第185話 精霊VS妖精
さっきから深い霧の中を歩いている。
カノンちゃんの後を追って森を歩いていたら、いつの間にか霧が濃くなっていた。
「私たちが今いるのは現世と幽世の狭間です。はぐれないように手を離さないでください。ここで迷ったら帰れなくなります」カノンちゃんは言った。
手を離さないでと言われても、彼女が僕の人差し指を掴んでいる状態なので離しようがない。
「もう? 僕らの野営地からいくらも歩いてないけど」
「里に至る入り口はこの辺りを周回しているのです。私がさきほど出てきたばかりなので、それほど離れてはいません」
良く分からないけど、僕はカノンちゃんに握りしめられた人差し指に意識を集中させた。こんなところで迷子は真っ平ごめんこうむる。
しばらく進むと視界の先に波紋が生まれた。波紋は縦に連なり次第にトンネルを形成していく。吸い込まれる波紋のトンネルを抜けると景色が一変した。
「ここが妖精の世界……」
今まで観たことがないほど美しい夜空が広がっていた。空を天井のように覆うのは星雲と呼ばれる星の輝きであり、宇宙空間から銀河を眺めているようだ。
リザの瞳の色に似たすみれ色の森に僕は立ち止まっていた。大地から綿毛のような光がいくつもにじみ出てきては、ゆっくりと空へ昇っていく。
「この先が私たちインプの里です」
「きれいだ……なんていうか、それ以外に言葉がないよ……」
おっと、そんな感想を呟いている場合じゃない。
「キミの仲間やアルテミスはどこにいるの?」
「この先に私たちの集落があります。アルテミスもそこにいます」
「よし、それじゃあ僕らはここで別れよう。後は手筈通りに」
「はい」
カノンちゃんはふわりと舞い上がっていった。
気配を完全に消して彼女が示した方角に近づいていくと、淡い光が見えてきた。
それはまるでクリスマスツリーを彩る電飾みたいだ。樹齢何千年かという大樹に、いくつもの小さなランタンがぶら下がっていて幻想的な光を放っている。
妖精たちはリスのように木をくり貫いてそこを住処にしているようだ
でも、そこにはちゃんと窓がありバルコニーがあり、それぞれに玄関がある。
その大樹だけではない。周囲一体の樹木がインプたちの住み家の集合体のようだ。
これを破壊すると思うと気が引けるけど、やるしかない。なるべく派手に、壊滅的に、しかし怪我人を出さずに遂行する。
僕は白いローブを羽織り、フードを被る。「よし」と気合を入れて極刀の仮面を装着した。
《精霊シルフよ 嵐を巻き起こし かの者たちに混乱を与えん》
四方から疾風が巻き起こり縦横無尽に駆け巡る。ランタンは破裂して、階段もバルコニーも吹き飛んでいく。
さらに僕はエウロスで斬撃を放って大樹の幹を削り取る。バリバリと雷鳴のような音を立てて大樹が傾き始めた。
アメジスト色の羽根の妖精たちが、慌てて家の中から飛び出してきた。数にして三十から四十のインプたちが右往左往しながら寄り添うように一塊に集合していく。
派手に彼女たちの前に姿を晒した僕は両手を広げて、「フハハハハハっ!」と魔王的な高笑いをあげた。
「なに者だ!」
頭にティアラを載せたインプが吊り上がった目で僕を睨みつける。どことなく他とは違う偉そうな雰囲気を醸し出す彼女は、アルトを拘束した派閥の一味に違いない。
僕は吹き荒れる風を止めた。あらかじめ顕現させておいた魔神の右腕を高く掲げる。
「我は魔神ヴァルヴォルグなり!」
「魔神ヴァルヴォルグですって? バカ言わないで、魔神はずっと昔に人族の手によって殺されたはずよ!」
「信じぬならそれで良い! このインプの里はたった今から我の領地となる。我が軍門に降り、大人しく投降しろ! さもなければ皆殺しだ! フハハハハハッ!」
「させるものですか、この偽物めッ! あんたたち、やっておしまい!」と、まさに悪役令嬢が言いそうなセリフで周囲のインプたちに指示を出した。
ふわりと風向きが変わり、鼻腔を刺激する甘い匂いが漂ってきた。
そう、この匂いは嗅いだ記憶がある。かつて僕が無惨にも昇天したインプの得意技、風魔法に混ぜて彼女たちが放ってきたのは《幻惑魔法》である。
こんな場合でなければ甘んじて受け入れたい。総受けの覚悟だ。しかし、残念ながら今の僕はヴァルから知覚麻痺魔法のデバフを受けているので効かない。
そして、デバフには時間制限があるため吞気にもしていられない。
幻惑魔法が効かないと気付いた彼女たちは、攻撃を風魔法中心に切り替えてきた。僕も加護で風を起こして対抗する。
魔力による風魔法と精霊シルフの加護による風がぶつかり合う。
さすが魔法が得意な妖精族だ。徐々に圧されていく。この物量差はさすがに厳しいな、そう思っていたら次第に加護が強くなってきた。
精霊にも負けたくないというプライドがあるようで、特に同系統の魔法の撃ち合いになった場合、かなり手助けしてくれることがある。
長い間、ロイ・ナイトハルトとしてシルフに祈りを捧げ、シルフの加護を受けてきた僕にはよく分かる。
今日のシルフはムキになっている。本気でガチだ。「絶対負けないもんね!」という気迫すら感じる。
加護の勢いは止まらない。たった僕ひとりでインプたちの魔法を押し返しはじめた。




