第190話 責務
草花に囲まれたイングリッシュガーデンとでも言うべきステキな庭園の真ん中に、西洋風の白い東屋が建っていた。
僕らは八角形の屋根の下でベンチ座り、レイラを待っている。
「お待たせしました」
ほどなくして町娘が着るような簡素なワンピースで彼女は現れた。長い髪を片手で払う。
軽装だけど、しっかり帯刀している。
警戒されるのは無理もない。僕が逆の立場なら、夜に窓から現れたヤツの要求には応じない。ノコノコ出ていった先で大勢に待ち伏せされているんじゃないかと疑ってしまう。
それでも彼女が来たのは、待ち合わせ場所が自宅の敷地内だからか、それとも絶対的な自信故か。
「それで、私に話とはなんですか?」
レイラは対面するベンチに腰を降ろした。
「キミにこれを渡してほしいとある人から頼まれたんだ」
ティナから預かった手紙を中央のテーブルに置く。
「手紙? 私にですか? いったい誰から?」
「アナスタシア・ベルだよ」
「アナスタシア様が?」
この名前には、さすがのレイラも顔色が変わる。
「ひょっとしてキミはアナスタシアと知り合いなのかい?」
「いえ、お会いしたことはありません。アナスタシア様は有名ですので、エルフの血を引く者としても誇りに思い尊敬しています」
そもそも手紙を書いたのは、アイザムで僕と出会ったあの日か、それより以前のはずだ。
だからアナスタシアはレイラが生まれて勇者になることを予知していたことになる。
いや、予知じゃなくて過去の経験から知っていた。
この先の僕らがどうやるかも彼女には分かっている。彼女がループしているなら、あまり良い未来ではないのだろう。
「とりあえず封を開けて読んでみてくれないか? 僕も内容が気になるんだ」
「わかりました」
彼女は素直に応じた。僕が逆の立場なら中に炭疽菌が仕込まれているのではと疑って相手に開けさせる。
封蝋を外して手紙を読みはじめたレイラの目が文字を追っていき、
「こ、これは……」彼女は息を呑んだ。
「どうした?」
「リタニアスが魔王軍の襲撃を受けていると書いてあります」
「なんだって? 受けているってどういう意味だ?」
「わ、わかりません。城壁の内側に転移してきた小隊によって門が破壊されて、外で待ち構えていた魔王軍に攻め込まれると」
「いつだ? 日付は書いてないのか?」
「日付は、本日の日暮れ……」
「日暮れ……もう戦いは始まっている!?」
「こんな突拍子もない内容を信じるというのですか? 未だかつて城壁内に転移してきたことはありません。アナスタシア様の名を語った偽物ではないのですか?」
「普通なら疑うところだ。だけど差出人は間違いなくアナスタシア・ベルだ。彼女はこんな冗談を言うような人じゃない、早くリタニアスに行かなきゃ……」
立ち上がろうとする僕をレイラが制止する。
「待ってください、あなたはアナスタシア様とどういう関係なのですか?」
「身内が彼女とパーティを組んでいたんだ。キミは雷帝ライディンを知っているか?」
「もちろんです」
「彼の本名はライゼン・ゼングウ、僕の前世の名前はユウ・ゼングウ、彼は僕の祖父だ」
「祖父……雷帝が……」
「今はそんなことはどうでもいい。一緒に来てくれ、レイラ。キミの力が必要だ」
レイラはうつむき、微かに視線を逸らした。
「……できません」
帰ってきた言葉を咀嚼するのに数秒かかった。無条件で同意するものだと確信していた。
「できない? キミは勇者だろ?」
「勇者であり近衛隊の隊長です。私には最高神官様を守るという大事な役目があります。枢機教会にはローレンブルク王国を存続させてくれた恩義もある。ここを離れる訳にはいきません」
「なにを言っているだ……。最高神官を守ることがリタニアスの人たちを助けるより優先されることなのか!? キミには助ける力があって、助けに行ける術があるのに苦しんでいる人たちを助けないというのか!」
テーブルに拳を打ち付けた僕を、レイラは強い意思のこもった眼差しで睨み返してきた。
「最高神官様は人類の要です。私が離れている間にカインが襲撃されて最高神官様が亡くなるようなことがあれば、西方の国々は一気に瓦解します。聖都を守護するということは、西方全体を守護することでもあるのです。なので、私はここを離れる訳にはいきません」
「理解できないな……。最高神官は安全な場所にいる、聖都騎士団もいる! いま救いが必要なのはリタニアスだ! ここで動かずにどうする!」
「私の答えは変わりません。リタニアスにはブレイガル様をはじめ、三人の準勇者がいます」
彼女と僕の間に明確な線が引かれた気がした。彼女の意志は変わらない。僕では変えられない。
「……お前は勇者じゃない」
僕はそんな言葉を吐き捨てるように言っていた。
「なんと思われようと構いません。私は自分の責務を全うするだけです」
「わかった……、これでお前と会うのは最後だ。だから最後に謝罪しておく。お前をラウラだと感じたのは僕の間違いだった。勘違いしてすまない。ラウラならそんな選択は絶対にしない」
僕は立ち上がり東屋を出る。僕の後にリザが続き、レイラが追うように立ち上がった。
「あなたは何様のつもりですか! 勝手に期待して! 勝手に失望して! 自分勝手に振舞って! あまりにも無礼です!」
僕は踵を返してレイラを見つめた。
どれだけ冷たい眼をしていたのだろうか、彼女の表情が凍り付く。
「ああ、キミの言う通りだ。『勝手に期待して、勝手に失望して』すまなかった……。行こう、リザ」
もう振り返ることはない。




