第139話 堪忍袋
「せ、席は空いてるところを使ってね……」
「分かりました」
毅然とした態度で教室を見渡した彼女は、窓側の空席に移動して着席した。
「じゃ、じゃあ、みんな……、今日もお、お勉強がんばろうね……」
――なにが一体どうなってるんだ……。
頭を抱える僕をあざ笑うかのように、セツナ・アサマはあっという間にクラスメイトと打ち解けってしまった。
貴族にとって東方人はまだ珍しい存在だから休憩時間は常に生徒たちに囲まれている。
分からん……。彼女はこの世界に元々いたあいつだと考えるのが自然だ。
僕にとってのユーリッドのように、彼女は僕の知る浅間雪菜の平行世界人……。
とにかく、彼女が誰であろうと僕はあいつには関わりたくない。
そんなことを言っておきながら、やはり気になってしまう。というか意識せざるを得ない。否が応でもセツナを囲むクラスメイトたちの会話に聞き耳を立ててしまう。
聞き漏れてくる話によると、彼女は貴族出身ではないらしい。つまり平民だ。
東方に身分制度がないのかもしれないが、それは考えにくい。どんな世界にも身分は存在する。そして平民がこの学院に入学のみならず途中から転入してくるのは異例中の異例である。
ミステリアスな話題性とエキゾチックな容姿が相まって、彼女はあっという間に学院中の人気者になってしまった。
休み時間になるとセツナ見たさに教室の外は大渋滞、歩けば大名行列か教授の総回診かよとツッコミたくなる絵面が展開される。
それだけちやほやされれば天狗になってしまうところだが、セツナは違った。
調子に乗ることも鼻に掛けることもなく、誰に対しても分け隔てなく接して気を配る。なによりすごいのは名前と顔を一発で覚えてしまうことだ。
有名人に名前で呼ばれて悪い気分になる者はいない。誰もがセツナと仲良くなりたがった。
そんな中で僕は、世論という荒波に抵抗するが如く、流行りに逆行するレジスタンスのように、できるだけ存在を消して彼女の視界に入らないように細心の注意を払って行動している。
ゼイダから伝授されたハイディングスキルをフル活用している。もはやこの教室で僕の存在に気付ける者はいない。
なにせ気配を消し過ぎてここ数日、欠席扱いになっているほどである。ふふふのふ……。
だけど――、
「ねぇ、ロイくん!」
うげっ! 話しかけてきやがった!
僕の完全なハイディングを見破るなんて、こいつやはり只者じゃない……。
「な、なに?」
自席に座ったまま僕は愛想笑いを浮かべた。久しぶりの愛想笑いに頬が引きつってしまう。
「んー……、別に用はないんだけど、このクラスで話したことないのってロイくんだけだったからさ。これでクラスメイト制覇達成! いえーい!」
セツナは僕に向かってVサインを突き出してきた。
ひぇ! 陽キャ怖いッ! 爆発して飛散しろ!
クラスでは根暗キャラの僕にはこのノリは刺激が強すぎる。
うう、そうだった……、だんだん思い出してきたぞ。確かにこいつはこういう女だった。新入社員研修でも誰彼構わず話しかけて連絡先を交換してやがった。八方美人で馴れ馴れしいヤツだった。
「そう……制覇おめでとう、それじゃあ僕はこれで……」
席から立ち上がろうとした僕に、「なんかさ、ロイくんってわたしのこと避けてない?」とセツナは眉根を寄せる。
「そ、そんなことないよ」と言いながら僕はつつつと視線をそらした。
「えー、そうかなぁ」
セツナは上目遣いで僕の顔を覗き込む。
「なんかこうさ、どこかで会ったことがあるような気がしない?」
「いえいえ、初対面です。会ったことなんて一度もありませんよ」
「たとえば前世で恋人同士だったとか?」
「そ、そんなことある訳ないよ」
「そんなに否定しなくてもいいじゃん……。あ、これってもしかしてロイくんに運命を感じちゃったからだったりして、なんてね」
彼女はウインクしてくすりと笑う。
普通ならここで、ぽっと顔を赤らめたりするシーンなのだろう。
だけど僕は違う。
そんな彼女のあざとい仕草に、頭の中で何かがプツンと音を立てて切れてしまう。
「い……いっせんまん……」
「え?」
「一千万返しやがれ! このドぐされアマぁぁぁぁっぁぁ!!」




