第180話 違い
僕は男の返答を待った。
静まり返った室内の空気が張り詰めていく。
突然の耳鳴り――。
幻聴ではない。周波数の高い高音域の音が男から発生している。
一部の魔人族は離れた場所にいる仲間に音で信号を送ることができるとグランジスタから教わった。おそらくこいつは今の音で、外にいる仲間に助けを求めたのだろう。
そうでなくても近づいてくる殺気で存在はバレバレだ。数は四人、どいつもたいした実力ではない。
直後、南と東の窓ガラスが弾けて割れた。続いて窓とドアから魔人たちがなだれ込んできた。全員が武装している。奇声と共に剣が振り上がる。刹那、男の首からゼファーソードを引き抜いた僕は、剣を薙いで突風を巻き起こす。魔人共を壁に張り付けにすると同時にテントを固定するペグを投てき、四本のペグが男たちの眉間に突き刺さった。
彼らは糸が切れた操り人形みたいに倒れていき、僕は何事もなかったように、再び椅子に座る男の首に剣を差し込む。
巻き起こした突風によって家具や食器が飛ばされて散らかってしまった。屈強な魔人の動きを封じた突風でさえも、恒竜族のリザにとってはそよ風に等しい。顔色ひとつ変えずに立っている。
「汚したくないって言っただろ? 聞こえなかったのか?」
そう僕が耳元で囁くと、褐色の顔から血の気が引いていく。
「がっ!?」
「これで仲間は全員か?」
彼はかくかくと首を振った。
「それにしてもさすがの生命力だな。これだけ深く喉に剣を突き刺さしているのに生きているなんて……。ひょっとして首をハネても死なないのか?」
「ひぃぃッ!?」
男の冷や汗は止まらない。全身をブルブルと震わせる。
「なんてね、冗談さ。僕が少しだけ急所を外しているんだよ。良かったね、死ななくて……」
それから僕は精霊の加護で彼の傷を治癒をした。
解放した男に部屋の片付けをさせて、仲間の亡骸を埋葬し、壊された墓石を元通りに直させた。
僕はクリーゼさんの墓前で手を合わせて、ジーナと彼女の父親のことを報告する。
「俺は……、ど、どうなる……」
僕の後方に立つ魔人の男は言った。
彼をどうするかは、彼を殺さなかった時点で決めていた。
僕は予め用意していたセリフを口にする。
「ここで大人しく暮らすと約束するなら殺さない」
「……本当か?」
「どうせアンタは魔王軍にも魔境にも戻れないんだろ?」
「あ、ああ……そうだ。戻ったところで俺たちは……、俺は裏切り者として扱われる。たとえ脱走する意志がなかったとしても激しい尋問の末に、自白を強要されて処分される」
「主よ、いいのかや? こいつは人を喰っておるぞ」
リザは形の良い鼻ですんすんと周囲の匂いを嗅いだ。
「そ、それは……生きるために仕方なかったんだ……」
男は言った。
リザは眉根を寄せる。
「嘘を付くでないぞ、貴様らは人を喰わんでも生きていける。この辺りなら獣を狩って喰えば良いのじゃ。なのにわざわざ人を襲って喰った」
リザの追及に男は言葉を失った。僕は嘆息する。
「分かっているよ、リザ。人を攫う魔人を討伐しろってクエストなんだ」
人族は元々魔人の食料として召喚されてきた。ひょっとしたら魔人が人を襲うのは、その名残りなのかもしれない。
「確かにこいつらは人族を襲って殺している。だけど僕だって魔人を二十万も殺している……」
「な、なにっ……? じゃ、じゃあお前がゼクトス将軍の軍団をたったひとりで殲滅したっていうアルゼリオンの死神!?」
アルゼリオンの死神か……。魔王軍でそんな風に呼ばれていたとは、どこか因果めいたものを感じるな。
「主よ……、それは意味が違う。主のは戦争じゃろう? こやつらの自らの欲求を満たすだけの行為とはまるで違う」
リザはそう言ってくれたけど、僕は首を振った。
僕の中ではたいした違いはない。理由はどうあれ僕も殺している。こいつは数人で、僕は二十万だ。魔王軍からすれば僕は虐殺者、これからもっと殺すことになるかもしれない。
「お前は、これから人を食べないと約束できるか?」
踵を返して僕は男に、魔人の眼に問う。
「や、約束する! 二度と人族を食べない!」
無言で僕はうなずいた。氷解するみたいに男の体からの緊張が溶けていく。
「もしもお前に罪を償いたいと思う心があるなら、これからは困っている人たちを見つけたら助けてあげてくれ。それがこの家に住む者の役目だ」
「ああ、必ず約束は守る。感謝する……」
男は目に涙を浮かべていた。魔人だって僕らと同じように泣くのか、そんな当たり前のことを考えていた。
人を殺した罪を償えと言うのなら、僕も魔人を殺した罪を償う必要があるのだ。
「そうだ。角は切り落とさせてもらう」
「ああ……」
抵抗することなく、頭を差し出した。
彼の額から角を切り落とす。こうしてしまえばほとんど人と変わらない。
確かに、魔人と人は捕食者と被捕食者の関係だった。だけど、それは遥か昔の話だ。もうその事実を知る者はおらず、両者の奪う者と奪われる者という立場は長い歴史の中で何度も入れ替わっている。
不思議だ。
たったこれだけの違いで僕らは互いを区別して、理解しようともせずに争っているのか。




