第194話 雷閃
「いったいどれだけ湧いてくるのだ」
《不動の戦慄》デスピア・ローゼズは嘆いた。
中央階段のある大広間で彼女は押し寄せる魔王軍と戦いを繰り広げている。突如としてはじまった開戦からこれまでに屠ってきた数は百や二百ではきかない。
もう飽き飽きだ。
体は傷だらけで、そこかしこから血が流れ落ちていく。早く川に行って油のような魔人の血を洗い流したい。
「文句を言っても敵は帰ってはくれませんよ」
マリナ・テスタロッサは言った。
互いの背中を預け合う彼女も肩で息をしている。剣も甲冑もボロボロで彼女自身も満身創痍だ。
「ふん、相変わらず面白味のないヤツなのだ」
デスピアとマリナを残して味方は全員殺されてしまった。
徐々に押されて後退したこの大広間を守るのはふたりだけ、これ以上敵を上階に行かせる訳にはいかない。なんとしても死守しなければならない。
魔王軍の兵士は殺しても殺しても次々と押し寄せてくる。
「面白さなど戦いには必要ありませんからね……デスピア、上です!」
天井に張り付く四つ手の魔人がデスピア目掛けて槍を投げつけた。槍はデスピアの肩をかすめて床に突き刺さる。あと少し反応が遅れていたら槍はデスピアの頭に突き刺さっていただろう。
すかさずデスピアは鎖で反撃する。四つ手の魔人を絡み取りそのまま床に叩きつけた。
本来ならば槍がデスピアに到達する前に鎖の自動迎撃によって阻まれている。
――《自動迎撃》の反応が鈍くなってきている。
だいぶ前から呪いが弱まってきていることにデスピアは気付いていた。
それは雷帝ライディンの孫、ユウ・ゼングウと出会ったときから顕著に現れ出した。
彼女は自分が満たされていることを感じていた。
デスピアは一族から忌み子と疎まれ、追放された。
憎しみを糧にする呪いの力は、雷帝との出会い、その孫との出会いを経て薄まりはじめた。一族に対する憎しみなどどうでもよく思えてきた。
今となってはもはや怨みなどない。呪いが完全に消えるのは時間の問題だ。
デスピアは思わず笑ってしまいそうになった。
あれだけ忌避していたにも関わらず今や必要としている。なんと馬鹿げた話か。
ライディンの近くに行けると思うと嬉しく思えてくるから不思議である。その孫、ユウ・ゼングウもゾディアックと戦って死亡したと聞いている。
この世界にはもう何もない。
あの日からすべてが惰性だった。
ただ言われるがまま生きているだけだった。
それも終わりにしよう。
最初から世界を守る義理なんてないのだ。今回だって途中で逃げても良かった。
そうしなかったのはマリナがいたからだ。
彼女は残ることを選んだ。戦うことを選択した。
準勇者としての使命を全うすることを選んだ。
――なぜ?
デスピアは思う。
マリナが自分と一緒にいるのは教会に雇われていたからに過ぎない。彼女と自分を繋ぐのは契約と金であり、それ以外はない。
それでもだ。例え任務だったとしてもマリナはいつも傍にいてくれた。叱ってくれた。たしなめてくれた。酔っぱらって倒れたときは離れず近くで見守っていてくれた。
笑い合い、喜びを分かち合い、共に戦ってきた。
デスピアは死の淵で知った。
それが仲間なのだと、始めてできた友人なのだと。
このままではジリ貧だ。どちらが倒れた瞬間に敗北は決定する。ふたりとも死ぬ。ならば先に逃げるか、否だ。
――マリナだけは生かしてあげたい。絶対に死なせたくない!
「マリナ、今まで楽しかったのだ」
「デスピア?」
「お前はこのデスピアにとって唯一の友だったのだ。出会えて嬉しかったのだ」
「なにを言っているのですか!」
「さあ、このデスピアが最後の華を咲かすのだ」
デスピアは最後の力を振り絞って無数の鎖を同時に顕現させる。ひしめく敵の間に鎖を走らせて無理やりこじ開けて扉へと続く道を作る。
「行けマリナ! 逃げて生きるのだ!」
しかし、もうデスピアに残された力はなかった。敵を押しとどめていた鎖が砕けて落ちていく。
拘束から解放された兵士たちが濁流のようにマリナに襲い掛かった。無慈悲に刃が振り下ろされる。
「マリナぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁッ!」
――神さま、あんたに初めて祈るよ。今まで信じていなかったことを謝る。都合がいいことは分かっているのだ。だけど、どうか、どうか助けて、助けてください……。お願いだから、どうかマリナを助けてください……。
刹那、稲妻が走った。雷閃が大広間を駆け巡る。階段から降りてきたそれは瞬く間に魔人兵を切り刻んでいく。
「あ、ああ……」
デスピアの眼から涙が零れ落ちる。
目にも止まらない速度で剣を振るその姿はグランジスタ・ナイトハルトそのものだ。しかしその者に宿った魂の光、漲る闘志は、かつて愛した男と同じだった。
「ライディン……来てくれたのだな……」
デスピアの目から涙が零れ落ちた。
自らが生み出した死骸の真ん中で少年は立ち止まる。
ダークブラウンの髪と瞳、左右の手には片手剣、容姿も戦い方も雷帝ライディンとはまるで違う。
だけどデスピアには解っていた。
「小僧ォォォォオオオオッ!」
少年の身の丈を大きく超えるオーガが咆哮を上げた。隊長各と一目で分かる意匠を凝らした鎧を纏うジャイアントオーガが少年の前に立ち塞がる。
「このオレ様が相手をしてやる!」
自分を見下ろす敵に少年は、その必要はないと言って剣に付着した血を払った。そのまま剣を鞘に戻してしまう。
「ぬあにぃぃぃぃッ!? この臆病者めがぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁッ!」
「うるさいなぁ、もう死んでいるのに唾を飛ばさないでくれよ」少年は顔をしかめて言った。
その直後、オーガの首と四肢が胴体から離れていく。首と四肢はすでに切断されていた。
「はあ?」
オーガはまだ自分が死んだことに気付いていない。
デスピアの眼には閃光が走ったようにしか映らなかったが、斬ったのはオーガが少年の前に歩み出たときだ。少年の刃圏に入った瞬間に勝敗は決していた。
恐ろしく速く、とんでもなく強い……。
隊長格のオーガが敗れたことによって魔人兵たちは敗走をはじめる。
絶望的な局面を乗り切ったが、これは戦争全体の一部に過ぎない。戦況が変わった訳ではない。ヤツらは体勢を整えて再び攻めてくる。
「デスピア、マリナさん、怪我を見せてください」
少年は互いに支え合うデスピアとマリナの前で腰を屈めた。加護の温かい光が傷を癒やしていく。
「キミは……、一体……」
マリナは自分たちの名前を知る少年を不思議そうに見ていたが、デスピアは疑問に思わなかった。
「ライディン……」
自然とその名が口から零れていた。
「え?」マリナはキョトンと目を丸くさせる。
「デスピア、積もる話は後だ。キミたちは謁見の間へ急いで行ってくれ。女王とアルペジオ、それからタルドとバリウスがいる。彼らと一緒に女王を守るんだ」
「わかりました……」マリナが答えた。
「イザヤは?」
「王都の跳ね橋門付近で戦っているはずです」
「わかった……デスピア?」
デスピアは少年の服の袖を掴んでいた。離れたくなかった。一緒にいたかった。この手を離したら二度と会えない気がした。
少年はデスピアの手を優しく握って微笑む。
「大丈夫、また会えるよ。それじゃあ行ってくる」
そして風のように走り出していった。
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