第173話 ID
キャラバン隊の隊列がグモーネの町を出発してから二ヶ月が経った。僕とリザを乗せた荷馬車は、運河に掛かる長い橋を渡ってアイザムに入る。
潮の匂い!
ウミネコの鳴き声!
そして人と荷物が行き交う雑多な町並み!
記憶が鮮明に蘇ってくる。
すべてが懐かしい!
戻ってきたんだ僕は、アイザムに!!
第二の故郷とも呼べるこの街は、ほとんど変わっていない。あのときのままだ。
そしてアイザムに到着したということは契約の満了を意味する。ここで彼らとはお別れだ。
アイザム港に到着したキャラバン隊は、運んできた積み荷を売りさばき、代わりにアイザムの特産品を大量に買い込み、その日のうちに新たな目的地へと出発していった。
この数週間は騒がしく慌ただしい毎日だった。
朝早くに起きて支度して、次の街へと移動する。到着すれば荷物の積み降ろしをして、また出発する。道中での護衛役としての僕の出番は数えるほどだったけど、僕もキャラバンの一員として荷物の搬送を手伝った。一番若くて体力のある僕が、護衛役だからって荷台にふんぞり返っている訳にはいかない。
夜になると宴が始まる。親方を中心に一日の労をねぎらい、歌い、踊り、語り、食べて呑んで明日への活力にする。
楽しかった。レイラのことで落ち込んでいる暇すらなかった。馬で移動するより時間は掛かったけれど、この選択は正確だったと心から思う。
目を潤ませて別れを悲しむ僕に、親方をはじめキャラバン隊のみんなから、こんな泣き虫な護衛は初めてだと笑われてしまった。
そんな僕のために親方は再会の御呪いを掛けてくれた。
本来ならこの御呪いは子供同士でやるものだそうだ。
キャラバン隊で生まれた子供が現地で仲良くなった子供と離れるのを嫌がったときに、子供に言い聞かせるために親が教えるらしい。
出会いもあれば別れもあると彼らは口々に言う。前世の僕ならその言葉を当然のことだと受け入れていただろう。
しかし今の僕は人との別れを必要以上に恐れていることに気付かされた。禅宮游だったときはなるべく避けていた人と人との繋がりをロイは求めている。
それはやっぱり転生したことが影響しているのかもしれない。今の僕は別れの悲しみと同時にこの街での新たな出会いに期待に胸を膨らませている。
(前世で)馴染の宿屋にチェックインした僕らは荷物を置いてさっそく冒険者ギルドに向かった。
街の中心部から外れた大通りに面した建物、三階建ての石造りで立派なハローワーク、もといギルド会館は健在だった。
扉を押し開けてギルドに足を踏み入れると余所者を値踏みするような地元冒険者たちからの熱い視線を浴びる。今となってはこの排他的な視線さえも懐かしく思えてくる。
かつてそこにいた昼間から酒を煽る赤ら顔のネフやノックス、僕の知るアイザムの冒険者たちの姿はない。ギルドに出入りする顔ぶれはすっかり変わってしまっているようだ。
彼らが生きていれば六十代だ。さすがに冒険者ができる歳ではない。寂しいけど、この街にいれば会えるかもしれない。
「ようこそ、アイザム冒険者ギルドへ」
カウンターの前に立った僕に受付嬢が言った。彼女も僕の知る受付ちゃんではなかった。もっと若い黒髪の少女である。
「どのようなご用件でしょうか?」
にこりと少女は微笑んだ。
「えっと、冒険者登録したいんですけど」
「はい、それでは代表者様の身分証の提示をお願いします」
ん? みぶん?
「……はい? 身分証?」
「当ギルドで冒険者登録するには、身分証の提示が必須になっております」
なんてことだ……、前世のときはそんなもん求められなかった。時代は変わったものだ。いつからそんなルールになった?
当然ながら身分証なんて持ってない。
そもそも身分証ってなんだ?
僕の国に身分証になるような物なんてあったか?
僕は後方に控えるリザをちらりと見る。
うーん、人族ではないリザも当然持っていないだろう。持っていたとしても『恒竜族の何某』なんて書いてあったら大騒ぎだ。
「あのー、身分証ってどこに行けば手に入りますか?」
「へ?」
僕の質問にNEW受付ちゃんはきょとんと目を丸めた。それを聞いていた近くの冒険者たちが僕を横目にせせら笑っている。
くぅ、お前らより僕の方が古参なんだぞ、今に覚えておけよ……。
◇◇◇
結局、冒険登録できずに僕らはギルドを後にすることになった。
身分証明書は必須らしく、どれだけゴネてもダメなものはダメだった。守らないとコンプライアンス違反でギルドがペナルティを受けるそうだ。
世知辛れぇ……。
正直言ってしまえば、ラウラの転生体は見つかっている。もう名を売る必要もないから冒険者になる必要はない。
だけど、冒険者登録していれば都合がいいこともある。
そのひとつが路銀だ。
冒険者なら効率良く資金を稼ぐことができる。それにテッドを名乗れば前世の僕を知る人が気付いてくれるかもしれない。
だから、冒険者になって有名になるという方向性はこれまでと変わらない。
身分証明書の件はひとまず置いておいて、今夜は久しぶりに魚貝亭に行って新鮮な魚介類に舌鼓を打つことにしよう。なんたって前世以来だからな。海の幸はペルギルス王国では味わうことはできない。魚といえば川魚である。
リザもきっと喜んでくれるはずだ。
「あ、あの!」
女性の声に僕は振り返った。
「その背中に背負っている物についてお聞きしたいことがあります!」
ああ……、なんてことだ……。
その女性を見た瞬間、僕は歓喜で震えた。
こいつを途中で捨てないで良かった。僕はこうなることを待ち望んでいたのだ。僕の記憶を知る人物との再会。今、ひとつ願いが叶った。
金髪に碧眼、顔は年齢の割りに童顔だ。すこしだけ大人っぽくなっているけどそこまで変わっていない。とても三十代とは思えない。そしてその豊満で暴力的なおっぱい様は忘れることなんてできやしない――。
震えながら僕は彼女の胸に向かって手を合わせた。
「な、なにしてるのですか!?」
突然祈りを捧げられたことに動揺を隠せないその女性の名は、枢機教会のシスター、ミレア・ワイズだ。




