第231話 双
レイラはカインに戻り、僕と先生は時空転移で魔境の魔王城に跳んだ。
先生を介してミルルネに状況報告と今後の作戦を伝える。
召喚陣の破壊に際して勇者の協力を得られたが、勇者は立場上、直接手を下したり、手を貸すことはできず、あくまで見て見ぬふりをすることだけ。
召喚陣の破壊には枢機教会の目を盗む必要があり、そのためには魔王軍による陽動が重要である。
大急ぎで準備すれば日没までに部隊を編制して転移することは可能だとミルルネから返事を受け取る。
僕はミルルネと直接会わなかった。顔を合わせたらリザやレイラのこと、ラウラの記憶が戻ったことなど、何もかも看破されてしまいそうな気がした。
先生がしゃべってしまう可能性もあるけど、僕が出向くよりはマシだと判断した。ミルルネがリザの死を引きずっている僕の心に付け込んでくる可能性もある。例えば「魔王軍に加わるなら灰になったリザを生き返らせてあげる」なんて言われたら、僕は彼女の言いなりになってしまうだろう。
それほどまでに僕は弱っているのだ。
休む間もなくローレンブルク邸宅の庭園へと移動した僕と先生は、そのときを待っている。
日没はもうすぐだ。聖都カインはいつも通り静かで穏やかだ。これから起こる騒乱など一体誰が想像できるだろうか。
この旅が始まってから僕の隣にいてくれたリザはいない。
今、僕の隣にいるのはヘンリエッタ先生だ。といっても先生は僕の監視役をミルルネから引き続き仰せつかっている。摩天祭壇まで同行して超級召喚陣の破壊を確認するのが彼女の役目。
そして、その時はやってきた。
太陽が完全に沈むと同時に、半鐘を激しく叩く音が鳴り響く。
――時間通りだな。
その時を待ち構えていた勇者レイラが屋敷の方から歩いて現れた。近衛隊の白亜の隊服に身を包んだ彼女は僕の前で立ち止まる。
「時間です」レイラは言った。
「そんじゃサクッと頼むよ」
右腕を水平にあげた僕の前で、レイラがエイジスを鞘から抜く。
「まさか聖剣で最初に斬るのがあなたの腕とは思いませんでした」と彼女は少しおどけてみせる。
現在の人格はレイラがやや強いようだ。
「ヴァル、しばしの別れだな。寂しくても泣くなよ?」
皮肉を込めて右腕に語りかけた僕にヴァルは『可能な限り早く戻すのだ。離れている時間が長ければ長いほど戻ったときの反動が大きくなる』といつもの調子で返されてしまう。
ヴァルは僕の身を案じてくれている。
どうしてヴァルは単なる契約者でしかない僕のことをこれほど心配してくれるのだろうか――。しかし、それは後で考えればいい。今はミッションを成功させることに集中するんだ。
「分かった。すぐに終わらせてくる」
「では、いきます」
そう告げたレイラは目にも止まらぬ速度で剣を振った。
一刀両断、僕の右腕を肩の付け根から切り離される。傍で控えていた先生がすぐさま傷口を治癒してくれたおかげで痛みもなければ出血もない。息の合った完璧な連携作業だ。
僕から離れた右腕は、干からびて元のミイラに戻っていく。
「それでは私は城門に向かいます」
切り落とした右腕を持ったままレイラは踵を返して走り出す。
魔神ヴァルヴォルグのパーツはアルデラに狙われている。どこかに隠しておくより、彼女が持っている方が安心だ。
ここまでは作戦通り――。
僕と先生は兵士たちの流れに逆行して枢機教聖堂へと歩いていき、何食わぬ顔で聖堂に入って地下にある摩天祭壇に向かう。
狙い通り神殿内の警備は薄く、数人のカイン兵士の他に神官たちしかいない。堂々と関係者のふりをしていれば疑われることもなく先へ進むことが出来た。
そして、摩天祭壇がある部屋の前にやってきた僕らの行く手を阻んだのは、魔法陣が直接扉に刻まれて結界が施された扉だった。
先生が言うには、扉を開けるには複雑な開錠術式が必要とのことだ。また、解析することは可能だけどそれなりに時間が必要とのこと。
なので、僕は扉ではなく壁を時空転移魔法で削り取って中に入った。
摩天祭壇は、高い吹き抜けの天井から自然光が注ぐ円形の部屋だった。床はタイルが敷き詰められているけど、壁は洞窟のように岩が剥き出しになっている。夜なのに太陽のような暖かい光が降り注いでいるのはなんらかの魔法か加護だろうか――、おっと、今はそんなことを考えても仕方がない。
その名の通りに部屋の中央には演劇のステージのように一段高くなった〝祭壇〟があり、魔法陣特有の淡く青白い光を放っている。
「あれか……」
祭壇に飛び乗った僕が見たものは――、
「ふたつ?」
祭壇に直接刻まれたふたつの魔法陣が並んで存在していた。
「どっちが召喚陣なんだ? 先生……、分かりますか?」
「い、いえ……。たいていの魔法陣なら構成紋様で判別できるのですが、このパターンは初めてなので分かりません……。おそらくこれを造った方は私など到底足元にも及ばない高位の魔導士です。お役に立てず申し訳ありません」
自分を卑下しているが、こう見えてもヘンリエッタ先生は陣界科の専任教員だ。
グランベール学院で教鞭を取る彼女が分らないのなら、この魔法陣を初見で見分けられる人間は世界中どこを探しても見つからないはずだ。なにせ召喚陣を造ったのは神さまのヴァルヴォルグなのだから。
「先生に分からないんじゃお手上げですね、ヴァルに聞いておくんだったな」
「どうしますか?」
「仕方ない……。どっちも壊しましょう、時間もないし二つで一つの可能性も無きにしも非ず、って訳で」
えいや、と時空転移魔法を展開して床に刻まれた魔法陣を削り取った。
淡く輝いていた光が次第に弱くなり、やがて完全に消えて機能が停止する。
「これでよし、と……。意外とラクショーだったな」
しかしながら、どうにもさっきから右肩が重い。
腕のない肩に触れてみると、切断面から黒い靄が滲み出ている。靄はまるで僕を捕り込もうとするかのように、右肩から全身に向かって流れながら霧散して消えていく。
――これがヴァルの言っていたタイムリミット、黒靄が全身を覆ったらその時点でゲームオーバー。ヴァルの忠告通り、離れている時間は少しでも短い方が良さそうだ。
「先生、帰りましょう」
「はい」
同時に踵を返した僕らの前に〝ヤツ〟が立っていた。
先生の肩が跳ね上がる。
そこにいたのは燃え上がるように紅く長い髪、額から生えた二本の角、その手には三叉のピッチフォーク、頭髪と同じ紅の瞳を持つ少女。
デリアル・ジェミニ――いや、異端者アルデラ。




