第114話 ロイとユウ
僕は立ち上がった。ハンスの部屋に向かって迷いなくドアを開け放つ。
ベッドの上で抵抗するクラリスの衣服を、今まさに兄が引き剝がそうとするところだった。突然入ってきた僕の姿に彼は固まっている。
今回は完全に間に合った――。
「ロ、ロイ!? お前、なに俺の部屋に勝手に入ってきてんだ!」
声を荒げる兄上を無視して僕は足を踏み出して進み、クラリスに覆いかぶさる彼を蹴っ飛ばした。
「ふぎゃ!」
ベッドの下へと転がり落ちる兄上。
「助けにきたよ、クラリス」
僕はクラリスをお姫様抱っこして踵を返した。
「待て!」
鞘から剣が抜かれる音に振り返ると、ハンスが怒りの形相で僕を睨み付けていた。
「お前、俺にこんなことして許されると思っているのか?」
彼は顔を真っ赤にさせて僕に剣の切っ先を向けている。
僕はクラリスを抱いたまま対峙する腹違いの兄の眼を見つめて、小さく息を付いた。
「兄上、やめておいた方がいいですよ。こう見えても僕は兄上が経験したことのない修羅場を潜ってきています」
ハンスがキョトンと間の抜けた顔をしたのは一瞬だった。沸騰するように再び顔面を怒りに染めて叫ぶ。
「ぬかせ、腑抜けがぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁッ!」
斬りかかってきたハンスの一撃を最小の足運びで躱した僕は、彼の腹と顔面に一発ずつ蹴りを浴びせた。
どぼっと鼻から血を拭き出して一歩、二歩と後退したハンスはベッドの上に倒れて、そのまま気を失って眠りにつく。
「兄上もこんなもんか、僕のイメージではもっと強かったのにな」
しかし本来の僕ならこれくらいの芸当など容易い。ブランクがある分、まだまだ動きが鈍いくらいである。
「行こうか」と僕はクラリスに微笑みかけた。
「う、うん……」
お姫様抱っこのまま廊下を歩いていると、クラリスが不安げな表情で僕を見つめていることに気付く。
「どうかした?」
「……ほんとにロイなの?」
「もちろん、僕は元々こういう性格だったんだ。だけど剣術大会で親友に怪我をさせてから、ずっとふさぎ込んでいてね、クラリスと出会ったのはその後だったから」
「そ、そう……」
「こんな僕は嫌かい?」
クラリスはぶんぶんと首を振り、「その……かっこよかった」と顔を赤く染めた。
自分の部屋の前でクラリスを降ろした僕は、彼女の頭を優しく撫でる。嬉しそうにケモミミがピコピコと動いている。
「さて、そろそろ夕飯の支度があるだろ? もう兄上には手出しさせないから安心して」
「うん……、すごく怖かったよ」
僕が守るからとクラリスをしばらく抱きしめた後、彼女は仕事に戻っていった。
部屋に入ってドアを閉じた僕は鏡の前に立つ。
母親譲りだというダークブラウンの髪と瞳、顔は父ではなく、グランジスタの若い頃に似ているそうだ。かなりの美少年に分類される容姿ではあるが、見慣れた顔である。
そりゃそうだ。生まれてからずっと見てきたのだから。
しかし、ロイ・ナイトハルトか……。まさかグランジスタ・ナイトハルトの甥っ子に転生するなんてな。
今が聖令歴一一五〇年、僕が死んでから十三年も経っている。
生まれて十二年もの間、前世の記憶が戻らなかったということだ。思い出すまで十二年も掛かってしまった。
このタイムラグは痛い。
転生したラウラが前世の記憶を持っていたら、僕らはどこかですれ違っていた可能性だってある。
それにしても、生まれたときから前世の記憶を維持しているものだと思っていたけど違ったのか。
もしかしたら魔法が不完全だったのかもしれない。
今回だって、たまたまクラリスが襲われそうになったことがトリガーになって、前世の記憶を思い出しただけだ。
いや、魔法は完璧ではなかったとしても、即席で初めてやって転生できたのだから上出来ではないか。それに〝たった十二年〟で思い出せたと言い換えることもできる。
一生、前世の記憶を取り戻せないまま終わっていたかもしれない。
とにかく、転生は成功した。
記憶を取り戻して改めて衝撃を受けたのは、この世界が依然として平和だということだ。僕の記憶には戦争の体験がない。ペルギルス王国が魔族の侵略を受けたことはなく、西方大陸はまだ魔族に征服されていない。
僕を殺した後、デリアル・ジェミニは――、アルデラはカインに向かわなかったと考えるのが自然だ。もしアルデラがあのまま進軍していれば、とっくに世界は魔王の手に落ちている。
なぜアルデラは引き返したのか、その理由は分からない。もっとも、あいつの考えていることなんて、僕には想像できやしない。
そして記憶を取り戻した以上、やることは決まっている。
――ラウラの転生体を探し出す。




