 何言ってんだよ、僕はいつだって正気だぞ?
――違う! 今の貴様は魔神ヴァルヴォルグの瘴気に呑み込まれているのだ!
……瘴気? 正気? はは、どっちでもいいよ、もうどっちでもいいんだ……。僕は疲れたよ、このまま眠らせてくれ……。もうなにもしたくない……。
――このままでは人に戻れなくなってしまう! このままでは貴様がアルデラに代わり新たな魔神として再誕することになる!
……人を辞めるってことか……。それもいいかもな……。余計なことを考えずに済む、もう僕は何も考えたくない……。
――腑抜けるな! ラウラを見捨てる気か!!
……ラウラ、彼女は死んだんだ……。僕が生きている理由はなくなった……。
――違う、まだ蘇らせる方法はある! 貴様がこれまで何のために! 誰のために! 戦ってきたか思い出すのだ! 我は見てきた! 貴様の覚悟を! 輝く黄金の意思を! 太陽のような温かい優しさを! だから――
『ユウッ! 戻って来い!!』
「――ッ!?」
目を覚ました僕は血だまりの中に両膝を付けていた。吹き飛んだはずの左足が元に戻っている。
「うぷっ……、おぇぇ……」
強烈な吐き気に襲われてうずくまり、胃の内容物を吐き出す。
「はぁはぁ……」
吐物の中には砕かれた骨や血液に塗れた肉のような塊に交じって長い髪の毛が交っていた。
それは紅色の長い頭髪だ。
「なんだこれは……? 僕は、なにを……? アルデラはどうなった?」
『アルデラは死んだ。怒りで魔神の力が暴走し、瘴気に呑み込まれた貴様が喰らってしまったのだ』
「僕が……喰った……?」
『そうだ、あと少しで新たな魔神になりかけていた』
「……レイラは!?」
振り返るとレイラの姿がそこにあった。彼女はアナスタシアに膝枕された状態で横たわっていた。
胸部には鋭利な刃物で貫かれたような傷跡が残っている。彼女は呼吸をしていない。彼女は動かない。
アナスタシアには蘇生させるだけの魔力は残されていなかった。
一定時間内に蘇生させないと、肉体から魂が離れてしまう。離れた魂はもう戻らない。もう彼女の魂は戻らない。
魂がなければ蘇生はできない。
ラウラはもう生き返らない……。
「~~~ッ!!」
僕が冷静さを失ってしまったせいだ。僕が暴走しなければ魂が離れる前に蘇生できた。僕に魔力が残されていなくてもヴァルなら生き返らせることができた!
「……そうだ……まだ、方法は、あるじゃないか……」
ラウラを生き返らせるにはそれしかない。
「アナスタシア……、頼む……」
地面に落ちていたエイジスを拾い上げた僕は、アナスタシアに向けて差し出した。
ラウラを膝に抱いたままアナスタシアが僕を見上げる。
「キミはもう一度……、私にやれというのか……」
「レイラを……ラウラを助けるにはそれしかない……」
「断る」
「……なんで? あなたはこれまで繰り返してきたんだろ? 同じようにやればいいだけじゃないか!?」
「キミはあの地獄を体験していないからそんなことが言えるんだ」
「私がこれまでアルデラを倒すために、いったいどれだけの犠牲を払ってきたと思っている……、切り捨ててきたと思っている。幾千、幾万、幾億、数えきれない……、その中にはライゼンも、キミも、ラウラもいる。たったこれだけの損害でアルデラを倒せたことは奇跡に近い。もう一度やって奴を倒せる保障など、どこにも存在しない。倒せなければ元の木阿弥だ」
「たったこれだけ……、奇跡……」
僕はうわ言を言うようにアナスタシアのセリフを繰り返す。
「それに私が戻ったところで、現在の事実は変わらない。戻った地点から分岐するだけだ。私が戻るだけでキミとラウラの運命が変わる訳ではない」
アナスタシアはラウラの髪を撫でる。
「ここは初めてアルデラを倒せた唯一の世界なのだ。もう一度言うが、またやり直しても勝てる保障はどこにもない。私にとってはこれが最良の結果だ。やっとここまでたどり着いたんだ……やっと、もう休ませてくれ……」
「なにが……、〝たった〟だ……。ふざけるな!!」
声を荒らげた僕をアナスタシアは睨みつけた。
「私が……、仲間たちを……ライゼンを……、諦めるのにどれだけの時間が必要だったと思う!? キミは永劫の時を体験していないからそんなことが言えるんだ! いま、キミが感じているその虚しさがずっと続くのだぞ!」
『双方ともやめよ』
ヴァルの声が木霊した。
「そうだ……ヴァル、お前ならアナスタシアの時間遡行魔法が使えるんじゃないのか?」
「やめろ……、そんな真似はさせない」
アナスタシアは僕に杖を向けた。ハッタリだ。彼女に魔力はほとんど残っていない。
「残念だがハッタリではない。蘇生魔法は使えなくとも今のキミを殺せるくらいの魔法は使える」
『双方ともやめるのだ。時を戻さなくてもラウラを助ける方法はある』
「いま……、なんて言ったんだ?」
『助ける方法はある。少し体を借りるぞ、ユウ』
有無を言う間に体の主導権がヴァルに移る。
ヴァルは自分の口の中に手を入れると、喉の奥から何かを取り出した。それは拳ほどある結晶だ。鮮やかなコバルトブルーの光を放っている。
――それはなんだ?
『ユウが取り込んだ有害物質を体内から除去した』
――有害物質? 放射性物質ということか?
コバルトブルーに輝く結晶をどこかへ転移させたヴァルは、アナスタシアの前に歩み出て膝を曲げてしゃがむ。
『アナスタシア・ベル、レイラを地面に寝かせるのだ』
「……」
警戒するアナスタシアに『我を信じよ』とヴァルが告げると、彼女はこくりとうなずき、言われたとおりラウラの頭から膝を外して地面に寝かせた。
ヴァルは横たわるレイラの胸の傷に手刀を差し込む。
――ヴァル、なにを!?
『案ずるな、レイラの細胞から心の臓を再構築している。こうしてから蘇生術を掛けた方が肉体への負担が少ないのだ』
――でも、たとえ体が元に戻ったとしても……。
『そう、肉体が元に戻るだけだ。離れてしまった魂までは戻らない』
――僕のせいだ……。僕がラウラを殺したんだ……。
『悲観するな、ユウ。貴様は大切なことを忘れている……』
――大切なこと? お前はなにが言いたいんだ?
『魂ならここにもうひとつある』
そう告げたヴァルは親指で僕の胸を指し示した。
月曜日は最終話のエピローグまで残り三話を投稿します。




