第117話 流れ星、上から観るか下から観るか
クラリスが僕の部屋にやってきたのは、ラウラを必ず探し出すと決意した日の夜だった。
「ロイ……」
ドアを開けた僕の眼の前に立つ薄手の寝間着姿の彼女は、どこか浮かない顔をしている。
「クラリス……、こんな時間にどうしたんだ?」
この国は比較的温暖な気候だけど晩秋ともなれば夜は冷える。このまま廊下に立たせている訳にもいかず、彼女を部屋の中に迎え入れてベッドに座らせた。
クラリスの思いつめた表情から、ただ事ではなさそうだ。
まさかハンスになにかされたのか? あれだけ脅したのに油断していた……。
居ても立っても居られずにクラリスを問いただそうとしたとき、彼女が口を開く。
「ロイ、どこかに行こうとしてるの?」
「……え?」
「最近のロイはそんな顔をしている。わたしを置いてどこか遠くにいっちゃうんじゃないかって……心配なの……」
僕はいずれラウラを探す旅に出る。ラウラを一刻も早く見つけたい。その想いが表に出ていて、それをクラリスは感じ取って、不安を抱いたのだ。だけと、それはまだ先の話だ。まずは国内を探してからじゃないとどこにも行くつもりはない。
「わたしにはロイを止めることはできないよ、行かないでほしいって言える権利も一緒に連れて行ってとも言えない……」
僕はなんて薄情な野郎なんだ。僕はクラリスと十五歳になったらこの国を出て結婚しようと約束している。焦って気持ちだけが先走ってしまっていた。その約束を反故にするつもりはないけれど、迷いが生じているのは確かだ。
ラウラが見つかる前にクラリスと結婚していいのかと。
冒険者になる目的だって変わってしまった。どこかの街に定住するためではなく、ラウラを探す資金を稼ぐ手段になった。
それにかつてのロイはこの世界が危険に満ちていることを知らなかった。ラウラを探す旅もきっと危険なものになる。占領された北方大陸や魔境に行くことになるかもしれない。彼女を守りながらラウラを探すのは難しい。できればクラリスには安全な場所で僕の帰りを待っていてほしい――、見て見ぬふりをしていた僕の迷いがクラリスに伝わってしまっていた。いずれ話そうと思っていた……いや、何もかも言い訳だ。
「……クラリス、僕は――」
クラリスは僕の唇に人差し指を当てた。
「いいの、ロイ……わたしはきっと足手まといだから」
「違う! そういうことじゃないんだ」
クラリスの手首を掴んだ僕の眼を見つめて首を振った彼女は、「だからね、わたしの初めてをもらってほしい」と小声で告げた。
「クラリス……」
「このままロイがいなくなったら、わたしはハンス様の物になってしまう……。最初を誰かに奪われるのは嫌なの……初めてはロイじゃないとダメだよ」
クラリスは今にも泣きそうだった。涙を溜める彼女の表情に胸が締め付けられる。
僕らは元々この家を出て結婚するつもりだった。遅かれ早かれそういう関係になっていただろう……それでも僕はラウラを裏切れない、アルトを裏切れない。
奥歯を噛んだ僕は、
「クラリス、聞いてほしいことがあるんだ」
彼女にすべてを打ち明けることを決めた。
自分には前世の記憶があること、ラウラのこと、アルトのこと、ユウ・ゼングウという男がこの世界に来てから死ぬまでの物語を、クラリスは僕の眼を見つめて聞いていた。
突拍子もないおとぎ話みたいな話をすべて聞き終えた彼女は、「ロイはロイだよ。わたしの大切なロイ・ナイトハルト」と言ってくれた。
突然こんな話を聞かされて戸惑いも動揺もあるだろう。それでも彼女はユウを、ロイを、僕を受け入れてくれたのだ。
「うん……、ありがとう」
罪悪感に似た感情が自分を責める。
彼女は僕の頬にキスをした。
「これくらいならラウラもアルトも許してくれるよね?」
そう言って照れながらはにかむ。
「だ、大丈夫だと思う……」
アルトはまだしもラウラはダメかもしれない。
クラリスが彼女たちの名を呼ぶのは、なんだか新鮮だった。
どちらにしてもラウラとアルトには彼女を認めてもらうしかない。今の僕にはクラリスを切り捨てることなんてできないし、そんな考えは毛頭ない。
次の日の放課後、菓子折りを持って生徒会長室に謝罪に行った僕に、会長はわざわざ紅茶を淹れてごちそうしてくれた。
これからは週に何度か生徒会長室で紅茶を一緒に飲む約束をした。もっとお互いのことを知るために、だそうだ。
そんなに怒ってなくて安心した。
会長は僕に生徒会に入ってほしいのかな。
それから、シャリー先生から頂いているお昼が既成品のパンから先生の手製のランチに変わった。
手作りのクロワッサンに季節の野菜や果物をふんだんに使ったすごく豪華な盛り付けだった。これから毎日作ってきてくれるそうだ。
そんなに怒ってなくて安心した。
先生はきっと僕に味見をしてもらいたいんだろうな、彼氏のために。
ついでに、女生徒からお菓子をもらったりお茶に誘われたり、きれいに板書したノートを見せてもらえるようになった。
みんなそんなに怒ってなくて安心した――、なんてことをクラリスに話したら彼女の顔が青ざめていた。
なぜだろう?
ラウラの痕跡の糸口すら掴めないまま数日が過ぎたある日、僕ははたと気付く。
灯台下暗し、まだラウラかどうか試していない人物が身近にいるじゃないか!
そう、クラリスだ。
居ても立っても居られずに学校を早退して速攻で帰宅した僕は、クラリスを自分の部屋に呼び出した。
主の突然の帰宅、突然の呼び出しに困惑気味の彼女をベッドに座らせた僕は床に両膝を付けて、その瞳に問いかける。
「クラリス、短刀直入に聞くけどキミはラウラかい?」
どう答えていいのか、クラリスは迷っているようだった。視線を左右に動かしている。
「たぶん、違うと思う……。もしそうなら何か感じているはずだから……」
彼女の答えに僕は安堵した。もしクラリスがラウラの転生体だったら、僕が彼女を好きになった理由はラウラだからということになってしまう。僕はクラリスがクラリスだから好きになったんだ。
「……ごめん、実は僕もそう思っている」
クラリスは泣きそうな顔になっている。僕はそんな彼女の手を包むように握り締めた。
「クラリス、キミは僕が初めて好きになった女の子だ。それは間違いない。たとえキミがラウラじゃなくても僕の気持ちは変わらないよ」
「うん……」
うなずいた彼女の額に僕はキスをする。
「そうだクラリス、今夜星を見に行かないかい?」
「星?」
「うん、今日は四十年に一度の日なんだ」
「あ! ベレッタ彗星だね!」
クラリスの顔がぱっと明るくなる。いつだったか僕らはふたりでベレッタ彗星を観ようと約束したことがあった。
「今夜は雲もなくて天気が良いからきっと良く見えるはずだよ」
「彗星見るのって初めてだから楽しみだな」
クラリスは無邪気に笑った。
夜、僕らは山に登って一緒にベレッタ彗星を眺めた。
闇夜を切り裂く一筋の光、クラリスは幻想的な光景に見入っていた。
――箒星が流れゆくこの夜空の下で今夜、新たな勇者が召喚される。




