第94話 クソジジイ
「ご丁寧にどうも」
ドキドキしながら僕は差し出された彼女の手を握って頭をペコリと下げた。
グッと握り返してきたその指は、女性らしく細いけど何度も剣を振ってきた硬い皮膚をしている。
彼女が首に掛けているのは両翼の黄金徽章、オリハルコン級冒険者の証である。滅多にお目にかかることのできない代物で、僕もオリハルコン徽章を付けている人は初めて見た。
ていうか、デスピアって女性だったんだ。
「デスピアさんは冒険者としても超一流なんですね、御見それです」
僕の発言に彼女は顔をキョトンとさせた後に、くすりと微笑む。
「失礼、名乗るのが遅くなりました。私はマリナ・テスタロッサと申します。デスピアはあちらの彼女です」
マリナと名乗る女性は、キリッとした表情に戻して後ろのテーブルを指差す。
彼女の指先を目で追っていくと、そこにはバニーガールがいた。
空になったウイスキーのボトルの山に埋もれるバニーガールが、テーブルに突っ伏して惰眠を貪っている。
「えっ!? あのバニーちゃんがデスピア・ローゼズなんですか?」
バニーガールだけど、カジノにいるバニーちゃんとは違う。
兎人の方だ。
どうやら彼女は獣人族の兎人種っぽいけど、長い耳以外は獣成分が控え目だから人族とのハーフかクウォターなのかもしれない。
「ええ、私は教会に雇われた彼女のお目付け役みたいなものです」
「お目付け役?」
「はい、彼女がサボらないように見張るのが私の仕事です」
見張る? 準勇者を?? なんのこっちゃ?
「ど、どういうことですか?」
「彼女がギャンブルで作った莫大な借金を教会が肩代わりしているのです。日当カイン金貨一枚で魔族と戦うことを条件に返済を行っているのですが、旅先でもギャンブルを繰り返しては負けるので、借金は一向に減ることなく逆に増えていますね。このままでは永遠に教会のために働くことになるでしょう」
「あの若さでギャンブル狂いとは……」
ていうか、人類の代表たる準勇者がそれでいいのだろうか……。
「いえ、ああ見えて齢二百を超えています。彼女の種族は五百年近く生きますから」
「に、にひゃくさい? へぇ、全然見えませんね……。ところでどうして準勇者がアイザムに? ひょっとして事件ですか?」
「教会からの帰還命令の途中で立ち寄ったところです。『準勇者《百華》デスピア・ローゼズは聖都カインの守護にあたれ』とのこと、リタニアスにはイザヤ・ブレイガルがおりますので」
「なるほど、でもそれならイザヤをカインに呼び戻した方が早かったんじゃないですか? つい先日までアイザムにいた訳ですし」
「それは信用性と適正の問題でしょう。デスピアは見張っていなければ仕事をサボって逃げる可能性があります。聖都なら常に見張りの眼があって逃げることはできません。それに彼女の力は防御に長けています。魔族が軍隊規模で転移してくると分かった以上、最高神官様は彼女に自分の守護をさせるおつもりのようです」
「ふむ、そういうことでしたか」
やれやれ、最高神官も我が身がカワイイってことか。確かに魔王軍が大規模転移魔法を使ってくることを考えれば、戦力を北側に集中させるのは危険ではある。
それにしても、こんなほっぺたぷにぷにのバニーちゃんが準勇者なんてねぇ……にわかに信じられないな。
僕はマリナの後ろで寝息を立てるデスピアの隣に移動して、彼女の顔をまじまじと観察する。
兎人を見るのも初めてだ。アルペジオと同じで顔はまるっきりヒト、ウサギの耳が付いている以外は僕らとなんら変わらない。人属の血のほうが濃いのだろう。たまにピクピクと動く垂れた耳がなんとも愛らしい。まん丸の尻尾がお尻に付いているのか気になってしまう。
もちもちした彼女のほっぺに触れようと指を伸ばしたそのとき、
「触らないで!」
マリナの声をあげるが僅かに遅かった。何もない空間から突然、鏃の付いた鎖が突きあがり僕の掌を貫く。
「ぐぁッ!?」
「ユウッ!?」
「だ、大丈夫だ……。たいした怪我じゃないよ」
刀を抜こうとするラウラを制止した僕はデスピアから距離を取り、掌に深く突き刺さった鏃を引き抜いた。傷口から流れ出した血液が指先を伝って床に落ちていく。
「すぐに手当てを、《治癒》」
マリナが僕の手を握りしめて治癒魔法を掛けてくれた。瞬く間に痛みが消えて傷口が塞がっていく。
床から生えた鎖はチンアナゴみたいにうねうねして僕を警戒している。デスピアを守っているようだ。
「申し訳ありません。すでにご存知かと思い込んでおりました」
治癒した僕の手を離してマリナが言った。
「いえ、触れようとした僕の方こそ不用意でした。でも、これはいったい……」
「彼女の能力の一端、《自動迎撃》です」
「オートカウンターですか……。アンタッチャブル・オブジェクトとはよく言ったものですね」
引きつった笑みを浮かべながら僕は治癒したばかりの手を握る。
「ええ、しかし力と言っても純粋な物ではなく呪力によるものですけどね」
「呪力?」
「はい、八歳のときに聖なる炎を盗んだことが原因で、彼女はふたつの呪いをその身に受けたそうです。ひとつは他者に触れられなくなる《不蝕の呪い》、もうひとつは他者から触れられなくなる《不接の呪い》。《不蝕の呪い》の方は解けたのですが、《不接の呪い》の方はこの通り健在です。この呪いのおかげでデスピアは魔物との戦いで傷を受けたことがありません」
「そいつは、すごいな……」
「はい、基本的に彼女を戦地に放り投げるだけで勝手に敵が死んでいきますからね。覚醒状態なら呪いのテリトリーを1キロ近くまで広げられます」
「1キロ!? なんていうか無敵じゃないですか……」
つまりアレだ。超攻撃型のA丁フィールドみたいな感じだな。
「しかし過去には例外もいました」
「例外ですか?」
「雷帝です」
彼女の口から出てきた名前は、やはりと頷ける人物だった。
「戦ったんですか? 雷帝と? 彼女が?」
「戦闘ではありませんが勝負を一度だけ。あのときのデスピアはかなりやさぐれておりまして、街で偶然居合わせた雷帝に向かって『なにが勇者だ。お前など私よりもダンゼン弱いクセに威張るな。私に触れるものなら触ってみろ』と挑発したのです」
そう言ってマリナは肩をすくめてみせた。
「そ、それで?」
「もう赤子同然でしたね。あっさり触られていましたよ。雷帝は〝呪い〟の攻撃を受けながらも数十分間、気にすることなくデスピアの胸を揉み続けていました」
マリナがアハハと乾いた声で笑い、
「何やってんだあのクソジジイ!!」
あまりに破廉恥な身内の行為に、僕は叫ばずにはいられなかった。




