第122話 ドラフト
「なあ、ヴァル」
朝の通学路を歩く僕は魔神に呼びかけた。傍から見れば何も無い空間に呼びかける変なヤツだ。
『ヴァル?』
「ヴァルヴォルグじゃ長いだろ?」
『ふむ、よかろう』
「昨日のあれ、呪いの話って嘘だろ?」
『その通りだ』
誤魔化しも悪びれもせずに魔神は答えた。ここまであっさり認められると逆に清々しい。
「なんであんな嘘を付いた?」
『きっかけをくれてやろうと思ってな』
きっかけねぇ……。
まんまと踊らされた訳だが悪い気分はしない。実際、僕はクラリスとの関係になんだかんだ言い訳を付けて先延ばしにしていただろう。
「意外と親切っていうか、お節介なんだな」
『後で文句を言われても困るからな』
「ん? なんだって?」
「ロイくん!」
学院の並木道を歩く僕の後ろから声を掛けてきたのは会長だった。
僕を見つけて追い駆けてきたのか、彼女は少し息を切らせている。
「グロリア会長、おはようございます」
「ドラゴンと戦ったと聞いて驚きました。怪我はありませんか?」
「大丈夫です。戦ったというか勝手に逃げちゃったんですけどね」
「ふふ、ドラゴンが逃げ出すなんて、あなたの中には恐ろしい魔物が潜んでいるのではありませか?」
からかうようにグロリア会長が僕の眼を覗き込んできたので、僕は彼女の目を手で塞いだ。
「視てはいけません。僕の中にいる獣が美味しそうな会長を食べてしまいますから」と耳元で囁いた。
ついでに会長の手を取って甲にキスをする。
「それじゃあ放課後、生徒会室におうかがいます」
そう告げるとグロリア会長は、ぼーとした様子で手を振っていた。
そういえば今朝はいつものトリオが来なかったな。来なければ来ないで寂しいというか物足りなさを感じてしまう。え、これってまさか……トゥクン?
「おい、お前がロイ・ナイトハルトか?」
僕を呼び止めたのは中等科の生徒だった。
トリオと同じ制服だけど、どこか彼からは気品のような物を感じる。そう、いうなればオーラだ。
「はい? そうですけど」
「お前、ドラゴンと戦おうとした大馬鹿野郎なんだって? 運よく引き返してくれて命拾いしたな」
「はあ……どうも」
なんだこいつ、やたら馴れ馴れしいな? どこかで会ったような、なかったような。身なりからして金を持ってそうではある。
「ロイ・ナイトハルト、俺の手下に加えてやってもいいぞ」
「手下ですか? いや、間に合ってるんでそういうの」
「はあ? この俺が誘っているんだぞ? 足りない頭で良く考えてから慎重に答えろ」
断っているのになんて自意識過剰なヤツなんだ。上から目線が気に入らん。
「いえいえ、僕ていどがあなたの手下なんて勤まりませんよ」
僕が彼の横を通り過ぎようとしたとき、いきなり胸ぐらを掴まれて、「誰が行っていいと許可した?」と凄んできた。
「これは決定事項だ。お前の意見なんてどうでもいい。たった今からお前は俺の手下だ」
「!?」
僕の頭の中で電球がピコンと点灯する。
ああ、分かったぞ。さては、こいつ僕と友達になりたいんだな。「手下にしてやる」だなんて乱暴な誘い方しかできないのか、このツンデレ屋さんめ。
我が祖国、日本には『デレぬなら デレまで待とう ツンデレラ』という格言がある。
だから僕は先人の教えに従ってこう答えた。
中指を立てて「おととい来やがれ」と。
目を見開いた彼は顔を真っ赤に染めて、腕をぷるぷると震わせている。
「……良い度胸だ。後悔するなよ」
そう言い残して去っていった。
あんなに顔を赤くして照れるなんて、すごい恥ずかしがり屋さんなんだな。あれ……、これってBLチックな展開になっちゃうんじゃないの? もしかして失敗した? ま、いいか。
教室に行ったら僕の机が窓から外に放り投げられていた。
――なぜだ?
◇◇◇
「シャリー先生、どうやら僕はイジメを受けているようです」
昼休み、いつもの場所でベンチに座るシャリー先生は頭を抱えていた。
「イジメというかお前を退学させろと言ってきているぞ」
「え、誰がそんなことを? 僕は誰かに恨みを買うようなことはしてないですよ」
「ジャン・ルード・アルゼリオンだ」
「誰ですかそいつ?」
「しょ、正気か? それともとぼけているのか?」
「とにかく、そいつを怒らせるようなことはしていません」
「お前に心当たりがないのなら私にも分からん。ヤツに嫌われたら何をされるか分からんぞ、気を付けろ、いや、違うな。私はお前の力になる。お前は私が守ってやる」
「ありがとうございます先生。僕も先生のこと絶対守りますから、これからもよろしくお願いします」
僕は先生の手を取って強く握りしめた。
「あ……ああ、末永くよろしく頼む」
なぜか先生の顔は真っ赤だった――、なんて話をクラリスにしたら溜め息を吐かれてしまった。
「え、なんかダメだった?」
「色々とね……。それよりもジャン・ルード・アルゼリオンだよ。ホントに分からないの? ファミリーネームを口にしてみなよ」
「アルゼリオン? ああ、中等科二年にいるアルゼリオン帝国の坊ちゃまか、ジャンって名前だったんだ」
クラリスはもう一度溜め息を付いた。
「でも話したこともないのに目の敵にするなんてさ、ひどいよね」
「ホントにぃ?」
なぜかクラリスに疑いの眼差しを向けられてしまう。
「うーん……あ、まさか……朝のあのツンデレ野郎が、ジャンだったのか?」
「なにかしたの?」
「うん、『手下になれ』って言われたから『おととい来やがれ』って返事しただけだよ」
「それだよ!! 手下はとにかく彼の仲間に入ってあげたら?」
「いやー、ああいうタイプは一度振り上げた拳は決して降ろさないよ。今からやっぱり仲間に入れてくれなんて言ったら逆上すると思う」
クラリスは心配そうに僕を見つめている。
「大丈夫さ、クラリス。うまくやってみるさ、僕なりにね」
僕は彼女を抱きしめた。
で、家に帰ってみたら親父にぶん殴られた。
僕のしでかしたことが早くも家の者に伝わっていたらしい。なんという情報網だ。チクリ魔はハンスか? 許さん!
そんな僕の怒りが掻き消えるくらい父上はキレていた。
皇族に喧嘩を売るとは何事か! 貴様はナイトハルト家を潰す気か! この一族の面汚しがっ!!
一向に父上の怒りは収まらなかった。僕は殴られるまま反論も抵抗もしなかった。
確かにジャンの態度は悪かったけど、知らなかったとはいえ相手は皇族だ。「手下(家来)にならないか」と誘われて「おととい来やがれ」は宜しくない。
ペルギルス王国はアルゼリオン帝国の属国であり、そういう世界だから非は僕にある。それが常識なのだ。
今回の一件は皇族関係者から直にクレームが入った訳ではなく、誰かから伝え聞いただけだったようで、僕は父上の鉄拳五十発と晩飯抜きの刑だけで済んだ。
これで父上が僕に口を聞いてくれることは完全になくなった。
今でこそ父上は僕に冷たいが昔は優しかった。僕を可愛がってくれた。剣の腕が上げる度に褒めてくれた。
期待していた分、落胆も大きかったに違いない。僕は父上を裏切り続けている。
謝ろう、ジャンに。
そして友達になってくれと頼むのだ――……、嫌だけど。




