第228話 覚悟
「わ、わー、トッテモオイシソウダナー」
僕がリザのスープに惜しみない賞賛を送るとレイラは肘で脇腹を小突いてきた。
「正気ですか? どう見ても毒ですよこれは……」
顔をグッと近づけてきた彼女が僕の耳元で囁く。吐息が掛かってくすぐったい、それから石鹸の良い匂いがする。くんかくんか。
「ひどいこと言うなよ、せっかく作ってくれたんだからさ。たぶん味は見た目より悪くないって、たぶん」と小声で言い返す。
「前後を『たぶん』で挟まれた言葉を信用しろというのですか……」
「さあ、たくさん食べるのじゃぞ!」
僕らのことなどお構いなしにリザは手際よくスープをお椀によそって、みんなに配っていく。
「いただきます!」
お椀が全員に行き渡ったところで、僕は覚悟を決めて一気にずずずーっと謎スープを啜った。
「むむっ!」
かっと目を見開かせる。
「こ、これは!?」
「どうしたんですか!?」
「あ、味がある……」
「は?」
「今までリザが作る料理はほとんど味がなかったんだ……。けれど今回はちゃんと味があるぞ! これは塩味だ! そして干し肉の臭み消しに香草を使っているだと!? これはすごい進歩だぞ!」
「そこまで感動することなのですか……」
僕に続き、ごくりと喉を鳴らせたレイラがスプーンでスープを掬い、お上品に口を付けて呑み込んだ。
「……確かに意外にイケます。見た目ほど悪くはありませんね」と、お椀の中を見つめてホっと息をつく。
先生はというと、あまり気にせずスープを飲んでいる。魔境では割とスタンダードな色なのかもしれない。
全員が飲んだことを確認したリザが、にこりと満足気に微笑んだ。
どういう訳か、僕はその笑顔に違和感を覚えたのだ。
いつもと何か違う。
安心とは少し違う別の安堵感。その安堵感の正体が一体なんなのか、なぜか気になる。
ふとリザの手元をに目を移すと、スープが減っていない。彼女はまだ口を付けていない。
いつもは一番に食べ始めているのに、今日は遠慮しているようだ。
「……ん?」
僕は自分の体に異変が起こっていることに気が付く。
スプーンを持つ指が痺れている……?
お椀を持つ反対の指も同様に痺れている。指だけじゃない、足の指先の感覚も鈍い。
直後、斜向かいに座っていた先生が目を見開かせて倒れた。
「先生ッ!?」
うつ伏せに倒れたまま動けない先生の体が痙攣している。
「うっ……、は、はやく……」
何かを言いかけたレイラは、自らの首を抑えている。そして先生に続いてレイラも倒れてしまった。
「がっ……」
次の瞬間、僕の手からお椀が滑り落ちていき、意思に反して体勢が崩れていく。
全身が痺れて力が入らない。動けない。
――これは、麻痺だ……。麻痺毒? まさかスープに? どうして? リザが毒なんか?
動かせるのは眼球のみ。倒れた僕らをリザは平然と見下ろしている。
「……り、ザ……」
僕は掠れた声で傍に立つリザを見上げた。
――どうしてこんなことをしたんだ!?
「妾が切り落とした竜の角を砕いて作った毒じゃ。死に至らぬように量を調整しておるから十数分もすれば効果は切れるはずじゃ」
「……な、ぜ……」
リザは微笑んだ。いつも通りの無邪気で心が暖かくなる彼女の笑顔だ。
「主と最初に出会ったときに言ったであろう? この『出会いは運命じゃ』とな。つまり運命なのじゃ、こうなることはの……。あのとき、主と出会ったときから決まっておったのじゃ」
彼女はうつ伏せに倒れた僕の体を仰向けにして、その上に跨った。
食事の前に彼女がヴァルと交わしたセリフが脳裏に過ぎる。
「……ま、まさか……」
僕の代わりに自分の魂を捧げるつもりか――。
「ふ、ふざけるな…………リザ、馬鹿なことはやめるんだ……」
「主は妾のためなら死んでも良いと言ってくれたの……」
「……そうだ……命だって、惜しくない……」
「同じなのじゃ」
「……な、に……?」
「妾も同じなのじゃ。主のためなら死ねるのじゃ、命だって惜しくない」
――そんなことをしてみろ! 僕はキミを許さない! 絶対に許さないからなッ!!
もはや声すら出なくなった僕を慈愛に満ちた瞳で見つめて微笑んだリザは、ボタンを外して上着を脱いだ。
上半身がはだけて露わになった彼女の肌を月明かりが照らす。
「ッ!?」
――それはッ!?
リザの肌が月明かりに照らされて闇夜に浮かび上がる。健康的で美しかった彼女の肌は焼け焦げたみたいに黒く変色し、ハリと瑞々しさが失われ、ガザガザに剝がれ落ちそうなほど乾燥している。
そして、黒い部分は彼女の首のすぐ下まで浸食していた。
「妾は病に侵されておるのじゃ。もう長くはない」




