第159話 旅のはじまり
僕とガブリエラは屋敷の庭で対峙する。
この一年間、僕たちは毎日のように剣を交えてきた。互いの手の内はすべて知り尽くしている。手加減なんてできない。そんなことをしたら僕は彼女に本気で嫌われてしまう。
全力で戦い、ガブリエラに勝つ。それが彼女に対する最大の敬意だ。
互いを見据える僕ら兄妹を、クラリスとソフィアが心配そうに見守っている。
「うぁぁぁぁぁっぁぁぁっ!」
悲しみと覚悟を内包した咆哮を上げて、ガブリエラが剣技を繰り出した。
基本に忠実で教科書のように正確な連撃、彼女の努力が太刀を介して伝わってくる。
ガブリエラ、本当に強くなった。
けれど――。
僕は彼女の剣を下から跳ね上げた。
彼女の手を離れてくるくると空を舞った剣が地面に突き刺さる。
ガブリエラの眼前に切っ先を突き付けて、勝敗は決した。
「なんで……、なんでッ! なんでですの! あんなに頑張ってきたのに! なぜお兄様に追いつけのないのですかッ! う、うう……、うううっ」
声を上げて泣き出したガブリエラを僕は抱きしめた。
「ガブ、強くなったね」
「嘘を……嘘を付かないでください……」
「嘘じゃない、本当だ。それに僕が強くなれたのだってガブのおかげだ。妹に追い越されないように必死だった」
首を振ったガブリエラは、「行かないで……、お兄様……ガブも一緒に連れていって……」と僕の背中に腕を回して嗚咽を上げる。
「ダメだ。キミには役目があるから」
「役目?」
「ガブリエラ、僕がいない間、クラリスとソフィアを守ってほしい。ふたりのことを任せた」
僕の言葉に目を見開いた彼女の瞳に、やがて覚悟の灯火が宿る。
「……わかりましたわ……。この命に代えても……お守りします」
震える声で、泣きながら彼女は約束してくれた。
「代わりにガブに死なれても僕は困るよ」そう言って僕は彼女の涙を指で拭う。
その夜、僕は彼女たちと同じベッドで一緒に寝ることになった。寝ると言ってもエッチなことはなし、ただの添い寝だ。
ソフィアとは特別にお義父さんから許可をもらって僕の家に泊まった。
狭いベッドで誰が僕の隣になるかで喧嘩になりそうになったところで、ガブリエラが退いたのは意外だった。
自分は何度も一緒に寝たことがあるからだそうだ。
確かに小さい頃は一緒に寝ていたけど、それとこれとは意味が違う。
彼女は僕にふたりを守れと言われたから、自分は一歩引いてナイトになろうとしているのかもしれない。
僕はそんな健気な妹を抱きしめた。
「ひゃ!? お、お兄様……」
僕は彼女の頬にキスをして、「ガブ、大好きだよ」と耳元でささやくと、ぼっと火が付いたように紅くなる。湯立つガブの頭を撫でて、四人で狭いベッドに入った。
朝目覚めると僕だけ床に落ちていた。
真ん中で寝ていたはずなのに、どういう訳か押し出されたらしい。
三人は仲良く川の字でまだ寝ている。
美少女たちが自分のベッドで並んで寝ている光景は実に壮観である。
このままベッドに飛び込んでしまいたいところだが我慢だ。
その前にガブには、おしべとめしべから始まる性教育を施さなければならないし、ソフィアのお義父さんとの約束がある。すべては二年後のために今は視姦するだけにしておこう。
ぬ? ここにラウラとアルトを加えれば、もはや桃源郷ではないか……。
ぐふふっ、桃がいっぱいで溜まりませんな!
僕は明日の朝、旅に出る。出立まで二十四時間を切った。静かな寝息を立てる三人を残して部屋を出た僕はヴァルに声を掛ける。
「ヴァル、今日は自由にしていいから会長や先生たちと別れを済ませておいてほしい」
『承知した。感謝する』
――そして、僕の意識が途切れて翌朝を迎えた。
大きな荷物を背負って玄関を出ると、僕を見送るためにみんなが並んで待ってくれていた。セツナやフランク、ソフィア父の姿もある。彼らには僕が旅立つ理由を武者修行だと適当に濁している。
彼らと握手を交わした後、僕はクラリスたちを順番に抱きしめていった。別れの言葉は口にしない。
いつものように「いってきます」、「いってらっしゃい」と挨拶を交わす。
花道のトリを飾るのはグランジスタとゼイダのコンビだ。
僕の前に立ったグランジスタが腰の剣を抜いた。
「俺が使っていた原剣エウロスだ」
そのうっすらと翠色をした刀身は、思わず惹き込まれてしまうほど美しい。
彼がこの剣を僕の前で抜くのは初めてだ。稽古のときも免許皆伝試練のときすらも別の剣を使用していた。それだけ強力であり彼にとって特別な剣なのだ。
「今日からお前の物だ」と言った彼は剣をくるりと回転させ、柄を僕に向ける。
「いいんですか?」
「ああ、今の俺が持っていても仕方ないからな。お前が俺の意思と一緒にこいつを継げ」
「はい、大切に使います!」
僕は彼の意志と共に剣と鞘を受け取った。
「オレからはこれをお前に預けておく」とゼイダは首にかけていた紅蓮の勾玉を外して僕に差し出した。
「これは?」
「獣王の証だ。北方大陸で獣族にそいつを見せれば協力してくれるはずだ」
「大切に預からせていただきます」
獣王の証を受け取り、そのまま自分の首にかける。
「ああ、そういえば」と言ったのはグランジスタだ。
「ついさっき俺のところに知らせがきてな、新しい勇者が誕生したそうだぞ」
「まさかイザヤになにかあったんですか!?」
「いや、イザヤは健在だ。イザヤを押しのけて勇者の座に就いたらしい。元々あいつは仕方なく勇者をやっていたからな。教会は暫定勇者ではなく正規勇者を立てることにしたんだろう」
この世界で生まれた準勇者と勇者は、勇者召喚までの繋ぎに過ぎない。本来の流れなら、異世界から勇者が召喚されればその者を新たな勇者に据える。
だけど、セツナは枢機教会から見限られている。じゃあ一体誰がイザヤを押しのけて勇者になったというのだ。
「それで誰が勇者になったんですか?」
「準勇者《烈火》レイラ・ゼタ・ローレンブルクだ」
「……レイラ?」
確か、図書館で見た戦記に準勇者のひとりとして名前が載っていた。
「こいつは聖令歴始まって以来のギフテッドらしい。実力ではとっくにイザヤを越えていたが、カインで最高神官の護衛をさせるために勇者に据えずに今まで温存していたそうだ」
「ギフテッド……」
精霊の寵愛を受け、無限に等しい加護をその身に受けることができるこの世界の特異点。オミ・ミズチがそうだったとラウラが言っていた気がする。
「新しい二つ名は《炎帝》だとよ。会うことがあればよろしく言っといてくれ」
「分かりました……えっと、その……」
「どうしたモジモジして、寂しくなったのか?」
「それじゃあ……行ってきます! 父上!!」
今まで気恥ずかしさから呼べなかったけど、僕は今になって初めてグランジスタを父と呼んだ。
涙ぐむグランジスタに僕は後頭部を掴まれて彼の胸に引き寄せられる。
「今度こそ死ぬなよ……ライゼンの孫、そして俺の息子よ!」
「はい!」
僕は力強く彼の身体を抱き返した。
みんなに見送られて僕を乗せた馬が歩き出す。
思い返せば一人の旅は初めてだ。いつもラウラがそばにいてくれた。
生まれ育った故郷を離れるのはやっぱり寂しい。ラウラもリタニアスを去るときは、こんな気持ちだったのだろうか。
これから孤独な旅が始まる。
『さて、どこへ向かう』
失礼、忘れていた。そういえば僕には相棒がいるのだった。
魂を預けた契約者、淫獣にして魔神、その名はヴァルヴォルグ――。
「そうだな、まずは聖都カインだ。新勇者の顔でも拝みにいこう」
いつも読んでいただきありがとうございます。第三部はこれにて完結となります。
正直ここまで続けられるとは思っていませんでした(・ワ・;)
第四部は二週間……、二週間で……たぶんイケると思いますので二週間後の更新を目指して頑張っていきたいと思います。




