第208話 地下
「ひぎゃあ!」
さらに僕は髭面の頬に往復ビンタを喰らわせた。
なんとなく男の顔がムカついたからではない。断じてない。そんなあやふやな理由ではなく明確に男の顔がムカついたからだ。
「その割には『ヒャッハー』とか叫んでノリノリだったじゃないか。たとえ魔人が相手だろうと乱暴は許さん。特に若い娘を攫っていらやしいことをしようなど紳士の僕は看過できない。そういうことは妄想だけで我慢しろ、それが紳士のあるべき姿だ! お前たちは誉高きリタニアス兵だろ!」
「う、うう……」男は僕に殴打された頬を抑えた。
「お前たちが命令されてやっていたなら命令したボスがいるはずだ。そいつは誰だ?」
「そ、そいつは言えねぇ……」
「なぜだ?」
「言ったら殺すと脅されている……。俺たちはあいつから逃げることができぇね、アジトには俺や他のヤツらの嫁と子供いるんだ、人質としてな……」
「嫁と子供? どういうことだ? お前らの家族も捕虜として魔境に連行されたのか?」
「それは……」またまた男は言いよどむ。このまま会話していても先に進みそうにない。
「事情があることは察した。とにかくお前らのボスに会わせろ」
「む、無理だ! あんたをアジトに連れて行ったりなんかしたら間違いなく殺される!」
「お前らに命令しているのはゾディアックか?」
男は答えない。僕から逃げるように視線を逸らした。
「ならこうしよう。お前たちは今からアジトに引き返すんだ。ただそれだけでいい」
「なに?」
「僕はお前たちの後を追って勝手にやらせてもらう。それなら何の問題もないだろ?」
髭面の男は逡巡した後に頭を小さく縦に振った。
「わ、分かった……。だがアジトに来て何をするつもりだ?」
「さあな、それは状況を見てから判断する」
髭面の男はごくりと喉を鳴らした。
「……あ、あんたは一体何者なんだ?」
「僕はロイ、勇者ロイ・ナイトハルトだ」
「勇者だって……ほ、本物なのか?」
「ただし教会ではなく、フィオナ女王公認の勇者だ」
「……いま、なんて言った?」
「フィオナ女王公認だ」
フィオナの名を聞いた途端、髭面の男の口元が戦慄き、今にも泣き出しそうになっている。
「そうか……女王様は……ご無事なのか……」
もうこの男から敵意は感じない。
「よし、さっそくアジトへ引き戻せ」
髭面は黙ってうなずいた。
「リザ、もう出てきていいよ」
僕はリザを呼んだ。物陰に隠れていた彼女が姿を現すと、その美貌に一部のリタニアス兵たちがざわつきはじめる。以前から感じていたが、リザには単なる美貌だけでは片付けられない生まれついての魅了の加護があるような気がする。
「変な気を起こすなよ、彼女は恒竜族だ」と僕が釘を刺すと彼らは一瞬で青ざめていた。
それから、僕とリザは引き返していく猿の魔獣の群れを空から追いかけてたどり着いたアジトは、村からそう離れていない谷間にあった。
アジトと言うより村と呼んで申し分ない規模である。住居は泥ではなく木と石を組み合わせて造った家であり、井戸や畑、猿の魔獣を飼育する厩舎のような施設もある。
豊かとは言えないけど、さっきの集落と比べ物にならないほど充実している。
アジトの西側にある大きな建物は学校のようだ、グラウンドでは魔人の子供たちが剣を振っている。剣術指導しているのは人族だ。
一体なんだ、この場所は……。
魔獣の背中から降りた髭面の男は、空に浮かぶ僕らを一瞥してアジトの本部らしき石造りの屋敷に入っていった。
僕らは空から降下する。彼の後を追ってその建物の扉の開けた。
すぐに剣を抜いて戦う準備をしていたが、意外にも建物の中は普通の住居だった。
広々としたリビングルーム、ダイニングにキッチン、スタンダードなレイアウトで家具も一通り揃っている。
キッチンの棚は村人たちから奪ったと思われる食料で満たされていた。
「村の人たちはあんな暮らしなのに、あんたはずいぶん良い暮らしをしているんだな」
僕は皮肉を込めて髭面の男に言った。
「ぐ……、さっきも言ったが俺は命令されたとおりにやっているだけだ……。頼むから早く出ていってくれ」
「気にするな、さっきも言ったが僕がお前の後を追って勝手にやっているだけだ。盗賊に襲われたと思ってくれ」
そのとき、奥の部屋のドアが開いた。
「シモン、帰ったの? あ……、あなた、お帰りなさいませ……」
出てきたのは魔人の若い女性だ。痩せてはいるが彼女の顔色や肌ツヤは村人たちに比べればずっと良いけど、どこか生気がない。
「……その方たちは?」
彼女の視線が僕らに移る。
「なんでもない。部屋に入っているんだ」
「は、はい……」
魔人の女性は部屋に戻っていった。
「彼女は?」
「……俺の妻だ」
「こっちで魔人の彼女と結婚したのか? シモンというのはあんたの名前か?」
「シモンは――」
「あんたの子供か?」
「ああ……、そうだ」
「あんたはいつから魔境にいるんだ?」
「もう十年近くなる」
十年、そんな前からリタニアス兵たちは拉致されていたのか。
「村から攫ってきた娘を孕ませて子を産ませたのじゃな……、畜生の所業じゃ」そう言ってリザは髭面の男を蔑む。
「し……、仕方なかったんだ! 言うことを聞かなければ俺は……、俺たちは殺されていた!」
「誰に?」
「それは言えない……」
「……お前はさっきから何を言っているんだ?」
僕の中で何かが音を立て切れた。
攫った女児を犯して子を産ませた下衆野郎には、罰を与えなくてはならない。
剣を鞘から抜いて男に近づいていく。
「や、やめてくれ! 俺の話を聞いてくれ!」
「話だと? 十分聞いたよ……。でもお前は『言えない言えない言えない言えない』ばかりだ。もういいよ、お前の話は十分だ」
「……主よ、この下から生き物の気配がしないかや?」
「なに? 本当だ……、弱いけど気配がする。まさか……」
まさか村から攫われてきた魔人の子供たちがこの下に閉じ込められているのか?
僕は床に敷いてあるカーペットを捲り上げた。その下から四角い扉が現れる。
「地下入口か……」




