第129話 引越
アルデラは「生まれ変わって出直してこい」と言った。あいつは自分の存在を脅かすような天敵を求めている。
僕の答えを聞いたグランジスタは青い眼をギラつかせて、「分かった。ヤツをぶちのめすために俺がお前を鍛える」と言ってくれた。
僕はうなずく。是非もない。この世界で彼以上の師匠はいない。
あの余興がなければ僕の正体を明かす機会はなかった。正体を明かしたとしても立ち合っていなければ僕の言葉を信じなかったかもしれない。父上に感謝しなければいけない。
「叔父上、ひとつ疑問があります」
「なんだ?」
「なんというか変な質問かもしれませんが、僕が死んでから十年以上経っているのに世界が支配されていないのはなぜですか?《双児宮》はどこにいったのですか?」
グランジスタは腕を組んだ。
「それは分からない。俺は魔族側になんらかの動きがあったと考えている。ヤツが魔王の元から離れた可能性もある」
「魔王とデリアル・ジェミニが敵対したということですか?」
「考えられない話じゃない。あいつは魔王より強い」
「そうなると、ますますデリアル・ジェミニの動向が読めなくなりますね……」
「とにかくだ。俺はお前を鍛える。最低でも今の俺より強くなってもらう。俺を超えるまでは恋人探しの旅には行かせねぇ、それが条件だ。分かったな?」
「はい、わかりました」
「うっし、そんじゃ明日までに身支度を済ませろ」
「身支度ですか?」
「ああ、お前を俺の養子にする」
「えっ!?」
さらりと重大なことを言われたので、数秒ほど固まってしまった。
「俺の家にわざわざ通うのも面倒だ。それに俺には子供がいないから、兄貴も文句は言わんだろう。それとも俺の息子になるのは嫌か?」
「いえ、とんでもない。光栄なことです」
「決まりだな。明日から俺の家で特訓だ」
「あ、ひとつお願いがあります!」
「なんだ?」
「クラリスとガブリエラも一緒に連れて行っていいでしょうか?」
「クラリス? ガブリエラってのはお前の妹だろ?」
「なんと言いますか、ふたりとも僕の婚約者なんです……」
グランジスタは呆気に取られている。間の抜けた顔で彼は苦笑した。
「お前、大物になるぜ。……分かった。クラリスとガブリエラも一緒に連れてこい」
◇◇◇
――翌日、ナイトハルト家の玄関前。
「お父様、お母様、長い間お世話になりました」
大きな旅行鞄を両手で持ったまま、ガブリエラは頭を下げた。
「ガブリエラ……」
父上と継母は娘の巣立ちに涙している。
両親にはグランジスタから話がついていて、僕が彼の養子になることも、クラリスとガブリエラを連れて行くことも了承を得ている。もちろん、彼らも「はいそうですか」なんて即答できるはずないのだが、グランジスタに圧を掛けられたダリアは、しぶしぶ認めざるを得なかった。
グランジスタは父上に「俺がロイを勇者に育てる」と言ったそうだ。彼は肩を落として「そうか」と呟いたらしい。
そのときの父上の心情は今の僕では分からない。
「二人ともそんな顔をしないでください。嫁ぐ日が来ただけではありませんか。むしろお喜びになってくださらなければ、ガブも笑顔で出ていけませんわ。それに居住地は郊外のビンス地区だとうかがっております。いつでも会いに来られる距離です」
ガブちゃんは嫁ぐ気のようだ。そんな具体的な話はしていないけど、婚約しているのだから自動的にそうなるのは理解できる。それに彼女を置いてクラリスだけ連れていくとまた自殺未遂しそうで怖い。
まあ、そうなるよな……、そうなるよ。どうしようもない……、もう後には引けないぞ。
継母は最後まで僕のことを怨めしげに睨んでいた。僕のことが憎くてたまらないのだ。どこぞの馬の骨的扱いで僕のことを睨み、悪い男に捕まってしまった一人娘のことを案じて嘆き悲しんでいる。
「ロイ、いつでも帰ってきていいんだぞ」
最後に父上はそんなことを口にしていた。
僕が惜しくなったからって今更そんなことを言っても遅いですよ父上――、とは言わないでおこう。
「ありがとうございます。父上、お世話になりました。どうかお元気で」
荷物を積載した僕らの馬車は小一時間ほどでグランジスタの屋敷に到着した。
彼の家は父・ダリアが妾たちを住まわせていた郊外の別邸だ。グランジスタは彼女たちを追い出して、自分の家にしてしまったのだ。
弟に頭が上がらないダリアが文句を言えるはずもなく、妾たちは本家で正妻と同居するはめになったのである。父上の困り果てた顔が目に浮かぶ。
そして、荷ほどきもそこそこに初日から過酷な修業が始まった。
ナイトハルト流の神髄は止まらない連続攻撃である。一対一よりも一対多数を相手にすることに特化した剣術だ。
一撃の威力よりも手数で敵を圧倒するため、基本スタイルは二刀流となる。中には三刀流なんて奇抜な剣士もいるが、僕は一刀を好んでいる。だが、いつでも二刀にスイッチできるように左右の手で剣を扱えるように訓練している。
ナイトハルト流の極意、流れるような連撃を可能としているのは独特の呼吸術だ。
「そう、呼吸なのですわお兄様」と、特に意味はないけどガブの真似をしてみた。
歴々の偉人たちは声をそろえて言う。
呼吸が大事と――。
さて、呼吸術といっても誰でもできるものではなく、はっきり言って人間業ではない。
まず体内に風の精霊シルフを宿すところから始まる。精霊に空気を生成してもらい、体内で直接取り込むのだ。
これによって呼吸する必要がなくなり、戦っている間は息を吸わずに絶えず吐き続ける。
そのためナイトハルト流の剣士には風精霊との親和性が求められる。優先して祈りを捧げる精霊も、もちろんシルフだ。
グランジスタが《旋風》と呼ばれるのも、ライゼンに扇風機みたいだなと揶揄されたのもシルフを崇拝しているからではないだろうか。
ただ精霊の加護はムラがあるため、バックアップとして普段から肺活量を鍛えておく必要がある。
常人の何倍もの肺活量を体得するため、潜水行は必須だ。
師範クラスになるとクジラ並の肺活量があるとさえいわれている。そういった変態人間がゴロゴロいるのがこの世界なので納得してもらうしかない。
潜水行でオーソドックスなのは川の中で息を止めて限界まで我慢する方法だが、これはナイトハルトの人間なら小さな頃からやってきたことなので楽勝だべさ、と思っていたらとんでもなかった。
グランジスタは一切容赦しなかった。
普段の生活においても潜水するレベルの息止めを求めてきた。
呼吸していいのは一時間に一度のみ、喋っていると空気を消耗するからなるべく寡黙にしていようと画策していたら、それも禁止されてしまう。
普段通りの生活を送れとのことだ。
チアノーゼな日々が続き、グランジスタとの手合わせでは大怪我を負うこともしばしばあった。その度にクラリスが魔法で傷を癒してくれる。彼女の治癒魔法は冒険者としてやっていけるレベルにまで成長している。
ガブリエラも稽古相手になってくれる。グランジスタの指導のもと、彼女もめきめきと腕を上げている。
修行中はそんな感じで各人がバランス良く機能しているのだが、家の中ではなんというかちょっと歪な状況が続いている。
僕らはみんな別々の寝室で寝ている。
別に普通じゃないかと思うかもしれないけど、僕とクラリスは結婚を前提にした恋人同士であるのだ。それを言ったらガブリエラも同じ婚約者だ。だからこそ別々にしなければならない。
つまり何が言いたいかというと平等性の確保。クラリスに手を出せば、当然ガブリエラも平等に扱わなくてはいけなくなる。
僕は妹に手を出す覚悟はない。
このままではいつまで経ってもクラリスを抱きしめられないから、ガブには早いうちに恋人を作ってもらうしかない。
もっとも、この兄が妹に相応しい男かどうか認めればの話だがな。どこぞの馬の骨かも分からんヤツに可愛い妹はくれてやらん。
どうしても欲しいのならこの兄を倒してみろ!
なんと見事な二律背反か。早く独り立ちしてほしいとか言っときながら実際に彼氏を連れてきたら、面倒くさいことを言い出す駄目な兄貴なのである。
みなさん、こんにちは。アスノです。今日もジメジメしますね。
実は前回の第128話で、グランジスタとの立ち会いの後にあったはずのロイが養子になるくだりが、なぜかバッサリ抜けていまして、今回ごりごりと挿入しましたので、会話が多めとなっております(・ヮ・)




