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【115万PV超】異端者アルデラの魔導書《grimoire》  作者: unnamed fighter
【第十三章】逆行転生

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第112話 ロイ・ナイトハルト



 目が覚めると涙で濡れていた。


 ロイ・ナイトハルトは十歳の頃から不思議な夢を観るようになった。


 それは、とても幸せな夢。


 それは、とても嬉しい夢。

 

 楽しい夢、愉快な夢、愛おしく、心が温かくなる優しい夢。



 だけど目が覚めると、夢の内容を忘れてしまう。どんな夢を観ていたのか思い出せない。


 最後には残酷な悲しみだけが残り、自然と涙がこぼれ落ちる。


 それが二年も続いていた。


 夢を見た日は自分と言う存在があやふやになる。自分が自分でないような不思議な感覚、それでいて別なのに同じという奇妙な感覚。

 部屋の隅で埃をかぶった一振りの剣が、自分が何者であるかを教えてくれる。

 

 準勇者グランジスタ・ナイトハルトを輩出したナイトハルト男爵家の八男、出来の悪い落ちこぼれの不肖の息子ロイ・ナイトハルト、それが自分の名だ。


 ロイは涙で濡れた頬を拭ってベッドから起き上がり、学校の制服に着替えて部屋を出る。

 食堂に向かっていたロイは、屋敷の廊下でひとつ年下の妹と出くわした。彼女はロイの姿を見るなり、鋭い目付きを向けた。


 ガブリエラ・ナイトハルト、藍色の道着を着た彼女の金色の髪は汗で濡れている。毎朝の修練が終わって道場から戻ってきたところのようだ。


 ナイトハルト流剣術の剣士には、学業や仕事以外に朝夕の稽古が義務付けられている。年下の妹は毎日ちゃんと道場に通っているが、ロイは二年前から参加していない。


「お、おはよう……」


 おずおずと怯えるように挨拶したロイに、


「ふん」

 

 ガブリエラは憂鬱ゆううつな物から視線を切って顔を背けた。


 妹から嫌われていることは知っている。それでも昔は懐いてくれていたのだ。剣を振れなくなったあの日から、彼女はロイに冷たい態度を取るようになった。


 ガブリエラは血のつながった本当の妹ではない。継母ままははの連れ子である。ロイの母親は、ロイを生んだ翌日に容態が急変し、そのまま帰らぬ人となってしまった。

 継母は妹を溺愛している反面、落ちこぼれのロイのことを毛嫌いしている。



 朝の食卓を家族で囲むときの席順は、家庭内のヒエラルキーがそのまま反映される。上座はナイトハルト男爵家の当主であり、グランジスタの実兄であるダリア・ナイトハルトだ。ロイは彼からもっとも離れた末席に座らされ、料理が運ばれてくるのも最後だ。


 現在のナイトハルト家の序列は当主のダリア、継母、兄で七男のハンス、妹のガブリエラ、ダリアと継母の間に生まれた5歳のリューク、最後にロイとなっている。

 他の兄たちはすでに家を出て帝国や国で仕官しており、それぞれの家庭を持っている。



 ロイが家を出るときに彼を見送るメイドはひとりだけだ。他のメイドたちは継母からロイの世話をしないよう命令されている。


「いってらっしゃいませ、ロイさま」


 前髪で顔を隠した少女がロイに頭を下げた。頭には狼の耳が付いている。彼女はロイの専属メイドであり、この家で唯一ロイに優しく声を掛けてくれる存在だ。

 名前はクラリス。獣人族ウェアウルフ種と人族のクォーターである彼女は、二年前にロイが年少剣術大会で優勝した際に、優勝記念として父から買い与えられた奴隷だった。


「いってきます、クラリス」


 クラリスに微笑み、学校に向かって歩き出した。


 ロイはアルゼリオン帝国をはじめとする帝国領の貴族師弟が、学問や剣術を学ぶグランベール学院に通っている。

 グランベール学院は将来、自国を背負って立つ人材を養成する機関であり、基本的に全寮制で七歳から最長で十九歳までの生徒たちが学院敷地内の学生寮で暮らしている。

 ただ、寮のキャパシティの関係上、全員が入寮できる訳ではなく、実家から徒歩圏内の者にあっては通学制がとられている。


 このペルギルス王国に貴族の子弟が集まる重要機関が置かれているのは、王国が帝国の譜代の臣であり、多くの優秀な軍師や武人を輩出してきた軍事国家だからである。


 そんな国の名門剣術一派ナイトハルト流で生まれたロイにもまた天武の才があった。

 天性の身体能力に加えて、ナイトハルト家の血筋には存在しない魔力を持つ彼は、《旋風》グランジスタを超える存在として期待されていた。


 父もロイに期待して厳しくロイを育てた。

 ロイはそれに答え、剣の腕を上げていった。

 十歳を前にしてすでにナイトハルト流の師範代と互角に渡り合えるほどになっていた。


 事件はロイが通うグランベール学院の初等剣術大会で起こった。


 決勝戦でロイは親友の腕を木剣で叩き斬ってしまったのだ。

 親友の腕は神官の加護によって結合され、事なきを得たが、ロイの心に深い傷跡を残した。


 それ以来、ロイは剣が握れなくなってしまった。


 そんなロイに父親は、大会の優勝記念として好きな物を買い与えて彼を奮起ふんきさせようとした。


 父親と城下のマーケットを歩いているときに、奴隷商の前を通り過ぎようとしたロイが見つけたのは、檻に閉じられた幼い少女だった。

 少女には狼の耳があって、尻尾があった。獣人を初めて見たロイは、その姿に惹き込まれた。

 

 そして、ふたりの目が合った。

 その瞳は怯えていた。ひどく怯えていた。目に映るすべての物に恐怖していた。


 その怯える目が自分と同じだった。自分と同種の眼をした彼女の存在に、ロイは救われた気がした。


 だからロイは父にお願いして彼女を買ってもらった。奴隷ではなくメイドとして扱ってほしいと父に頼み、屋敷に住み込みで働けることになった。


 温かい湯で体を洗い、栄養のある食事を与え、粗末な布からまともな衣服に着替えさせた。

 固く心を閉ざした少女にロイは優しく接し続け、次第に彼女はロイの語りかけに応じてくれるようになった。


 その一方で、ロイは剣を握ることができず、逆に親友の腕を斬って奴隷を買ったという罪悪感に苛まれた。 

 ある日を境に父はロイを見限り、見放した。剣も持てない者はナイトハルト家に不要、一族の面汚しであるとロイの目の前で吐き捨てた。




「おい、ロイ」


 正門をくぐったところで呼び止められる。


「あ……」


 下を向いて歩いていたロイが顔を上げると、同じ学生服を着た三人の少年に囲まれていた。彼らのネクタイは水色、つまり中等科の生徒たちだ。


「ちょっとツラ貸せよ」


 無造作に襟首を掴まれて、校舎裏へと歩かされる。


「きょ、今日はこれしかないよ……」


 愛想笑いを浮かべたロイは、少年たちから要求される前に銅貨を差し出した。

 それは継母からわずかに与えられた昼食代である。同じ学校に通う兄や妹たちにはメイドが用意したランチボックスが渡されている。


「んだよシケてんな、しょせん男爵家だもんな」


 貴族の子弟が通うグランベール学院には公侯伯子男(準男爵)、それぞれの爵位を持った家柄の生徒が混在している。

 ロイの家は男爵、準男爵と同じく最下位である。


 そして同じ爵位でも出身国によって序列が決まっている。 

 例えばアルゼリオン帝国の伯爵とペルギルス王国の伯爵では、アルゼリオン伯爵家の方が上位に位置する。



「あなたたち、何をしているのですか!」


 大きな声で少年たちを牽制したのは、高等科の女生徒だった。彼女を象徴する縦にロールした金髪ツインテールが揺れる。


「げっ、生徒会長がきやがった」

「メンドーなことになる前に行こうぜ」

「そうだな」


 少年たちは銅貨をロイの手から奪い取り、走り去っていった。


「まったくもう」


 両手を腰に手を当てて溜め息を付いたのは、グランベール学院の生徒会長であり、ペルギルス王国ラグデューク伯爵家の令嬢、グロリア・ラグデュークである。


 男子生徒は十六歳になると学校を卒業して帝国の騎士となり3年間勤めた後は、自国に戻って要職に就く。女子生徒は十九歳で卒業となるが、それまでに結婚して退学する者がほとんどだ。そのため、十六歳以上の女子生徒は一般的に行き遅れと揶揄やゆされる。


 高等科に席を置く彼女は現在十六歳、伯爵令嬢で見眼麗しい彼女は、婚約を持ち掛けられたことは何度もあったが、すべて断っているという噂がある。


「ロイくん、あなたもあなたです。剣士ならば抵抗のひとつでもしたらどうですか」


「は、はい……」


 ロイは愛想笑いを浮かべると、グロリアは困ったように微笑した。


「さあ、授業が始まりますよ。いきましょう」


 踵を返したグロリアの後ろにロイは続いた。







 第三部ロイ・ナイトハルト編がスタートしました。

 楽しんで頂ければ幸いです!

 

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