第158話 決意
緊張の糸が切れた瞬間、どっと力が抜け落ちた。崩れた膝が道場の床に付く。
「か、勝った……。僕は、あのグランジスタに、ついに……、勝ったんだッ!」
思わず拳を握りしめてガッツポーズを取っていた。
「合格だ、ロイ……よくここまで頑張ったな。なあ、そうだろ兄貴?」
「ああ、よく頑張った。よくぞここまで己を鍛え上げたな、ロイ……」
ダリアは目を細める。
「どうやら私の眼を節穴だったようだ……。今まですまなかった……、今更こんなことを言っても償えはしないが、この愚かな父を許してくれ」
目を潤ませながら僕の前で跪いた。
「父上……」
父親に認められたことが素直に嬉しくて、思わず目頭が熱くなる。
「いえ、僕の方こそ……」そう言いかけて首を振った。
「ありがとうございます……でも、まだ僕はゼイダさんに勝てていません」
壁に寄りかかって立つゼイダの方を見ると、彼は肩をすくめてみせる。
「何言ってんだ、今のお前はもうゼイダより強いぞ」
グランジスタが剣を肩に担いで言った。
「……え?」
「だってよお前、毎日毎日俺とゼイダに連戦で戦ってほとんど互角なんだぜ? お前は無意識のうちに『次があるからなるべく体力を温存しておこう』って心理的なブレーキを掛けちまっているんだ」
「確かに……、言われてみれば無意識に次の戦いのことを考えていた気がします」
「俺はな、こいつ舐めやがってと思いながら最近はお前と剣を交えていたんだ。ま、俺の全盛期にはまだ届かないが、魔境で生きていけるぐらいには仕上げたつもりだ」
「ありがとうございました!」
今まで僕を鍛えてくれた父上、グランジスタ、ゼイダに頭を下げる。
「で、いつ発つんだ?」グランジスタは言った。
「すぐにでも出発したいところですが……」
「あいつらか?」
「ええ、はい……」
グランジスタはとっくに気付いていたようだけど、僕は以前から考えていたことを彼らに打ち明ける。
「叔父上、クラリスは回復魔法や支援魔法が使えます。ガブリエラは剣士としては十分な力を持っています。ソフィアは準備が必要でしょうけど、僕ら四人で冒険者パーティとしてやっていくことは可能でしょうか?」
そう、僕はずっと迷っていた。
できれば彼女たちを旅に連れていきたい。そばにいてあげたい。
グランジスタとゼイダは顔を見合わせる。
「冒険者としてやっていくことは可能だ。そんじょそこらのヤツらよりは間違いなく優秀だな」
「じゃ、じゃあ――」
だがな、とグランジスタは言う。
「西方大陸をうろつく分には問題はない。だが魔王やデリアル・ジェミニを倒すとかそういう話になってくると話はまったく変わる。あいつらはお前の足手まといになる」
「そんな……、僕は彼女たちのことを足手まといだなんて思っていません」
「思っていなくてもお前が守ってやらなきゃいけなくなる。俺がお前の敵ならまず治癒魔法が使えるクラリスを狙う。その後にガブリエラだ。それに戦わなくてもソフィアを人質に取られたらお前は詰む」
どうしても想像してしまう。
僕が抑え込まれている間に、彼女たちが次々と敵に討たれていく姿を――。
「あのふたりは決して才能がない訳じゃねぇ。ソフィアもアークライトの血を引いているから素質はあるかもしれないが……。今のお前に追いつくには、最低でもあと十年は修行が必要だ。そんな訳で同じレベルのヤツでもない限り、お前はひとり旅の方が上手く立ち回れる」
「そういうことだ。魔境や北方大陸にいく必要があるなら、どちらにしてもリタニアスでイザヤたちと合流することになるだろう。そこで勇者パーティに加わればいい」
グランジスタの後に続いたゼイダの言葉に僕は反論できなかった。
ふたりの言うことはもっともだ。
ただでさえ魔王軍が転移してくる時代だ。国の外に出ればどこであろうと危険が伴う。
この家に彼女たちがいてくれるなら安心して旅ができる。グランジスタとゼイダが一緒なら僕と旅するよりも遥かに安全だ。
彼らからはっきりと告げられて迷いが吹っ切れた。
でも、何年も待たせる訳にはいかない。
もう僕の人生は僕だけのものではない。区切りを付ける必要がある。
僕はクラリスたちを集めて自分の決断を打ち明けた。
「二年だ。二年で必ずラウラを見つけて戻ってくる。戻ってきたら結婚して一緒に暮らそう」
それはクラリス、ガブリエラ、ソフィアの三人に向けた言葉だった。
ヴァルと体を共有するうちに感化されたのかもしれない。女性に対して真摯に向き合う強い意思、分け隔てなく愛を注ぐ誠実さ、僕はヴァルに敵わないけれど、今の僕にできることは彼女たちに愛していると心の底から伝える、それだけだ。
だから僕は誓った。僕はキミたちを絶対に幸せにしてみせる。誰ひとりとして不幸にさせない。必ず帰ってくると約束して、彼女たちに僕の想いをすべて告げた。
「うん、待ってる」
クラリスは微笑んだ。彼女の目から大粒の涙が零れ落ちる。
「クラリス、キミと交わした約束を一年も先伸ばしにしてしまってすまない」
「ううん、ロイの大切な人だもの……。わたしにとっても大事な人だよ」
「ありがとう、クラリス」
クラリスには感謝しかない。今の僕があるのは、すべて彼女のおかげだ。
ソフィアは「お帰りをお待ちしています」と言って僕の手を握りしめた。
「ソフィア、キミとの時間をあまり作れなくてごめん……、帰ってきたらゆっくり過ごそう」
潤んだ彼女の瞳が揺れている。
意志を貫き通す強さを教えてくれたソフィアの手を僕は握り返す。
「ガブリエラ……」
僕が自分の決意を打ち明けている最中も、ガブリエラはスカートの裾を握りしめたままうつむいていた。
「勝負ですお兄様! ガブが勝ったら一緒に連れていってください!」
彼女は歯を食いしばり顔あげる。
これはガブリエラが悩み抜いて出した結論だ。
僕は彼女の申し出を了承した。全身全霊で彼女の想いを受け止める。




