第171話 死の行軍
僕は理解する。
展開された魔法障壁は敵の攻撃ではなく、レイラが放つサラマンダーの加護から兵士たちを守るためのものだった。
さらにレイラを覆う空気が一変した。
それはまるでジェットエンジンを彷彿させるゴォーというアフターバーナーの噴射音、戦闘機が離陸する際の爆音にそっくりだ。
甲高い音を響かせてレイラは舞い上がる。
「飛んだ……」
リング状に輝く炎を連ねて飛翔したかと思った数秒後には、一気に距離を詰めて敵陣のど真ん中に着地していた。ゆっくりと彼女は足を踏み出して敵陣を歩き出す。
ただそれだけで周囲の敵が蒸発していく。彼女が歩いているだけで敵が消えていくのだ。
彼女が纏う極熱によって周囲にある全てが掻き消えていく。
草木も、岩も魔獣も亜人も等しく消失していく。
これがギフテッドの力……。これがデスマーチ・プリンセス、その渾名の由来……。
まさに死の行軍、彼女の歩むその先には死が待っている。
魔王軍の半数を屠ったかと思われたそのとき、彼女は自身を纏う極熱のオーラを突然消失させて腰の刀を抜いた。狼狽する魔王軍に対して接近戦を始める。
「……なぜだ? あのまま余裕で押し切れるはずなのに……」
「姫様は心優しい御方なのだ」
僕の疑問に答えたのは、彼女の家臣と思しき壮年の騎士だった。
「それはどういう意味ですか?」
「武人なら剣で戦って死ぬのが本望、たとえそれが魔族であろうとせめて戦士として雄々しく戦わせてあげたいという姫様なりの敬意なのだ」
慢心はいつか痛い目にみるよと言いたいところだ。だけど、天地がひっくり返ってもそれはない。レベルの桁が違い過ぎる。彼女がレベルМAXの勇者なら、あの魔王軍はスライム以下だ。
この距離からでも分かる。ギフテッドでなかったとしても彼女の剣技は超一級、剣士としても格が違う。
その流麗な剣は見惚れてしまうほど美しく強く、そして洗礼されている。それこそ達人の域、いや、それ以上かもしれない。まるで三英雄の極刀の再来かのようだ――。
「あ……」
大きく鼓動が一回、呼吸が停止する。
僕は知っている。実際に見たことがある。
その洗練された技の冴え、威力、卓越した圧倒的な強さ。
間違いない。見間違うはずがない。
戦う姿はまさしく、仮面を付けて敵と戦う彼女そのもの。
「ラウラ……」
自然と涙が零れていた。
僕は確信する。
レイラ・ゼタ・ローレンブルクがラウラの転生体だと――。
魔王軍の小隊はたったひとりの少女によって殲滅されていた。
刀を鞘に戻した彼女は歩いてカインに向かって歩き出す。
跳ね橋門が開き、兵士たちが帰ってきた勇者を歓声と共に迎える。
「姫様、お疲れ様でした」
レイラが壮年の騎士からマントを受け取り羽織った瞬間、僕は彼女に抱きついていた。
誰一人として反応できない速度で僕はレイラに近づき、彼女を抱きしめた。
「ラウラ……、会いたかった……」
一瞬の静寂が生まれる。時が止まったかのように誰も彼もが啞然と口を開き、目の前で起こったことに理解が追いつかない。それは当のレイラも同じだった。
周囲の反応なんて構わず僕は彼女を強く抱きしめる。
「――っ!? な、なんをするのですか!?」
彼女は僕の体を力任せに押しのける。放たれた殺気に思わず咄嗟に距離を取った。
「僕だ! ユウだ!」
「あなたのことなんて知りません!」
「思い出してくれ、ラウラ! キミの奥深くに眠っている前世の記憶を!」
「ラウラ? 前世の記憶? 何を訳の分からないことを……。どなたかと勘違いしているようですが私はレイラです! ローレンブルク王国第一王女にして最高神官近衛隊長のレイラ・ゼタ・ローレンブルクです!」
怒りに震える彼女は刀を抜いた。切っ先は僕に向けられている。その事実に、そして敵意しかない垢の他人を見る彼女の視線に胸が締め付けられた。
「さきほどの無礼を許せたとしても、勇者としてあっさり間合いに入られたことが許せません。剣を抜きなさい。あなたを倒してさきほどの不甲斐ない自分のイメージを払拭しなければなりません」
「嫌だ、僕はキミとは戦いたくない」
剣を柄を手で抑えながら僕は首を振った。
「ならばそのまま私に討たれて散りなさい!」
レイラの動きはとんでもなく速かった。反射的に僕はゼファーソードを抜かされていた。貫くような圧力に抜かざる負えなかった。
「!?」
剣と刀が接触した瞬間、レイラの刀身が赤銅色に染まる。咄嗟に手首を捻って刃を受け流す。
「この原剣《火雷天》の一撃を受け流すとは只者ではないようですね……」
レイラは腕を引き、太刀の刃を上に向けて構えなおした。
「僕の話を聞いてくれ、前世の記憶を取り戻せば――」
「世迷言を……、あなたの妄言など聞く必要はありません」
レイラは地面を蹴った。そのまま横一文字に刀を薙ぐ。
「くっ!」
鋭い!!
たまらず僕はエウロスを抜いて二刀になる。ぎりぎりの間合いを保ちながら彼女の剣を再度受け流した。
「二刀流……、ナイトハルトでしょうか」
剣技は向こうが上、だけど単純な身体能力なら僕が上回っている。しかし、魔王軍を蹴散らしたギフテッドの力を上乗せされたら勝ち目はない。
「この痴れ者が!」
死角からのリザの一撃がレイラを捉えた。
「ぐっ!?」
咄嗟に腕を交差して防御するレイラ、直撃を免れたが足が引きずられるように吹き飛ばされた彼女の掌が地面に付く。
「姫様!? なにをしている! この者たちを捕えよ!」壮年の騎士が声をあげた。
兵士たちが僕らを取り囲み、武器を手ににじり寄ってくる。牙を剥いて威嚇するリザに兵士たちの足が止まる。
「主よ、ここは一端退くのじゃ!」
「やっと会えたんだ! ちゃんと説明させてくれ! 思い出させてみせる!」
「この状況では説得など無理じゃ! このままではこの者たちを殺めてしまうかもしれんぞ!」
僕を羽交い締めにしたリザは、その背中からドラゴンの翼を展開させた。巨大な翼によって太陽の光が遮られて周囲が闇に染まる。
慄き後退する兵士たちを置き去りにしてリザは僕を抱えて飛び上がった。僕らを見上げるレイラの姿が遠ざかっていく。
そのまま上昇を続け、雲の上まで昇る。冷たい空気に晒された僕は、いくらかの冷静さを取り戻していた。
「あやつが主の探し人だったのじゃな……」
「出会いさえすれば記憶が戻ると思っていたんだ……、出会えさえすればっ……」僕は唇を噛みしめる。
「あやつは、主の前世に関りのある人物だったのかえ?」
「ああ……、彼女と僕は前世で恋人同士だったんだ」
「その生まれ変わりなのじゃな?」
「間違いない……。見間違うはずがない。彼女の戦う姿はラウラそのものだった……」
もう聖都は見えない。




