第201話 君臨
一分間に五十メートルといったところだろうか。
歩くよりもやや遅いスピードで、かれこれ一時間近く地面を掘り進んでいる。そろそろ城内に入ってもおかしくない頃合いだ。
まさかこんな地味で姑息な手段で侵入してくるとは想像もできまい、くくくっ……と僕は勇者にあるまじきゲスな笑みを浮かべる。
ううっ……やばいな、魔力の枯渇で頭がくらくらしてきた。そろそろ限界だ……。
『堀を越えたぞ、もう少しで城の地下三階に到達する』
時空転移魔法を展開した先の土が崩れて空間が現れる。ローレンブルク城の地下の壁をぶち破ったようだ。
サラマンダーの加護で小さな灯を作り出して辺りを照らすと、そこは地下倉庫だった。
床に足を付けた僕の体は、ぐらりとふらつき視界が傾いていく。僕の意識が内側に沈んでいき、代わりにヴァルが表層に現れた。
首をこきこきと鳴らしてヴァルは周囲を見回す。倉庫の中は雑物で溢れているけど、何者かが潜んでいる気配はない。
部屋の扉を開けて廊下に出たそのとき、魔人の右腕が何かを掴み取る。
『姿を見せていくらも経たずに我を見つけるとは、なかなかやるではないか』ヴァルは言った。
ヴァルは掴んだ氷柱を握りつぶす。粉々になったクリスタルが可視化されて床に落ちていった。
――まさか攻略したのか、あの技を……どうやって?
『魔力の流れだ。氷柱自体に魔力が籠もっているのだから探知するのはさほど難しくない』
――なんだよ、それなら最初からやってくれよな。
『やってみたらできただけだ。確証はなかった』
――そうですかい……。
『術者はこの上のようだ。いくぞ、竜族の娘よ』
「う、うむ……」
リザが緊張している。そういえば表に出てきたヴァルと会うのは初めてだったか。
再びヴァルが氷柱を掴み取る。
やはり狙われているのは僕だけのようだ。敵はリザが恒竜族だと把握している。きっと空を飛んでいるときから僕らを見ていたのだろう。
地下から地上へ、ヴァルは迷いなく階段を昇り、さらに上階を目指していく。城内は静まり返り、魔人兵士が現れる様子はない。
僕は意識の内側で城内を観察する。
話は全然変わるけど、ローレンブルク城は柱や壁の細かいところまで彫刻が施されていて、城主の芸術に対する造形の深さやこだわりを感じさせられる。今まで見てきた建築物の中でも特に歴史的な価値が高そうだ。
そうこうしている間に目的地に着いていた。
『ここが謁見の間だ』
ここまで敵影なし、氷柱の攻撃も効かないと分かったのかピタリと止まった。
特に警戒することなくヴァルは扉を開ける。
入り口から長いカーペットが階段の上の玉座まで続き、王と王妃が座る玉座には男と女、ふたりの魔人が座っている。
さらに彼らの側近と思われる十数名の魔人たちが左右の壁に沿うように並んでいる。腕が四本だったり、目が六つあったり、タイプは様々で初めてお目にかかる種族もいる。
「ようこそ、侵入者さん」
玉座に座る青髪の女魔人は余裕の笑みを浮かべた。
彼女の社交辞令を無視して玉座に向かって歩き出したヴァルが、玉座の魔人に問う。
『我に矛を向けたのは貴様らで間違いないな?』
「その前に自己紹介くらいさせてくれたまえ」
玉座の男は言った。正に王様気取りだ。
「俺はゾディアックがひとり《宝瓶宮》エルガル・アクエリアスだ」
「私はゾディアックがひとり《人馬宮》セシルル・サジタリウスと申します。私たちの槍の味はいかがだったかしら? まさか掴まれるなんて思ってもいなかったけど、一体どういう手品? あなたの特殊スキル?」
『退け』
女魔人の質問を無視してヴァルは告げた。
「はい? なんですって? よく聞こえませんでしたの」
『退けと言ったのだ。そこは我の席である。貴様のような下賤な者が座れる場所ではない』
青髪の女魔人はくすくすと笑いはじめた。玉座の男魔人も大仰に肩をすくめてみせる。
壁に並ぶ部下たちも彼らに続いてゲラゲラと笑い出した。謁見の間は魔人たちの笑い声に包まれる。
嘲笑う彼らに対して、ヴァルは静かに右腕を水平に上げた。直後、巨大化した魔神の右腕が城の壁を突き破る。ガラガラと崩れた分厚い壁の瓦礫が外に落ちていく。
右腕のみだが、これが本来のヴァルの姿。極刀の仮面をアップデートするときに僕が観た禍々しい魔神の腕、そのものである。
「……ッ!?」
空気が一変した。一瞬で張り詰める。
溢れ出した魔神の片鱗が空間を侵食しく。
右腕だけでこの圧倒的なまでの存在感、魔力の桁が違う。
魔力に乗せて放たれる殺意に魔人たちは戦慄し、完全に委縮している。心臓を鷲掴みされたように表情を強張らせて固まっている。
本来の姿を僅かに顕現させただけで、ヴァルは彼我の戦力差を見せつけこの場を支配してしまった。
『貴様らのせいで我が居城が壊れてしまったではないか……、どうしてくれる?』
淡々とした口調でヴァルは問うが、滲み出るプレッシャーに玉座のふたりはガチガチと奥歯を鳴らしている。
答えられないふたりにヴァルは溜め息を吐いてみせた。
『もう一度言う、そこを退け』
玉座のふたりは立ち上がり、おぼつかない足元でヴァルの前に歩み出ると、両膝を床に付いて深く頭を垂れた。
「こ、これまでの非礼をお詫び申し上げます……。そして叶うのならば、あ、あなた様の配下にして頂きたい……」
「右に同じですの……」と青髪の女魔人が続いた。
『貴様らの王を裏切ると申すか?』
「強き者に従うのが我ら種族の鉄則、それこそが唯一無二の掟です。是非、我々をあなた様の配下に……」
『ならん』とヴァルは申し出を一刀両断で斬り捨てた。
『我が領土に土足で上がり込んだ挙句、城を壊した者がその無礼を悔やみ潔く自害するならまだしも、あまつさえ我の配下に加えろだと? 貴様らには死という選択しかありえん』
ふたりの顔は真っ青だ。脂汗が止まらない。
「ど、どうか……ご慈悲を……」
『貴様……、我に何度同じことを言わすつもりか?』
「っ……!?」
ふたりは諦めるように顔を伏せてしまった。
魔神を前にして反論も命乞いも一切許されない。
彼らに残された選択は自分で死ぬか、殺されるかの二通りだ。
う、うーん、ヴァルのヤツいくらなんでも身内に厳しすぎないか……。ちょっとかわいそうになってきたぞ。ふたりとも泣きそうな顔をしているじゃないか。
『そこの貴様、このふたりの首を撥ねよ』
右腕を元に戻したヴァルは、壁に並ぶ側近のひとりを指さした。




