レヴェの夜〜inspire.夢〜
この小説は、ドビュッシー作曲「夢」にインスパイアを受けて書いたものです。
さ迷い歩く、白い壁。どこまでも続く、悲しい川が足元を撫でる。
美女が、眼の前にふと、現れた。真っ白な影が、水面に移る。ぼんやりとした輪郭が、彼女の存在を映し出す。
美女は、小さなゴブレットを手に持ちながら、悲しげに微笑んだ。
中に入っている液体は、なんなのだろう。
「君は、ここの、人?」
僕は、なるべく自然に言葉をかけた。彼女は、少しだけ微笑んだ。
「じゃあ、ここがどこか分かる?迷っているんだ」
美女は、歪んだ奇妙な顔をした。その表情から、彼女が何を言いたいのかが、分からなかった。
僕は、少し困ったように笑った。どうしようもない状況だ。ここはどこだろう。
目が痛くなるような、白い世界。流れる川。この先には、何があるのだろうか。
ぎゅっと、心がつかまれた感覚を覚えて、僕は苦しくなった。悲しい何かが、心を捉えた。
ふと、美女は、僕を引っ張った。足が川に入った。冷たいのか、暖かいのか、分からなかった。
美女は、微笑んだ。その微笑に、僕は見覚えがあるような感覚に囚われた。
美女は、僕にゴブレットを差し出した。僕は、ゴブレットを覗き込んだ。
深紅の液体が、なみなみとその中に入っていた。
『 お 飲 み な さ い 。』
耳に聞こえた訳ではない。脳に直接響くような声が、そこにはあった。彼女は、イタズラっぽく微笑んだ。
僕は、ゴブレットの液体を一気に飲み干した。美女は、嬉しそうに川辺に座って、足を入れた。ピチャピチャと下のほうで、水が跳ねる。無邪気な表情の美女は、楽しそうに僕を眺めた。
ゴブレットの液体は、何の味もしなかった。何の感覚もなかった。
ただただ、何か液体を喉に入れただけ。それでも、僕の苦しい感覚は、すっと溶けていった。
「君・・・と僕は、会った事が、ある気が、するんだ」
僕は、そういいながら、ゴブレットを返した。美女は、首を振った。そして、手でゴブレットを指した。ゴブレットの中は、なみなみと銀色の液体があった。
「飲み干したはずだ・・・」
僕は、小さく呟いた。それでも、美女は微笑みを崩さず。液体を僕に、無言で勧めた。
僕は、逆らえなかった。それを、ゆっくり飲み干した。脳が、活性化されたように、目が覚める感覚をそこに覚えた。脳から、何かが溢れ出てきそうだ。
僕は、ゴブレットを返した。美女は、首を振った。そして、手でゴブレットを指した。ゴブレットの中は、なみなみと金色の液体があった。
「・・・君は、何か、出来るのか」
僕は、金色の液体が入ったゴブレットを手にしたまま、川の中で足をぶらぶらさせる美女に、尋ねた。美女は、楽しそうに微笑んだ。そして、笑い声のない笑いをした。
急に脳から何かが、あふれ出した。記憶が、目の前に、映像化されて流れる。川の様に、鮮明にすばやく。
「うっ・・・う、う」
僕は、頭を抱え込んで、川の中に倒れこんだ。頭が割れそうだ。彼女の白い足が、見えた。僕は、口に川の水が入り込んでいるのを感じた。けれども、ちっともそれは、苦しくなかった。それよりも、頭の方が苦しかった。記憶が、鮮明に蘇る。
そして、僕は、喘いだ。美女は、姿を変えていた。
「・・・君、だった、のか」
僕は、胸倉を掴みながら、下から彼女を見上げた。彼女は、楽しそうに、こちらを見下ろした。知っている顔が、そこにはあった。
「金色の水を最後まで飲めば、死ねたのにね。」
彼女は残念そうに微笑んだ。彼女は、しっかりと口を開けて、声を上げて、喋った。この声も、知っている。
「何で、今、さら・・・?」
僕の体は、まるで、川と同化してしまったかの様に、動かなかった。唯一顔だけ、川から出すことが出来た。なんて、僕は、滑稽な姿をしているのだろうか。
「今、だからだよ」
彼女は、むくれたような表情をして、楽しげに言った。僕は、恐怖で心が縮んだ。
「怖い?苦しい?・・・もう一度、その液体を飲めば、苦しくなくなるよ。」
ゴブレットは、川の中にあるにも関わらず、金色の液体は、川に混ざることなく、ゴブレットの中に、とどまっている。
「赤い液体はね、私の体から採ったの。」
僕は、唇をかみ締めた。あの思い出が、完全に蘇った。体が、震える。
「銀色の液体はね、私の記憶から採ったの。」
彼女は、歪んだ微笑をこちらに向けた。
「金色の液体は、私の感情から採ったの。早く飲んでよ?分かるよ。私と同じ気持ちがさ。」
「なん、なんだよ・・・」
僕は、恐怖に唇を震わせながら言った。ろれつが回らない。
彼女は、楽しそうに笑う。
「まだ、分からないんだ?全部飲み干す事で、私の痛みや苦しみが、分かる様になるんだよ。体、記憶、感情・・・あなたから、味わった苦痛が全てあなたに還る。」
僕は、恐怖と怒りが体で混ざり合うのを感じた。
川から、手を出した。彼女の胸倉を掴んで、こっちに引きずった。そして、彼女の唇に唇を合わせた。喰うようなキスをした。
狂気が 湧き 出す 。
「また、殴ってやろうかぁああああああ!!」
彼女は、歪んだ顔で、微笑んだ。
「また、繰り返すの?」
涙が、体にしみこんだ。
「夢・・・」
起きれば、そこはベットだった。
彼女は、去年、姿をくらましたじゃないか。
体の震えが止まらなかった。胸が苦しくなった。ボタンを開けようと、シャツに手をかけた。
シャツには、赤、銀、金と涙の雫が、点々としみこんでいた。
そして、僕は、涙した。
Thank you,Debussy!




