第162話 やぶからヘビ
「うぬ? 敵に背を向けるとは殺してくれと言っているようなものじゃぞ」
すーっと馬上で息を吸い込んだリザは豪炎のドラゴンブレスを噴いた。
一瞬だった。三十体近くいたリザードマンたちは断末魔を上げる暇さえなく消し炭になっていく。
リザが口を閉じると炎は消えた。辺りは焼け野原になってしまっている。
「さあ、先に進むのじゃ」
彼女はニカっと微笑んだ。
「え、あ、はい……行きましょう」
◇◇◇
「今日はここで野宿だな」
日が暮れ始めてきたので、太陽が完全に落ちる前に僕は野営の準備を始める。
「野宿かや! 外で寝るのは初めてなのじゃ!」
リザは声を弾ませた。すごく楽しそうである。野宿で喜ぶなんてさすが姫君といったところだろうか。
恒竜族が大陸東の樹海で暮らしていることは知られているが、その生活は謎に包まれている。樹海の中に城があって都市があって、煉瓦の家が立ち並んでいたりするのだろうか。それとも竪穴式住居みたいな家に住んでいるのだろうか。
どちらにしてもユーリッドに襲撃されて虐殺された後、恒竜族は一族の復興で大変だったはずだ。リザが次の恒竜王だと言うなら、なおさら帰った方がいい。さてはて、どう説得したものか……。
「そういえば、なんで恒竜族がノーゼの森にいるの? キミたちのテリトリーはもっと東のはずだろ」
僕は加護で火を起こした焚き火に枝をくべていく。
「妾は家出したのじゃ。空を飛んでいたところを途中でさっきの追手に見つかってしまっての、身を隠すためにこの森に逃げ込んだのじゃ」
「どうして家出なんかしたんだ?」
「妾には目的ある。そのためにカインに行かなければならんのじゃ。しかし、城の者たちは妾を外に出してはくれん。じゃから家出してきたのじゃ」
恒竜族の彼女が聖都カインに行かなければいけない理由ってなんだ? 枢機教会の信者でもないだろうし、観光でもないだろうし……。
まさか最高神官の暗殺とか? いやいや、理由がない。彼女たち竜族は魔王の仲間ではない。むしろ仲が悪いと聞く。
じゃあ、恒竜族を復興させるための助力を頼みにいくとか? ……自分で考えるより聞いた方が早いな。
「なにをしにカインに行くんだ?」
リザはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに目を輝かせる。
「妾の国を訪れた流浪のエルフの占いによると、『カインに向かえ、さすればこの世で最も美味しい食べ物が食べられる』そうなのじゃ」
あ、ただの食いしん坊でした。
「へぇ……、そうなんだね」
「その気の抜けた返事はなんじゃ!」
リザは地団駄を踏んだ。
「食すことこそ生きる喜び! 至高の料理が食べられると聞けばじっとしておられるはずがなかろう!」
「はいはい、そうですね。じゃあ僕とは森を抜けたらお別れだ」
「なぜじゃ?」とリザは首を傾けた。
「だって僕はカインに行く予定はない」
バリバリの嘘だけどね。
するとリザは余裕の笑みで、ふふんと鼻を鳴らす。
「嘘を付くでないぞ、妾は知っておる」
「え?」
「流浪のエルフは言っておった。『道中でカインを目指すダークブラウンの髪と瞳、二刀を持った少年と出会うであろう』とな」
情報が具体的ーっ!?
なっ、なんて迷惑な占いをしやがったんだ、そのエルフは……。もし会うことがあったら思いきりビンタしてやるッ! しかも往復ビンタだ!
「ところで主よ、その右腕は一体どうなっておるのじゃ?」
「右腕?」
「別の誰かがいるではないか」
「わ、分かるのか?」
僕はごくりと喉を鳴らした。
「うむ、右腕に隠れていないで妾の前に姿を現すのじゃ」
『我が名はヴァルヴォルグ』
どこからともなくヴァルの声が聞こえてきた。まるで天の声みたいな感じだ。
『我はこの者と同体のため今は姿を見せられん。許せ、竜族の娘よ』
「ふむ、妾はリザじゃ。よろしくなのじゃ」
リザはニカッと笑った。
細かいことは気にしないんだな……。
「さて、自己紹介が済んだところで夕飯にするか」
「おおっ! 主が作ってくれるのかや?」
僕が荷物の中から取りだしたのは、自家製の特性タレに漬け込んでおいた鶏モモ肉だ。
油を馴染ませたフライパンを熱して鶏肉を焼いていく。香ばしい匂いが漂い始め、リザの口角から涎が滴り落ちている。
皮がカリカリに焼けたら裏返して、中まで火が通ればテリヤキチキンの出来上がり。
まな板の上でチキンを食べやすい大きさに切り分けた僕はリザにフォークを渡した。
「いただきます」僕は手を合わせる。
「なんじゃそれは?」
「食べ物に感謝を捧げたのさ」
「ふむ、いただきますじゃ」
リザも僕を真似して手を合わせた。テリヤキチキンをぱくりと口に入れた瞬間、彼女の目が見開く。
「っ~~~ッ!?」
瞳をキラキラと輝かせて言葉にならない歓喜に悶えている。
「なんじゃこれは、なんじゃこれは、なんじゃこれはぁ!?」
紫色の瞳からボロボロと涙が零れ落ちていく。
「妾の魂が震えておるぞ!」
「そんな大げさな」
「今まで食べた物のなによりも美味しいのじゃ……。そうか……、これなのかや! これが流浪のエルフが言っておった世界で最も美味しい料理なのじゃな!」
手が止まらないリザはテリヤキチキンを一気にたいらげてしまった、僕の分まで。まあ、こんなに喜んでくれるのは料理人冥利に尽きるからいいけどね。
「主よ! おかわりじゃ!」
「いや、ごめん。それしかないんだ。元々ひとり旅用の量しか用意してなかったし」
「……そうなのか、すまぬ……。ほとんど妾が食べてしまったのじゃ」
しょんぼりしてしまったリザに僕は、気にするなと声を掛ける。
「とり肉とタレさえあればいくらでも作れるから」
「そうなのかや!?」
うっ、しまった……完全に藪蛇だった。
「主と一緒にいればこの料理が毎日食べられるのじゃな!? やはり運命の出会いだったのじゃ!」
興奮したワンコみたいに竜の尻尾をブンブンと左右に振る彼女を止めることは難しいそうだ。もう連れていくしかないだろう。
うぐぐっ、ややこしいことになってしまったのじゃ……。




