眠れぬ夜も
猛烈な怒りが見える目と、勢いよく振り下ろされる腕。
その手に握られている石が当たる——前に、大きな音にビクッとなって目が覚めた。
「……」
目を開けたままの状態でじっとしていると、パッと一瞬部屋が明るくなって、また大きな音が響く。
窓を叩く雨の音が激しい。
もぞもぞ起き上がり、手を伸ばしてランプの灯りを点けると、またゴロゴロと音が聞こえてきた。カーテンの隙間から弱い光が走る。
寝る前は降ってなかったのに、いつの間にか天気が大荒れになっていたようだ。
雷雨なんてこの世界に来てから初めてかもしれない。
起き上がって水をひと口飲んで、ランプを消してからまたベッドに潜り込んだけれど、ザーザーゴロゴロと煩いせいか中々眠気は戻ってこなかった。
目を瞑っていると、夢の映像がリプレイされてなんだか落ち着かない。
3回寝返りを打ったところで、私は枕を持って部屋を出ることにした。
端にある窓から雷光が入ると、廊下は何だかミステリー小説に出てきそうな雰囲気になった。ランプの光の揺れ、人の気配がしない屋敷、通じない電話。密室殺人が加わっても違和感なさそう。まあ電話は元々ないけども。
なんとなくソロソロ歩いて、廊下の突き当たりにまで辿り着く。豪華なドアの前に立って、私はノックを躊躇った。
よく考えたら、今何時なんだろう。
そこそこ寝た感じはするし、かといって外はまだ暗いから、間違いなく真夜中だ。人を訪ねていい時間帯じゃない。
昨日今日と、サラフさんは朝食しか一緒に食べられないほど忙しかったようだ。昨日は王城からの来客で私は部屋に閉じこもっていたし、今日はサラフさんがどこかに出掛けていたのだ。夕食のときにもまだ帰ってきてないとカイさんが言っていたので、遅くに帰ってきたのだろう。
そんな、そんな疲れてるサラフさんを夜中に起こしていいものだろうか。
しかも雷雨で眠れなくてとか幼稚園児レベルの理由で。
「……」
戻ろうかな。
でも眠れそうにないしな。
いっそ下で夜食でも作ろうかな。
フカフカ枕を抱えつつウロウロしていると、カチ、と音がして、それからひとりでに豪華なドアが開いた。
ドアの向こうは真っ暗。
幽霊現象ではない。サラフさんが開けてくれたのだろう。
「……お、お邪魔します……」
そっと入ると、ドアの近くにあるランプが静かに明るくなった。
暗かったということは、たぶんサラフさんは寝てたんだろう。どうやって私に気が付いたんだろうか。ていうか起こしてしまったごめんなさい。
なるべく音を立てないようにベッドに近付くと、サラフさんが目を閉じて横になっていた。薄明かりの中で、彫りの深い顔に濃く影が付いている。窓の外が光ると、金色の髪やまつ毛が光って神秘的だ。
胸がゆっくり上下してるので声を掛けるのを躊躇ったけれど、背後でドアの鍵が勝手にしまったのでやっぱり起きているようだ。
「あの、サラフさん。一緒に寝てもいいですか?」
サラフさんは目は開けなかったけれど、私に近い腕が動いてクイクイとベッドに招いてくれた。枕を置いて、掛け布団に潜り込む。あんまり邪魔してもよくないかと思って、端の方に入るとそのままじっとした。
大雨以外はやたらと静かだ。
よく考えたらここにも枕がいっぱいあるから持ってくる必要なかったし、この部屋に入った途端に雷聞こえなくなるし、ランプも消えたら何も見えなくなるし、サラフさんちょっと石鹸のいい匂いがするしで、私の眠気は仕事をサボったままだ。
じわじわと、衣擦れの音を立てないようにサラフさんに近付いていると、大きな手がいきなり動いて私を引き寄せてくれた。そしてついでに腕枕みたいな形になった。
「……あの、頭重くないですか?」
「重くねえ」
返事があった。ちょっと掠れている。
サラフさんも寝ていたようだ。起こしてしまって申し訳ない気持ちと、起きてくれて嬉しい気持ちが4割ずつ。残りの2割はサラフさんカッコイイのときめきである。
サラフさんと私は、ゆっくり関係を進めている最中だ。
サラフさんは付き合ってすぐの関係に抵抗はないようだけれど、初心者ゆえにビビりまくっている私に合わせてくれている。とはいえ部屋に2人でいると押しが強いので、寝る前に話せる余裕がある日でも私はほどほどのところで自分の部屋に帰るのが普通になっていた。
それなのに、自分の都合でノコノコやって来ている私の自分勝手さとは。そしてそれを受け入れてくれるサラフさんの心の広さとは。
惚れてしまうと思いつつ硬い腹筋に腕を回して抱きつくと、サラフさんの手が背中を撫でてくれた。怪しい動きではなく、幼児を寝かせる動きである。
「サラフさん」
「何だ」
「この世界に来てすぐのこと、しばらくはつらくて思い出したりしましたか?」
この世界にやってきた異世界人にしては、私は恵まれている方だ。
私を捕獲した人たちがなるべく高値で売るために時期を選んだおかげで、サラフさんたちのガサ入れが間に合った。地下牢生活はつらかったけど、同じように誘拐された人たちと励まし合えた。怖かったけど、痛いことはなかった。
サラフさんはそれよりも酷い環境を、しかも12歳のときに強いられたのだ。いくら強くても、つらかったに違いない。その前に生まれた国で起こったことも合わせたらもっと。
その時代のサラフさんを想像すると、自分のことみたいに胸が痛くなる。
「いや、別に」
「エッ……そ、そうなんですか」
何とも思ってなさそうな声が聞こえてきて、私はちょっと現実に戻った。
サラフさんって、もしかして生まれたときから鋼の心と肉体だったのかな。今と同じ心身で誕生したのかな。
「騒ぎが収まってから1年くらいは、寝る前にカイが部屋に押しかけてきやがったからな」
「カイさんが」
「この国の法典を毎日3章ずつ読み上げやがった」
「えぇ……」
傷を負った子供の枕元で、読み聞かせをする青年。そう想像すると心温まる光景だけれど、めちゃくちゃ分厚い本を持って堅苦しい文章をひたすら読み上げているカイさんとそれをベッドで睨んでいる12歳のサラフさんを想像すると、どう反応したらいいか戸惑う光景に変わってしまった。
「そ、それはその」
「王宮が平和だったころを思い出してそれなりに眠気を誘ったな」
「そうですか……」
王族の教育方針がスパルタすぎやしないかとか、カイさんも絵本という選択肢はなかったのかとか、色々思うところはあるけれど。つらい思いをしたサラフさんに寄り添ってくれる人がいて、つらさが和らいだならよかった。
叶うなら私もそこに参加したかったけど、少年なサラフさんと添い寝しながらカイさんの平坦な読み上げを聞いていたら、誰より早く寝落ちする自信がある。
今出会えてよかったのかもしれないなと思っていたら、サラフさんの手が私の頭を撫でた。
「忘れはしねえが、時間が経てば気にしなくなる時間も増える」
「……そうだと嬉しいです」
「ここの奴らは多かれ少なかれ同じ思いをしてる。持て余したときは誰でもいいから頼れ」
やっぱり私は、すごく恵まれている。
つらい思いをしても寄り添ってくれる誰かがいて、もうつらくないように戦える環境がある。私が誰かのつらいときに寄り添えるようになるのはいつかわからないけれど、サラフさんやこのお屋敷のみんなみたいに、誰かの助けになれるようになりたいと思った。
サラフさんに抱き着きながら、目が熱くなったので私はしばらくじっとしていた。
「サラフさん、好きです」
「知ってる。もう寝ろ」
「はい」
窓の外はまたゴロゴロと騒がしくなっていたけれど、私はゆっくりと眠ることができた。
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