第131話 親と子
理想のヒモ生活を妄想しているうちに地元に到着してしまった。
改札を出ると、そこには記憶となんら変わらない風景が広がっていた。田舎とも都会ともいえない中途半端は地方都市、魂の奥底から蘇る懐かしい匂いに僕は故郷へ帰ってきたことを実感する。
駅から歩くこと三十分ほど、時を経ても我が生家は健在であった。表札も変わっていないから両親が存命である可能性は高い。
心の準備をしていなかったから緊張で喉が乾いて仕方ない。インターホンを押す指が震えている。親ではなく成長した姪っ子が出てきたら僕はどんな顔をすればいいのだろうか。
ごくりと唾を飲み込んでインターホンを押して待っていると玄関から母親が出てきた。
十数年ぶりに会う母は、すっかりおばあちゃんになってしまっていた。続いて母の様子がいつもと違うことに気付いて様子を見に来た父親とも再会を果たす。
ずいぶん年老いたけど、ふたりとも生きていて良かった。
僕は片言の日本語で禅宮游の友人を名乗った。母国で彼に命を助けてもらった。彼は恩人だと伝えた。
そして、彼の代わりにあなたたちに会いにきたと説明すると、何かを悟った母は僕を居間に案内した。
畳で正座した僕はテーブルを挟んで両親と向かい合う。彼らは緊張の面持ちで僕の言葉を待っている。
「ユウ、シンダ、センソウデ」
拙い僕の声に両親は息を呑んだ。
「ミツカリマセン、カレノ、イタイ」
言葉を短く区切って伝えていく。
「そうか……、連絡が途絶えてずいぶん経つからな。どこかで生きていると信じていたが……、そうだったか」
目を伏せて父は言った。母は涙を流す代わりに重ねた手を震わせている。
きっと彼らは、十五年間の時の流れの中で僕が戻って来ないことも覚悟していたのだろう。
「ワタシハ、カレノ、コドモ、ミタイナカンジ」
僕は通帳と印鑑をテーブルに置く。
「コレ、ユウノ、ノコシタオカネ、アナタタチデ、ツカッテ、ユウ、ソウイッタ」
僕の口座には株取引で稼いだ大金が入っている。
息子としては何もできなかったけれど、せめて残りの余生は両親に贅沢させてあげたい。それに今の僕が持っていても仕方がない。
「モウ、カエリマス。オゲンキデ」
頭を下げて僕が立ち上がると父は言った。
「ロイ君といったかな、今日は泊まっていきなさい。えーと、ステイ、トゥナイト」
父の提案に母もうなずいている。
「アリガトウゴザイマス」
急遽一泊することになったその夜、母の料理に涙が零れそうになるのを必死で我慢して食べた。
自分はなんて親不孝な息子なんだと思う。正体を明かさずに、嘘まで付いている。本当のことを話しても信じてもらえないと分かっているけど、自分が息子だと伝えられないのは辛い。
せめてもの親孝行として僕は家事を手伝った。食器を洗ったり、風呂を洗ったり、客間の布団を自分で敷いたり、朝早く起きて庭の掃除をしたり。
朝食は母と一緒に作っている。献立は塩鮭と小松菜の味噌汁に白米だ。母親の手伝いなんて小学生以来だった気がする。
「ロイくん、冷蔵庫からお味噌とってくれるかしら? お味噌、わかる?」
母の指示に僕はうなずいた。
冷蔵庫を開けて味噌の容器を探すが見当たらない。いつも上段に置いてあるのだが……。
そういえば昨晩、親父がキュウリに味噌を付けて食べていた。彼は使った味噌の容器を野菜室に入れるクセがあるのを思い出して開けてみると、やっぱり入っていた。
僕は取り出した味噌を母に手渡す。
「here you are」
「サンキューベリーマッチ。まったく、またお父さんね、そんなところに戻して……。でもよくそこにあるって気付いたわね?」
味噌の容器を持ったまま彼女は僕の眼をじっと見つめた。探るような母の視線に僕は少し焦りを覚える。
さっきの何気ないやりとりで彼女は互いを結ぶ縁を感じ取ったのだろうか。
「……あなた……もしかして……」
そう言いかけて母は弱々しく首を振り、
「って、そんな訳ないわよね……」と息を付いて悲しげに呟いた。
母のその表情に僕の胸は締め付けられるように痛む。本当のことを言ってしまおうか迷ったけど、喉元まで来たところで言葉を呑み込んだ。
◇◇◇
「アリガトウ、ゴザイマシタ」
駅まで車で送ってれた両親に改めてお礼を言って、僕は頭を下げた。
「またいつでもいらっしゃい。ここはあなたの帰れる場所、ホームだからね。それを忘れないで」
母の目は潤んでいる。今にも泣き出してしまいそうだ。
「ああ、君はユウの息子みたいな存在なのだろ? だったら自分の家だと思ってくれ」
感情をあまり表に出さない親父も泣き出しそうだった。
そんなふたりの姿に僕は堪えきれずに泣いてしまった。両親ももらい泣きして、気付くと僕らは抱き合っていた。
たとえ体は違っても、魂で通じ合う物があるのだと僕は感じた。
――なんて話を戻ってからクラリスに聞かせたら、彼女は号泣していた。その後で、事情を知らないガブリエラにクラリスを泣かせたと怒られてしまう。
翌日、僕はビアンカ・ナイトハルト、つまり僕を生んでくれた母のお墓参りに行った。
僕は墓標の前で顔も覚えていない母上にこれまでの出来事を報告する。
嬉しかったこと、楽しかったこと、辛かったこと、傷付いたこと、これからのこと、たくさん話した。
僕の話を黙って聞いてくれた母は最期に僕の頭を優しく撫でてくれた――、そんな気がしたのだった。
心残りをひとつずつ整理していき、僕は来るべき日に備えていく。
次回予告【中等科剣術大会】




