第192話 雷光
――今まで一体なんのために戦ってきたのだろう。
アルペジオ・ゼタ・ケイロスはそんなことを考えていた。
先祖の故郷を取り戻すという目的を果たすために冒険者になって、準勇者の仲間になって、イザヤが勇者に昇格して勇者パーティの一員になった。
北方大陸の奪還は目前に迫っていると思っていた。
あれから十五年、自分たちはこの場所から進めずにいる。
それどころか突如として転移してきた魔人騎士団によって死守してきた王都門は呆気なく突破された。
王国軍は態勢を整えることができないまま戦争に突入し、自陣の中で追い込まれている。
フィオナ女王を守護せよとイザヤから指示を受けたアルペジオ、バリウス、タルドの三人は、リタニアス城の地下にある隠し通路から国外に脱出を試みたが、隠し通路に至る扉はすでに敵によって包囲されていた。
女王を守りながら突破するのは難しいと判断したバリウスは、まだ敵の手が届いていない下水路を使うことを決断する。
しかし、バリウスたちの動きは読まれて先回りされ、新たに城内に侵入してきた魔人兵によって退路を塞がれてしまった。彼らは上階に逃げることを余儀なくされ、ついに謁見の間に追い詰められてしまう。
アルペジオはフィオナ女王と彼女の侍女であるシャルロットを背後に回し、魔人騎士にとり囲まれている。
バリウスとタルドはここにはいない。敵を食い止める過程で彼らと別れたまま合流できていない。女王と侍女を守るのはアルペジオのみ。
女王は魔王軍との戦いが激化した十五年前のあの日から今日に至るまでリタニアスに残り続けた王族だ。
先代王が病に倒れ、跡を継いだ兄や軍を鼓舞するために前線で指揮を執った弟は戦死した。もはやこれまでとリタニアスを捨てた王族や家臣たちは国を去っていった。
その絶望的な中で彼女はこの国を支えて防衛の中心を担ってきた。傷付いた騎士を励まし、国民に団結を呼びかけ、最高神官に書状を送って三人の準勇者を招へいすることに成功した。
女王陛下は国民にとって唯一の光だ。
この人だけは絶対に死なせる訳にはいかない。
そう決意して今まで戦ってきたアルペジオだったが追い詰められて袋の鼠となり、もはやこれまでとなったこの状況で考えてしまった。
一体なんのために戦ってきたのだろう――、諦めが全身を浸食していく。
アルペジオは杖を握りしめて立ち上がった。
戦士職でない彼女に魔人と戦う術はない。それでも勇者パーティの一員として使命を果たさなくてはならない、そう思った。
目の前には趣向を凝らした黒い甲冑を身に纏う魔人、そして彼に従う七人の魔人騎士が後方に控えている。
「女王フィオナ、あなたを殺せばこの国は終わりですね。ああ、早くあなたを調教したい。思う存分痛めつけて、心を折って、屈服させてからその白い肌を切り刻み、血を啜りたい」
赤い眼を不気味に光らせ、浅黒い肌をした魔人が下卑た笑みを浮かべた。
この男は自分をゾディアックと名乗った。
魔王直轄の精鋭集団ゾディアック、そんな相手に支援魔法しか取り柄のない自分の勝ち目は万に一もない。まだ生きているのが不思議なほどだ。
「安心してください女王、部下たちにはやらせませんよ、あなたを躾けるのは私です。誰にも指一本たりとも触れさせません。これまで我らを苦しめてきたその英雄の血、さぞ美味でしょう。たまりません!」
男はアルペジオのことなど眼中にない。フィオナだけを見つめている。
「アルペジオ、あの者たちの注意は私が引き付けます。その間に逃げて」
フィオナがアルペジオの耳元で囁いた。
確かにフィオナしか見ていないこの男の注意なら引くこともできよう。だが、後方に控える魔人たちの注意は一体どうやって引くのか想像できない。
けれど、彼女なら本当にやってのけるのだろう。
十五年もの間、この国を守り、今まで戦い抜いてこれたのは彼女の知略があったからだ。もちろんインプや恒竜族の助力もあった。それは偶然が重なっただけで運が良かったに過ぎない。
しかし、それをすべて含めても彼女の実力なのだ。
『強運』
王族が王族たる所以であり最も必要な資質と才覚。
王の血統と呼ぶべき存在を、希望の灯火を絶やしてはならない。
「冗談を言ってる暇があったら、この状況をみんなで切り抜ける方法を考えてよね」
アルペジオは皮肉交じりに言い返す。
フィオナとは直接的な主従関係はないが女王と冒険者の間柄、勇者パーティといえ一介の冒険者であるアルペジオの不敬な物言いもフィオナは最初から気にしていなかった。彼女たちは出会った頃から互いを対等な友人として扱った。
「さてはて……」
魔人の眼がぎょろりと動く。男は初めてアルペジオの存在を認めた。
「女王と私のメインディッシュのために、まずはそこの獣人を前菜にしましょう。物事には順次が大切ですからね」
魔人がそう告げた直後、アルペジオの杖は両断されていた。カランカランと音を立てて魔石が乗った上半分が床に転がる。男は無造作にアルペジオの胸ぐらを掴み、彼女の顔を殴りつけた。
アルペジオの鼻腔から紅い血が迸る。
「うひっ! これはとてもいい感触です、柔らかくて拳がよく沈みます」
ローブの胸元が破れてアルペジオは尻もちを着いた。それでも彼女は男を睨みつけて両手を広げた。頑として王女の盾に徹する。
「その瞳がいつまで光を失わずにいられましょうか、楽しみです」
――絶対に涙なんか流すものか! 歯が折れても頬が砕けても絶対にここから動かない、この男の首に噛み付いてから死んでやる!
アルペジオは心に誓った。
「いいですね、いいですね! 実にいいッ! その反抗的な眼! 躾のなっていない獣人の顔を殴るのは気分が高揚しますね、調教のやり甲斐がありますよこれは! あなたは素晴らしい素材だ! 俄然楽しくなってきました!」
魔人は剣を抜いて振り上げた。アルペジオは折れた杖を掲げる。
「まずは耳から削ぎましょう!」
――たとえこの身が引き裂かれても最後まで女王を守る!
そのときだった。一閃の雷光がガラスを吹き飛ばした。そして目にも止まらぬ速度で魔人騎士たちを斬り伏せていく。




