第95話 血みどろの予感
「くそ? じ、じじい……ですか?」
英雄への失礼極まる暴言にマリナが目を丸くしている。
僕は恥ずかしさのあまり両手で顔を覆った。
「……なんでもありません。でもなんだかごめんなさい……」
ああ、もう恥ずかしい! なんでオ○パイを揉む必要がある!? しかも数十分だと?? このバニーちゃんの胸を最低でも十分以上揉んだのか! なんて羨ましいんだ!! しかしそれは悪手だ! 後々の展開を考えれば、そこは頭を撫でるとかの方がスマートだろうがッ! 好感度アップのためにYo!
「誰かさんにそっくりだな、ふん」
ラウラがぼそりと呟いて、呆れるように鼻で嗤った。
「ぐぅっ……」
違うもん違うもん、僕はそこまで節操なしじゃないもん! ちゃんと場をわきまえるもん! 公衆の面前で初対面の女性のオ○パイ揉んだりしないもん!
「んあ?」
僕が騒いだせいで目を覚ましたデスピアがムクリと顔をあげた。今にも閉じてしまいそうな、とろんとした瞳で僕を見つめている。
五秒ほど、僕と彼女は見つめ合った。
じーっと僕の顔を見つめていたデスピアのぼんやりした表情が次第に色めき、見開いた彼女の瞳に光が宿ってキラキラと輝かせる。
「――ライディン!」
叫ぶと同時に彼女は飛び跳ねて僕に抱きついてきた。
「やっぱり生きていたのだな! おまえが死ぬはずないのだ!」
すごい力で抱きしめられた僕の肋骨がキシキシと軋んでいく。そんなことよりも――、
「グエーッ! 串刺しにされるッ!?」
こほん、マリナが咳払いする。
「ご安心を、今は彼女から触れる分には大丈夫ですので」
「ライディン! ライディン! ダンゼン会いたかったのだ! ライディン!」
抱きついたままぴょんぴょんと跳ねるデスピア。
どう見間違えればそう視えるのか、彼女は僕とライゼンを勘違いしているようだ。
「おまえと会えなかった日々がどれだけ辛かったことか! どれほど再会を待ち望んだことか! おまえが死んだと聞いてどれだけ悲しかったことか! もう離さないのだ! これからは一生一緒にいるのだ!」
デスピアの腕が体にめり込んでいく。肺が圧迫されて息ができない。背骨が折れるぅ……。
「準勇者殿! 落ち着いてください、この男は雷帝ライディンではありません!」
「なんなのだおまえは、あっちに行くのだ」
デスピアはラウラをギロリと睨みつけて牽制する。
「デスピア、彼はライディンではありませんよ」
「なに?」
マリナにそう告げられた彼女は、僕の背中に腕を回したまま僕の顔を見上げた。
「ん?」
目を細めたり、開いたりして僕の顔をまじまじと見つめている。
ぱちくりと何度か瞬きをした後、デスピアの腕から力が抜けていった。
「ホ、ホントなのだ……。これはどういうことなのだ? おまえはいったい誰なのだ?」
僕に抱きついたままデスピアは言った。
「ぼ、僕の名前はユウ・ゼングウです」
「ユウ……、ゼングー?」
「一応、血縁上は雷帝の孫です」
「……孫? 孫なのか!?」
「ええ、まあ……」
「ライディンに孫がいたのか……。ということはヤツには妻と子がいたのだな……。それに、やはりライディンは生きていないのだ……」
ピンと伸びていたウサ耳が垂れていく。しょんぼりしてしまったデスピアの姿が、あまりに可哀相だったので僕はこう告げた。
「順を追って説明しますから、とりあえす席に着きましょう」
◇◇◇
僕はマリナ以外の準勇者パーティには席を外してもらい、デスピアにこれまでの経緯と雷帝と自分の関係を丁寧に説明した。
分かったのか分かってないのか、僕の隣に座るデスピアはご満悦だった。今も恋人のように腕を絡めて話を聞いている。
説明を理解しているのか尋ねても、「わかっているのだ」とか「さすがなのだ」とかしか言わないし、とにかく距離が近い。やたらとスキンシップが多くて隙あらばベタベタと僕の身体の色んな部位をまさぐってくる。
案の定、ラウラがピリピリしている。
どうどうどう、落ち着くんだラウラ。デスピアは雷帝の孫に会えて浮かれているだけだ。
いくらなんでも準勇者に斬りかかったりしないよね? 信じるよ、信じてるからね!
「――と、いう訳です。わかりましたか?」
「わかったのだ。お前はライディンの孫なのだ。どうりで似ている訳なのだ」
「そんなに似てますかね?」
「匂いがそっくりなのだ」
デスピアは、にへっと微笑んだ。
うわ、なにこの生き物、めっちゃ可愛い……。それになんかすごくいい匂いがする。これはアレか? オスを誘うフェロモンってやつか?
「準勇者殿、我々は急いでおりますのでこれにて失礼します」
ラウラが話を切り上げて席から立ち上がると、
「おまえだけ帰ればいいのだ」
ラウラのことなど見向きをせずにデスピアは言い放った。
ひぇぇッ! やめて挑発しないで!!
空気が張り詰め、ふたりの間でバチバチと不可視の火花が散っている。
ここを穏便に済まさなければ、ギルドがふたりに破壊されてしまう……。
「デスピアさん、ホントに用事があってもう行かなくちゃいけなんですよ。だから僕らはこれで失礼します」
苦笑しながら僕は言った。
「……ふぅ、仕方ないのだ」
絡ませていた腕を離した彼女は僕の耳に顔を近づけ、「今度ふたりきりで、ゆっくりと話をしよう」と耳打ちしてきた。
そして、僕はなんとか血を見ることなくギルドを出ることに成功する。
ラウラが激おこプンプン丸になっているかと思いきや、「強いオスにはメスが寄って来る。自然の摂理だ。仕方ない」とそんなことを言われた。
あらまあ、いつの間にそんな成長を遂げていたとは……。これはアレか? 正妻の貫禄ってやつでしょうか。いや、妾なんていないから正も副もないけどね。
だがしかし、そうは問屋が卸さなかった。
血みどろの事件がその夜、勃発する。




