第225話 魂の価値
「明日の日没?」
頭の中が真っ白になった。
何を言われたのかすぐに理解できなかった。それでも重要な部分だけは、はっきりと耳に残っている。
「明日の日没に、僕は死ぬ……」
『明日の日没と同時に契約が成立し、ユウの魂は我の物になる』
死ぬのか? 僕は、明日の日没でこの世界からいなくなる?
「……そんないきなり……」
『見誤った我のミスだ。すまない……』
「なんでもっと早く――」
言いかけて僕は口を噤んだ。
違う――。
そもそもそんなことを教える義理なんてヴァルにはない。
契約通り、僕がヴァルの力を借りて対価として自らの命で支払った、ただそれだけのこと。黙って契約を履行することだって出来た。
それなのに、僕の寿命が短くなっていることに気付いたヴァルは、試合中に補助魔法の付与を中止してくれた。
あのまま付与し続けていれば、僕は決闘の最中で死んでいたのだ。
ヴァルに感謝はしても僕がヴァルを責めていい理由なんてない。
「いや……、ありがうとうヴァル。教えてくれて、その……助かったよ……。このまま何も知らずに死ぬところだった……」
ヴァルは何も言わなかった。代わりに声をあげたのはリザだった。
「嫌じゃ!」
「……リザ」
「嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ!! そんなものは認めぬ! 主よ、契約とは一体なんのことじゃ!」
リザが僕に詰め寄る。言葉を詰まらせた僕の代わりにヴァルが答える。
『前世でユウは死ぬ今際に「力を貸せ、転生できたらこの命をくれてやる」と我に願った。我は願いを聞き入れて契約を結び、ユウとラウラを転生させた。その後、最初に交わした契約を改変して二つにした。ひとつは、死亡と同時に魂を受け渡すという契約。もうひとつは、我の力を貸す代わりに対価として相応の寿命を貰い受けるという契約だ。そしてその時が、明日やってくる」
リザは立ちすくみ、誰もが押し黙った。
この世界において精霊や悪魔との契約は特別な意味を持つ。ましてや相手は神だ。どう足掻いても回避することはできない。破ろうとすればその時点で命を以って代償を支払わなければならない。種族や子供から大人まで世代を超えて誰もが知る世界の常識で理だ。
それでもリザは食い下がる。
「なんとかならんのかや! 主は神であろう!」
『……ひとつ目はどうあっても回避はできない。しかしふたつ目は条件次第で回避することは可能だ』
「ほ、本当かや!?」
「……その条件は?」僕は聞いた。
『ユウの代わりに他者の魂を捧げることで、ふたつ目の条件を満たしたと見做す』
つまり自分が助かる代わりに誰かを生贄にしろということだ。
当然、獣や魚で済むはずがない。等価以上の魂が必要になるはずだ。一言で言えばヒトの命である。却下だ。そんな方法は認められない。
「……魂なら誰の物でも良いのかや?」
『ユウの魂と等価以上であれば可能だ。しかし因果の特異点のようなこの男と吊り合う魂などそうそう存在する物ではない』
皮肉にも僕の命の値段はかなり高いらしい。喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、どちらにしても生贄なんて認められない。
「そうじゃ……」
リザの瞳に光が瞬いた。
「……例えばなのじゃが……、恒竜族の族長の娘の魂はどうじゃ? 人族よりも強く長命じゃ、そん色はなかろう」
『確かに等価以上と言えるであろう』
ヴァルが答えた直後、僕は立ち上がっていた。
「キミは何を言ってるんだ……、リザ」
静かに怒りを露わにする僕に対して、彼女は清々しいくらい迷いのない瞳で見返してきた。
「なんかこう、すとんと腑に落ちてしまったのじゃ。妾がなぜ生まれてきたのか、前世体のラウラという者が魂をふたつに分けた理由もすべて、きっとこの日のためだったのじゃ」
一切の疑いもなく、そうすることが当たり前のように彼女は言い切った。
自分の命が関わっているというのにリザの目には微塵の疑いの色もない。その表情があまりにもごく自然過ぎて、僕は圧倒されてしまう。
「な、なにを言っているって聞いてるんだ……。この日のためにラウラが魂を分けた? そんな訳ないだろ、魂が分離したのは魔法が不完全だったからだ……、キミは僕を生かすために自分が死ぬと言うのか?」
「その通りじゃ」
「ふ……、ふざけるなッ! 僕は認めない! 絶対にだ! そんなことラウラだって望んでいない! 僕はラウラのためなら死ねる! もちろんキミのためだって死んでもいい! だけどキミを犠牲にしてまで自分が生きようなんて思わない!」
「主よ……」
僕に怒鳴られたリザは困惑しているようだった。まるで自分がなぜ怒られたのか理解できない子供のように、彼女は微苦笑を浮かべた。
「じょ、冗談じゃ……、そんな怖い顔をするでない。つい感傷的になって口走ってしまったのじゃ……」
再びリザが変なことを言い出す前に僕はヴァルに告げる。
「ヴァル……、もちろん約束は守る。契約通りこの魂は明日からお前のものだ。今までありがとう、僕はお前に出会えてよかったと心から思っている」
『……このような形で終わるのは不本意であるが、我もユウと一緒に旅が出来て楽しかった』
静かに眼を閉じた僕は、胸いっぱいに空気を吸い込み、同じ時間を掛けてゆっくりと吐き出す。
「明日の日没が来たら僕の意識はどうなるんだ?」
『消える。それが死だ』




