第161話 紋処
オーマイゴッド……。まさかこんな場所でエンカウントするなんて、しかも恒竜族の中でも上位種の竜人型じゃないか。
もちろん赤毛の女の子の方も同種族である。
「小僧……、死にたくなかったら今すぐ失せろ」
紫色の眼で睨まれただけで思わずちびってしまいそうになった。
ぐぅぅ、恒竜族との戦闘は避けたい……、彼らと問題も起こしたくない。だけど、種族が違えどやっぱり見過ごす訳にはいかない。
グロリア会長が何度も口にしていたノブレス・オブリージュ――、力あるものには義務が伴う。
「て、てめえらぁ! 彼女からその汚い手を離しやがれぃッ!」
僕は巻き舌で威勢よく声をあげた。
「貴様……、せっかく見逃してやろうと思ったのに愚かなヤツだ」
指関節をバキバキと鳴らして男が向かってきた。僕は意識をバトルモードに切り替える。だが剣は抜かない。相手も素手だし血が流れる事態は避けたい。
もっとも端から向こうは僕を殺る気だ。
男の放った手刀を躱す。
ゼイダに比べればまるで遅い。これが恒竜族なのか? それとも手を抜いているのか? これならエウロスを抜かずに済みそうだ。
男の打撃を躱した僕は、試しにボディに一発ぶちかます。男は「ぐぅっ」と唸って顔を歪めたが、構わず反撃してきた。
まともに入ったのに蹲らないなんて、さすがの耐久力だ。
「ちっ、何を遊んでいるんだ!」
もうひとりの男が声をあげた。逃さないように掴んでいた女の子から手を離して仲間に加勢しようとしたその直後だった。
「――っ!?」
全身が粟立つ。鋭い殺気が恒竜族の彼女から放たれた。僕は咄嗟に自らも殺気を放って相殺させるが、まともに殺意を受けた男たちの動きが止まった。その一瞬を見逃さない。一気に距離を詰めて彼らの顎に掌底を打ち込み気絶させる。
あと少し攻撃が遅ければ反撃を受けていただろう。僕の背中は汗でびっしょりだ。
すると彼女は地べたに座り込んで、しくしくと泣き始めた。両手で目を覆っている。
絶対嘘泣きだ……。
恐る恐る近づいていくと彼女は潤んだ瞳で僕を見上げた。
「怖かったのじゃ……」
この状況でスキル【KAMATОTО】を発動させても意味はない。
「……いや、キミさ、絶対あいつらより強いよね?」
「か弱い乙女に向かってなにを言うのじゃ、主はひどい男じゃ……」
「詳しい事情は知らないけど、彼らはキミの従者かなにかなんだろ? 一緒に家に帰ってあげたら?」
「主様よ」
彼女は弱々しく僕の足に触れる。道端の段ボールの中で鳴く子猫ように、縋りつくような瞳で僕を見上げた。
「今夜は帰りたくないのじゃ……」
「可愛く言ってもダメ!」
断固拒否すると彼女はすくりと立ち上がった。今度は腰に手を当てて胸を張る。
「妾は主と一緒にいることに決めたぞよ」
「な、なにを勝手に……。出会ってばかりの男にそんなことを言うもんじゃありません」
めっ! とたしなめるが彼女はふるふると首を振った。
「妾は感じたのじゃ」
「はあ? なにを感じたって?」
「妾と主を結ぶ運命じゃ! この出会いは必然、妾たちは出会うべくして出会ったのじゃ!」
あー、これはアレですね。もうアレで確定ですわ。出会ってすぐに運命だとか言っちゃうヤツは結婚詐欺師か美人局と相場が決まっている。
ハニートラップなら宿屋に入って彼女の体に触れた瞬間、さっきの男たちが出てくるんだろ?
おうおう、オレの女に何してくれとんじゃワレぇってさ。
ひぇぇ、怖い怖い。
「いえ、運命ならもう間に合ってるんで」
僕は手のひらを左右に振った。訪問セールスを断るみたいに、いらないいらないマジでいないと。
――んが、何度断っても彼女は後を付いてきた。何を言ってもめげないし効果がない。
「付いてくるな」と言っても「照れるでない」と自分本位に解釈されてしまう。どうなってるんだこの娘のメンタルは……、強すぎてまるで歯が立たない。
そんな彼女の名前はリザ・リタ・アガスティアというらしい。
はて? 恒竜族のアガスティア氏ですか、どこかで聞き覚えがありますねぇ。
そう、何を隠そうユーリッドが倒してしまった恒竜王アガスティアである。
ということは彼女は恒竜王の娘? もしくは孫? どちらにしても血縁者の可能性は高い。王の血縁となれば、つまり姫君である。
しかし、とてもじゃないが怖くて聞けない。そんなこと確認したくない。知らぬが仏だ。
シチュエーション的にさっきの男たちは姫を連れ戻そうとする兵士といったところだろう。意識を取り戻せば、きっとまた彼女を連れ戻しにくるはず。
このまま彼女と一緒にいれば僕は恒竜族と敵対することになる。姫を攫った輩として……。
彼女は僕にとって爆弾のような存在、爆弾娘である。
危機感を覚えつつも、僕は竜の姫君である彼女を乗せた馬の手綱を引いて歩いている。僕が馬に乗せたのではなく、気付いたら彼女が勝手に乗っていたのだ。それが当たり前のように。エスコートしろと言わんが如く。まさにこれぞ王族の振る舞い。
そして、思っていた以上に時間を取られてしまった。やはり今夜はこの森で一夜を過ごすしかない。
一難去ってまた一難か……。
「はぁ……」
溜め息を吐いて僕は立ち止まる。リザも気付いたようだ。
「囲まれているようじゃな」
茂みの中に複数の気配。
「そのようだな。キミの知り合いかい?」
「この辺りに妾の知り合いなどおらん」
「そうだろうね」
コソコソしているからさっきの連中でもなさそうだ。それに知性ある亜人や本能に従う魔獣なら恒竜族の彼女に近寄ってきたりなどしない。目にした途端に真っ先に逃げ出すはずだ。
ということはアンデット系か?
「おいおい……、マジかよ……」
前言撤回、これは完全に予想外だ。茂みから姿を現したのは、まさかのリザードマンだった。三十体近くいる。
なんでこの森にリザードマンが? しかも剣や槍で武装しているぞ。
ひょとしてこいつらは恒竜族の配下なのか? リザの反応を見る限り違いそうだが……。
「この森に入ってくるなんて運のない連中だぜ」
リザードマンたちはゲラゲラと笑う。
「馬と女をよこせ、お前の命だけは助けてやる」
「それはダメだ。万が一にもオレたちの存在が魔王様やゾディアックの耳に届いたら殺されちまう」
「いやいや、人族に魔人の知り合いがいるとは思えねぇ」
魔王様? ゾディアック? 魔人?
「あんたらひょっとして魔境から転移してきた魔王軍の脱走兵か?」僕は言った。
「な、なぜそれを!?」
あっさりゲロしやがった。
やっぱりそうか。大規模転移してきた魔王軍を殲滅できずに取り逃がした敵兵士は大勢いる。実際にデリアル・ジェミニの別動隊は僕を殺した後に散開している。
今現在、西方大陸には多くの魔境出身の亜人や魔獣が息を潜めているのだ。このリザードマンたちも生き残ったか脱走してきた者たち。魔境に帰れずそのまま西方大陸に潜伏する兵士たちの一部に過ぎない。
「それを知られちゃ生かしておけねぇ! 野郎どもやっちまえ!」
まさかこのセリフをリザードマンの口から聞くとは思っていなかった。印籠か桜吹雪が欲しいシーンである。
「この痴れ者が!」
リザの声が森の中にビリビリと響く。
「妾の恩人であるこの者に手を掛けるなど断じて許さぬぞ!」
おお、なんと印籠や桜吹雪に匹敵する存在がここにおわすではないか。さあ、ひかえよ! ひかえるのだ!
「なんだこの女は?」
「生意気な女は嫌いじゃねぇ、げへへ」
こいつら異種族でもイケる口なのか……、爬虫類のクセに。いや、リザードマンと竜は近縁種か?
「い、いや、待て……」
「んだよ」
「あの角と瞳……」
「なっ!?」
顔色が一瞬で変わった。トカゲの顔色なんて分からないけどヌメヌメした肌が青ざめている、ような気がする。
「まさか……恒竜族? だが、ここは奴らのテリトリーじゃないはずだ……」
「如何にも! 妾の名はリザ・リタ・アガスティア! 次代の恒竜王アガスティアである!」
堂々たる名乗り上げだ。これにはリザードマンたちの開いた口が塞がらない。
「じょ、冗談じゃねぇ! にげろッ! 撤退だ!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。




