第105話 魔神と契約した日
僕は魔法を放った。
唯一使える時空転移魔法がアルデラの体を覆っていく。同時にアルデラの手が仮面を砕き、ラウラの首を握りつぶした。
だらん、とラウラの両手が力を失って垂れ下がる。
アルデラは黒球に呑まれて消えた。ラウラの体が地面に落ちる。うつ伏せで倒れた彼女の体がピクピクと痙攣している。
まだ息がある。ポーションで回復させれば間に合う。
ラウラに駆け寄ろうと足を踏み出した僕の背中が背後から軽く押された。
――違う。
押されたのではなく、体の真ん中が貫かれていた。褐色の腕が僕の胸部を突き破っている。
「がはっ……」
口から大量の血液が溢れ出す。
「余興としてはなかなか楽しかったが、バカのひとつ覚えではわしには勝てんぞ。生まれ変わって出直してこい」
そう告げて、アルデラは腕を引き抜いた。
体に出来た空洞から血が噴き出し、全身に纏わりついていた気配が消えていく。ヤツは、もうここにはいない。
支えを失った膝がぐにゃりと崩れ、尻もちを付くようにべたりと地面に腰が落ちた。
腹から下の感覚がない。脊柱が損傷しているのだ。
「……ポーション……」
ウエストポーチに手を突っ込み、ポーションが入ったビンを取り出した僕は愕然とした。ビンがすべて割られている。中身の液体がすべて零れ落ちてしまっている。
あの一瞬で僕の背後に回り込んで体を貫き、ポーションが入ったビンを割ったというのか……。いったい、どうやって……ハイエルフの耳でさえ知覚できなかった。レベルが違いすぎる……。
「せ、精霊アニマよ……、傷を癒し、我に力を……与えん」
加護の光が全身を包む。出血量が少なくなり、僅かに痛みが和らいでいく。
地面に這いつくばった僕は、腕を交互に前に出してラウラの元へ這って向かう。
一時的だ。加護の効果は気休めにしかならない。加護が切れれば再び血がたくさん流れ出し、激痛が襲い掛かってくる。
今でさえ気を抜いた瞬間に意識が途絶えてしまいそうだ。
まだ死ねない。
辛うじて生きているのは運が良かったからじゃない。アルデラはわざと即死しないように急所を外して攻撃したんだ。
まだ、できない。
まだダメだ。
ここでは遠い……。
頼む……、まだ、止まらないでくれ……。僕の心臓……、あと少し、もう少しなんだ……。
「ラ、ラウラ……」
彼女はうつ伏せのまま身体をピクピクと痙攣させている。首の骨が折られて喉が潰されたラウラは瀕死の状態だ。僕以上に時間がない。
……ミレアがいてくれたらラウラの傷を治せたかもしれない……。アルペジオがいればラウラを生き返られることができたかもしれない……。彼女たちがいれば……。
僕にはできない。
僕にはキミを救うことができない。どう足掻いても助けられない。もうすぐ、僕の心臓は止まる。
避けられない現実に、ボロボロと涙が溢れていく。
ラウラを助ける術はない。
彼女も、僕もここで死ぬのだ。
残された方法は、たったひとつしかない。
アルデラの思惑通りに動くしかない。
思い返せば、いつも近くにラウラがいた。
この世界で彼女は特別だった。
出会いは最悪だった。
だけど立場が変わって、色々あって、互いに大切だと思える存在になっていた。
地面を這いつくばって進み、ラウラの傍にたどり着いた僕は右手の人差し指を赤土の上に置いた。
僕にはキミを助けることはできない、だからこうするしかない。
《我……、六番目ノ……惑イ子ナリ……》
詠唱しながら自分の指先へと滴り落ちていく血で魔法陣を描いていく。
それは掌ほどの小さな魔法陣、これが今の限界、持てる力のすべて。
《……九ツノ円環ヲ……従エ、刻ミシ因果ハ……五十三、重ネシ禁忌ハ……八十二》
もうこれしかない。使えるかどうかなんて分からない。けれど……。
《我ニ……境界ハナク、存在シハ……水ト岩ト塵》
アルデラが完成させた転生魔法で、僕とラウラを転生させる。
《無限ト……有限ノ……狭間デ……軌道ヲ定メ、回レ、回レ、回レ……》
魔法陣は略式、しかもひとつの魔法陣で二人同時に転生させられるかなんて確証はない。成功したとしても、いつ、どこで、誰に転生するか分からない。いまの僕にはそんな調整できない。
聞こえるか……、魔神ヴァルヴォルグ……。この右腕が本当に、お前の物だというなら、狸寝入りしていないで力を貸しやがれ……。
ただでとは言わない……。もし転生が成功したら……、僕の魂をくれてやる……。だから僕の願いを叶えろ……。
ラウラの手を握りしめた僕は魔法陣の上に重ねて置いた。
仄かに赤黒い光が陣に灯りはじめる。
「…………か、ならず……むかえ、に……いく……、だ、から……」
どうか安全な国で生まれてくれ――。
意識が混濁して遠くなっていく。
心臓の音が小さくなっていく。
呼吸が浅くなっていく。
雪が降り出していた。舞い落ちる牡丹雪が、しんしんと景色を白く染めていく。
瞳孔が散大し始め、視界が眩い光で溢れていく。
そして心臓が、肺が、ゆっくりと停止した。
こうして僕、禅宮遊の人生は最後を迎えた。
◆◆◆
――聖令歴1138年、冷え込んだ冬の明け方だった。
アルゼリオン帝国領ペルギルス王国のとある下級貴族の屋敷で、ひとりの赤子が産声を上げる。
「おめでとうございます、旦那様。元気な男の子です」
部屋の外で我が子の誕生を待ち構えていた男にメイドは笑顔で言った。男が部屋に入ると、生まれたばかりの赤子をベッドで抱いた妻が男に微笑みかける。
「でかした! 今日から立派な剣士になれるよう育てようぞ、我が息子よ!」
「あなたはそればっかりね」
そう言って妻は微苦笑を浮かべ、「名前はどうしますか?」と男に尋ねた。
「なんでもいい。お前が決めろ!」
男は毎回こう答えるのだ。先に生まれた兄弟たちもすべて妻が名前を決めてきた。彼は我が子を強い剣士にすることしか興味がないのである。夫がこう答えることも妻には分かってはいたが、当主である彼の顔を立てて毎回同じ問答を繰り返している。
「では、この子の名前はロイにしましょう」
「ロイ? お前がいつも子供たちに読み聞かせている絵本に出てくる英雄の名前か?」
「ええ、そうです。物語に出てくる英雄ロイのように、強いだけじゃなくて優しい男の子になってほしいですから」
「よし、わかった! 今日からお前の名は『ロイ・ナイトハルト』だ!」
ダリア・ナイトハルトは妻からロイを受け取り、その胸に抱き上げた。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
第三部ロイ・ナイトハルト編は、ユウが日本に戻っていたときのエピソード(5章ラストから6章の開始まで)を挟んでから投稿を開始する予定です。8月上旬に日本に戻っていたときのエピソード、中旬に第三部を開始する予定ですが、詳細にあっては活動報告にてお知らせします。
よろしくお願いいたします(・ヮ・)




