第172話 もうひとつの希望
レイラが追って来る様子はない。
カインからだいぶ離れたが、このまま空を飛び続けるのは目立ち過ぎる。
目下、リゼを連れ戻そうとする恒竜族の追手に見つかる可能性がある。僕らは帝国領とカインの堺にある湖畔に着陸した。
今は徒歩で近くの町に向かっている。
僕らの馬はカインの宿屋に預けたままだ。回収できるとしてもずっと先になってしまうだろう。
とりあえずどこかで新しい馬を手に入れる必要があるけど……、馬を手に入れたところでどうする?
僕はどこへ向かえばいい。
ラウラの転生体は判明した。目的は半分達したのだ。もう行く宛がない。
だからと言ってこのまま家に帰る訳にはいかない。
僕はラウラを連れて帰ると約束したんだ。そのためにクラリスたちを国に残したまま待たせている。
その後、リザに連れられて名の知らない小さな町に到着した僕は、宿屋のベッドで泥のように深い眠りに付いていた。
◇◇◇
どうしていいのか分からないまま日々が過ぎていった。
僕は宿の部屋に引きこもり、ラウラの記憶を取り戻す方法を模索する。しかし、どれだけ考えても根拠のない雲をつかむような仮説を、ぐるぐると自問自答するだけの堂々巡り。こんなことしてる場合じゃないのに、僕はいまだ動き出せずにいる。
たとえ前世の記憶がなくたって、ふたりが出会いさえすれば記憶を取り戻すと信じていた。それだけ僕らは固い絆で結ばれているのだと信じて疑いもしなかった。
出会いさえすればなんとかなるなんて、まるでおとぎ話で、とんだご都合主義じゃないか――。
自分自身を鼻で笑う。
僕はひとりで右往左往していたに過ぎない。
ああ、なんて滑稽なんだ。
レイラは悪くない。
僕が勝手に期待して、ひとりで失望した。ただそれだけのことだ。
すべては自惚れだった。
独りよがりだった。
生きる目的を見失ったかのように、体が重くてなにもやる気ならない。
失意の僕をリザは不器用ながら励まそうとしてくれている。
彼女は僕のそばから離れず語りかけてくれる。
天気の良い日は手に取って外に連れ出してくれる。
料理を作ってくれたこともある。
味の方はお世辞にも美味しいと言えなかったけど、何不自由なく生きてきた彼女が、僕のために甲斐甲斐しく尽くしてくれる。
リザは前向きで屈託がない。太陽のように眩く、一切の曇りのない彼女の存在は僕の心に支えを与えてくれた。
ひょんなことで一緒に旅をすることになったけど、今は彼女がいてくれて良かったと心の底から思う。
僕ひとりではカインでどうなっていたか分からない。あのままレイラと血を流す事態に発展していたかもしれない。そうなれば彼女との関係は修復不可能になっていた。
「落ち着くのじゃ、主よ。説得を急ぐのではなく時間を掛けることも必要じゃ。好機は必ずやってくる」と落ち込む僕にリザは繰り返した。
その通りだ。
まだ旅立って一ヶ月足らず。こんなに早くラウラの転生体を見つけられただけでも幸運じゃないか。
元々二年掛けて探すつもりだったんだ。
切り替えろ。
残りの時間で前世の記憶を取り戻す方法を探せばいい。
今は〝そのとき〟ではないのだと自分に言い聞かした僕は、もうひとつの希望を探しに行くことを決めた。
「キミの言う通りだ、リザ……」
僕は顔を上げてリザのすみれ色の瞳を見つめる。
「ラウラの転生体は判明した。僕はこれから彼女の記憶を戻す方法を探すためアイザムに向かう」
「そこに一体なにがあるのじゃ?」
「アルデラの魔導書だ」
「アルデラの魔導書?」
「ああ、転生魔法を生み出した魔導士アルデラ、そのアルデラが自身の魔法を書き残した魔導書がアイザムにある。きっと前世の記憶を取り戻すヒントが書かれているはずだ」
ユウのときは転生魔法の記述しか読めなかった。
アルデラは言っていた。僕が他のページを読めなかったことを知り、『封印は機能しているようだ』と。
もしも転生魔法で転生したことが封印を解く鍵だとしたら、おそらく――。
「それから僕はもうひとりの前世の恋人に会いにいく」
「もうひとりの恋人? 主には恋人が何人いたのじゃ?」
「ふたりだけだよ、だけっていうのも変だけど。もうひとりはインプの妖精なんだ」
「インプじゃと?」
リザはくつくつと笑う。
「やはり主は面白いなのじゃ」
旅支度を整えていた翌日、それは運命の歯車が回り出したかのように、僕らが滞在していた町にキャラバン隊が訪れた。
彼らがアイザムを経由するという話を耳にした僕は、護衛する代わりにタダで乗せてくれないかと交渉する。
最初はキャラバン隊を統括する親方から鼻で笑われた。こんな毛が生えたばかりの小僧に護衛なんて務まる訳がないと。
その際に、僕はみんなの眼の前で親方のズボンのベルドを切り落としてみせた。みせたといっても常人には見えない速度で抜刀したから、実際にはズボンが落ちてパンツが丸見えになるというラッキースケベ的な結果だけが残った。
ちなみに親方は三十代半ばのセクシーな女性である。
目を剝いたまま固まる彼女にナイトハルトの名を名乗ると、彼女の僕を見る目は百八十度変わり、キャラバン隊の護衛役として馬車に乗せてもらえることになった。
街と街を移動する行商の間、夫婦に間違えられた僕とリザには二人用のテントがあてがわれ、リザはキャラバンのみんなからロイの奥さんと呼ばれると、すこし恥ずかしそうにはにかむのだ。
そんな彼女のことを僕は、愛おしと思うようになっていた。




