第119話 成立
さあさあ、みなさんお立ち会いってね。みんな逃げちゃったけど。
それにしてもなぜドラゴンがこんな人里まで降りてきたんだ? 彼らは自分の縄張りを害する者以外には無頓着なはずだ。不法侵入したり敵対行動したりしなければ襲われることはまずない。もっとも一度逆鱗に触れてしまえば、そいつが住む村や町や国は丸ごと焼き尽くされてしまう。
「何気にドラゴンと相対するのはこれで二度目か」
ドラゴンと言ってもジュラル迷宮で戦ったのはスカルドラゴンだ。今回の相手は五大竜の蹇竜族、間違いなくスカルドラゴンより強い。
ドラゴンと向かい合った僕は「お? やんのかゴラァ」とメンチを切る。ドラゴンは巨大な眼でギロリと僕を睨み返してきた。彼もしくは彼女の眼に戸惑いを感じる。人族のクセに逃げ出さない僕を値踏みしているようだ。
それにしてもすごいプレッシャーだ。圧倒的な覇気がびりびりと全身に響いてくる。気合を入れていないとブルって動けなくなってしまう。
「なにをやっているんだ! 早く逃げろ!」
いつも偉そうに講釈を垂れている剣術の教師が校舎の柱の影から叫んだ。
本物の強者の前では威勢や威厳など無意味であることを彼は身を持って知ったようだ。今後、ノブリス・オブリージュを彼の口から聞くことはできないだろう。
実は僕もイキらずに逃げれば良かったと後悔している。今更だ。だってめっちゃ怖いんだもん、あの爬虫類みたいに冷たい眼差しがさ。しかしもう遅い。ここで背中を見せたら間違いなく襲ってくる。
まずは平和的に話し合いからだ。
「キミが何をしにここに来たのか知らないけれど、引き返してくれないか?」
僕はドラゴンに向かって言った。
高位のドラゴンは人語を解すという。
僕の問いに彼(彼女)は咆哮で返してきた。ビリビリと校舎の窓ガラスが振動した直後、ガラスが破裂して一気に粉々に砕け散り、女生徒たちが悲鳴を上げた。
お前が去れと言っている。ドラゴンが人族に背を見せることなどあってはならない、そう思っている目付きだ。
「僕が退けばキミは満足して帰るのか?」
ドラゴンは顎を開き、鋭い牙と敵意を向けてきた。彼が凍てつく息吹を放つだけで僕は死ぬ。銃口を突き付けられている状況に等しい。
「忠告はしたぞ。腕の一本は覚悟してくれよな」
僕はドラゴンに向けて右腕を伸ばした。
やってやろうじゃないか、ユーリッドは恒竜王アガスティアを倒している。転生体でもロイは魔力を持って生まれてきた。この体になってからまだ試してないけど、きっと時空転移魔法は使えるはず。同じ魔法が使える僕なら眷属のドラゴンくらい倒せて当然だ。
すー、と息を吸い込んだそのときだった。
地響きを上げながらドラゴンが三歩後退、そのまま尻餅を付いた。ズドーンと地面が揺れる。
ドラゴンの尻餅という激レアな光景に誰もが呆気に取られて息を呑んだ直後、ドラゴンは巨大な翼を羽ばたかせ大空へと飛び去っていった。
「なんだあいつ……、僕が使おうとした魔法の危険性を察したのか?」
僕は自分の右腕を見つめた。なんの変哲もないただの人の腕――だけど、そうじゃなくて、仮にドラゴンがこの右腕にびびって逃げたのだとしたら、そこに理由があるとするならそれはきっと……魔神ヴァルヴォルグだ。
僕は死ぬ間際にそいつの名を呼んだ。まさか本当にあの右腕は魔神ヴァルヴォルグの物だったのか? いや、まさか……。
『契約は成った』
どこからともなく声が聞こえてきた。
「は?」
『ひとつ、貴様が死亡または寿命が尽きたその瞬間に貴様の魂を引き渡してもらう』
鼓膜ではなく直接頭の中に聞こえてくる。
「え?」
『ひとつ、貴様が我の力を利用する度に、相応の寿命を貰い受ける』
「だ、誰だ?」
僕は周囲を見回した。誰もいない。
『前を見よ』
改めて前を向いた目に写ったのは、僕だった。
僕が立っている。ただ一部、右腕だけが違う。赤黒く、まるでそれはドラゴンの皮膚のように硬い鱗に覆われていて、鋭い指から鋭い爪が生えている。
「お、おまえは……」
『我が名はヴァルヴォルグ、かつてこの大地を創造した古の神である』




