第140話 てんぷれ
僕の怒号に教室が静まり返った。
クラスメイトたちがキョトンと丸くさせた目をぱちくりさせている。一体何事かとみんなが僕を見ている。
セツナも同様に大きな黒い瞳をぱちくりさせた。
「……い、一千万? な、なんのこと?」
彼女は言った。まったく心当たりがない、そんな口ぶりと表情で。
その顔を見た途端、僕は冷静になる。
「……ごめん、なんでもないんだ。でも、僕のことはほっといてくれ」
僕は立ち上がり、逃げるようにではなく本当に教室から逃げ出した。
授業をボイコットして学院の武道場で剣を振った。邪心を振り払うように何度も剣を振る。
冷静になるんだロイ……、彼女は僕の知る浅間雪菜ではない。セツナ・アサマというこの世界の原住民なのだ。
偶然、たまたま、生まれ変わった僕が通う貴族の学校に入学してきて、同じクラスになったにすぎない。よくあることだ。
日暮れの河川敷を自転車で走っているときに、小さな虫が口に入っきて、ぺっぺっとやるのと同じくらいよくあることなのだ。
僕と彼女の間にはなんの因果も、一切の運命もないッ!
カッと目を見開いた僕は、武道場に飾られたアルぜリオン皇帝の銅像を一刀両断してしまった。
スカッとしたので教室に戻り、ハイディングを駆使して自席に付く。
もう邪念はない。
これまでどおりだ。僕の学院生活は何事もなく過ぎていく。
そんなことを言っときながらである。やっぱり僕は悟られない程度に彼女を観察していた。
どうあっても気になってしまうのだ、セツナのことが。気になってしまうのは好きだからではない、これは断じて恋ではない! 断じてだ!
うう……また心を取り乱してしまった。
あまり否定すると本当は好きなんじゃないかと勘違いされてしまうので、今日はこのくらいにしておいてやる。
んで、改めて彼女を観察して分かったことは〝普通〟だということ。
なにかも普通である。勉強も並み、体育も並み、剣術も魔法も人並み。オールラウンダー、器用貧乏ともいう。
他の科目に比べて槍術が多少得意なようではあるが、それでもやはり並みの域を超えない。
ただ、愛嬌とコミュニケーション能力は特Sだ。それだけでも世間を渡っていけるだろう。
女子寮でセツナと同室の女子がヴァルの妃だったため、彼女に探りを入れさせてみたが、出身地や家族構成は判明せず。尋ねても上手くはぐらかされてしまうそうだ。
ただ、西方大陸の事情に疎いようであり、一時期は聖都カインに住んでいたということは分かった。
謎の少女、セツナ・アサマ。君はいったい何者なんだ……。
身辺調査をしている僕もなんだが、はっきり「ほっといてくれ」と言われたのに、めげずに話しかけてくるセツナのタフネスぶりには若干困惑している。
彼女は誰に対しても距離が近い。心的フィールドなんて皆無だ。たとえ相手が心の障壁を展開していてもいとも容易くこじ開けてくる。
そして、そういった行動は往々にして勘違いを生む。好意と捉えられても仕方ない。特に男の子の場合はね。
あなたも一度くらいは経験したことがあるのではないだろう?
幻惑術【え? こいつひょっとして俺のこと好きなんじゃね?】である。
さらにセツナは貴族同士なら一線を画く身分という障壁さえも易々と超えてくる。
公爵家の嫡男だろうと伯爵家の令嬢だろうと悪いことは悪いとはっきり言う。上級生から生意気だとひんしゅくを買って、小競り合いになってもセツナは言いたいことを言った。遠慮することなく言い返した。
これがまたしてもよろしくない。
普通なら粛清されるところなのだが、この異世界においても幻惑術【はあ? あんたこそ気を付けなさいよ! ちっ……生意気な女だ、だけど――】が発動する。
お堅い貴族社会で育った彼らには彼女の天真爛漫さが新鮮に感じるのだろう。地位や名誉に媚びない彼女が太陽のように眩しく見えるのだろう。
そのくだけた態度とあざといスキンシップに好感を抱く男子生徒も多かった。
そんな矢先、セツナは中等科三年のフィテェル公国公爵家嫡男から清い男女交際を申し込まれたそうだ。
公国の公爵の息子といえば王子様と同じ。平民が王子に求婚されるなんて正にシンデレラストーリーといえる。
いつかは誰かに告白されるだろうと思っていた。だが、問題は彼には別に婚約者がいることだ。こいつは婚約破棄するとまで言い出している。
まったくどんな神経してやがんだ。婚約者がいながら他の女子に交際を申し込むなんて、品行方正な僕には理解できやしないぜ……。
噂ではセツナは他の男子からも言い寄られているらしい。ジャン皇子も彼女のことが気になっている様子でチラチラと教室を覗きに来ているけど、僕がいるから入って来られずにいる。
とにかくモテモテだ。
こうなるとどうなるか、想像に難くない。
異世界でも日本の教室と同じことが起こる。
女子から嫌わる。
僕も一時期はヴァルのせいで男子から嫌われていた時期もあったけど、女子のそれはさすがと言うべきか、えげつない。
あれだけちやほやしていたクセに掌を返した転校生イジメが始まった。




