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病は君から  作者: 鵜狩三善
得たものと失くしたもの
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14.

 なんだかんだとばたついたけれど出立自体が早かったから、午前のうちに俺は法王府の駐留部隊に合流する事ができた。

 でも手早かったのはそこまでで、そこからがよろしくない。

 ラウィーニア書簡を渡したにも関わらず、繰り返しの問答とか着用してる法王府貸与武装の照合とか、あれやこれやの何重もの照会があって、結局森に入る許可をもらったのは太陽が天辺を過ぎてからである。

 そりゃまあ簡単なチェックで人を通しちゃまずいってのは分かる。迂闊に入り込んだそいつが新しい感染源になったりしたら、それこそ冗談事じゃ済まない。警戒厳重なのは仕方のないところではあるのだけども、意気込んでやって来た俺としては、ちょっぴり出鼻をくじかれた気分になったりもする。

 とまれそんな次第で、俺が森に踏み込む前に、ベースキャンプのあちこちから炊事の煙が立ち昇り始めていた。

 律儀に「お食事はどうされますか?」なんて打診もしてもらったのだけれど、手持ちがあるからと断って、乗ってきた馬の近くで一人昼食である。

 いやお誘い受けて混ざって食べる方が、コミュニケーション的には正解だろうとは思う。思うんだけど、一緒にメシ食いに行ったらそこで見せびらかすみたいに女の子の手作り弁当取り出すヤツとか、相当アレじゃないですか。

 そして勿論、タマちゃんの心尽くしを後に回すなんて選択肢は俺にない。

 篭手を外して手を拭ってからミニバスケットを開けると、中身は綺麗な三角形に切り揃えられたサンドイッチだった。どういう状況で食べるか不明だからと、ワンハンドで食べれる物をチョイスしてくれたのだろう。

 早速で、ビアソーセージ風の肉を挟んだそれにかぶりつく。

 折からの陽気で脂がとろりとパンにも染みて、一体感と満足感のある味わいだった。「今日のお昼に」って指定されたのはこの辺の計算もあっての事だったのだろうか。だのに一緒になってる葉物野菜にはしゃきしゃきの食感で、これは一体どういう仕業か。ううむタマちゃん恐るべし。

 塩気も騎乗で軽く汗掻いた後には程よくて、どれもうひとつ手を伸ばしたら、そちらは粒マスタードみたいな食感と辛味がぴりりと舌に来た。同じ具材に見えても、ひとつずつ味を変えてあるものらしい。手が込んでるなぁ。

 てな具合に堪能してたら、ぐももと馬が物欲しげに鳴いた。

 いやそんな目で見たって駄目だからな。お前にくれてやるタマちゃんの手料理はない。というかこれ食ったら共食いじゃないのか。

 ちなみにこいつは俺が戻るまで、ここで預かってもらう手はずである。ちゃんとご飯ももらえるはずだから、その時間まで我慢しなさい。



 さて。

 腹ごしらえを終えた俺は、あんまり期待してなさげな法王府の人たちのお座なりな声援を背に早速森に踏み込んだ。

 ……のだけれども。

 街道沿いからちょっと奥に進んだだけで、いきなり進行が難航した。

 まあ当然の事なのだけれど、道っぽいものが殆どないのだ。よって膝下から腰辺りにまで繁茂(はんも)した下生えをかき分けねばならず、歩きにくい事この上ない。

 おまけに地形のアップダウンが妙に多い。湿度高めの所為なのか、ところどころで窪地がガスっていて、これが霧の森の名の由来でもあるのだろう。

 更に高く伸びた木々の葉が陽光を遮って、辺り一面昼なお暗い。空の欠片も見えやしなくて、森の様相は鬱蒼(うっそう)と陰惨だ。

 お陰で俺は少し進むたびに手のひら魔法陣を起動して、自分と亜龍の位置を確認せねばならなかった。

 というかこれがなかったら、あっという間に迷子の出来上がりだったろう。安全確保の後に回収してもらう予定を立ててあるから帰りの不安もないけれど、もしそうでなかったらと思うとぞっとする。

 しかしですね、「霧の森はさして深くも広くもない。木々も(まば)らで、生き物の移動を邪魔しない」みたいな前情報があった気がするんだけど、これは一体どういう事でありましょうか。

 つい愚痴も出たが、でもちょっと考えたところでこの感覚の差は仕方なのないものだと気づいた。

 おそらくこっちの世界の平均的な旅人と俺とでは、踏破性能が根本的に異なるのだ。

 そもそも俺は、山登りやら森を散策やらの経験が少ない。皆無ではないけれど、それにしてもハイキングコースに沿って歩いたくらいである。

 要するにこの手の事に慣れがなくて、それが文字通り足を引っ張っているのだ。

 うーむ、おっちゃんに野営の仕方とかはレクチャーしてもらったんだけど、こいつはちょっと盲点だった。

 まあそんな醜態を晒しながらの行軍であるから、法王府謹製のインナーが大変にありがたかった。引っかき傷作りそうな木の枝とかそういうの、全部弾いてくれるのだ。

「あ、なんか触った」くらいの感触が実は結構太くて鋭い枝先のそれだったりして驚かされる事が多々あった。

 こちらは事前の説明通りに伸縮性や通気性もよくて、スポーツウェアとして用いたら大人気を博しそうだなんて思う。いやでも多分とんでもない額のお金がこれ一着にかかってるのだろうな。迂闊な発言をすると、またラウィーニアさんに叱られそうだ。


 そんなこんなでがさがさと亀の歩みを続け、日暮れには寝場所を確保して一夜を明かしてさて翌朝。

 セットした警報の魔符を回収してから、俺は入念なストレッチに励む羽目になった。疲労もあって眠りにすぐ落ちたけど、人生初の野宿の体験で体中がばっきばきである。布団のありがたさを思い知ったというか、根本的にひ弱な現代日本人を舐めるなよこんちくしょう。

 それからやっぱり符で(おこ)した火で、数個の芋餅的なものを炙る。

 バスケットの底で「こちらは明日の分」とのメモに包まれていたそれは、大体俺の握り拳サイズ。輪切りにしたじゃがいも風の根菜を片栗粉系の生地で丸めた中華まんちっくなひと品である。中には例の馬のチーズも封入されていて、こうして熱を通してから食べるともちもちほくほくの食感と乳製品の相性が抜群だったりする。

 でも残念ながら、これでタマちゃんお手製のブツはおしまい。ここからは保存食が頼りだ。

 そうして腹を満たした後は食休み。ぼけーっとしながら昨夜の事を反芻して、「俺ってばすげぇ情けないヤツだな」と一人じたばたしたりする。

 いや状況もあって睡眠が浅かった所為か、一晩で大量の夢を見た。

 シンシアとのんびり将棋に興じたり、タマちゃんに勉強を教えたり教わったり、ナナちゃんをからかって追い回されたり。

 そのどれもがあの館での平和この上ない情景で、でもってこの症状には覚えがある。こっちに来たばかりの頃、俺は毎日のように兄貴の、杏子の、おふくろの夢を見ていた。

 その時とそっくり同じ症状で、つまるところはホームシックだ。あれだけ気合を入れて出立したのに、一日も経たないうちにこの有様とか自分にびっくりである。

 でも、まあ。

 これはそれだけあの場所が居心地がいいって事なんだろうな。幸運だと思う。そんな人たちに出会えた事が。

 だからこそ、と両手で頬を叩いて気合いを入れ直す。

 俺は毒龍を打ち倒さなけりゃならない。

 病を振りまく存在を、アンデールに、俺の大切な人たちに近づけさせるわけにはいかない。

 何より亜龍が侍らす熱病は、ほぼ間違いなく俺の持ち込んだものだ。この世界で幸福な自分の未来を思いたいなら、それはきっと対峙しなければならないもののはずだった。

 病は俺から始まって、そうしてここに終着する。なら、始発の責任は取らなきゃな。

 尻を払って立ち上がり、肩を回してもう一度体を(ほぐ)すと道案内の魔法陣を起動。

 精緻な紋様の上に浮かんだ剣はくるくると三回転ほどした後、ある一点を指してぴたりと止まる。それから、30度ばかり切っ先を上にもたげた。


 ──近い。


 ぐんぐんと距離が近づいている。

 俺の接近と同じかそれ以上に早く、あちらからもこちらへ迫ってきているかのようだった。元々アンデールを目指す挙動をしていたとはいえ、まるで合わせたような動きが少しだけ不気味だ。

 けれど、好都合でもある。

 どうせ必ずやりあわねばならない相手なのだ。なら俺の消耗の少ないうちに遭遇できた方がいい。


 そんな具合に思い定めて進軍を開始し、その日の午後、俺はとうとうそれに出会った。

 最初に届いたのは潅木(かんぼく)を踏み砕く音だった。次いで、巨体の立てる地響きと荒々しい足音とが耳を打つ。

 暗くて深い水の底から、一直線に浮かび上がってくるように。

 木立を抜け、その亜龍はぐうっとその巨体を眼前に現した。

 大きいものには迫力がある。いや、少し違うか。大きくて動いているものには迫力がある。例えば静かに大人しく立ち尽くしてる5階建てのマンションと、猛スピードで向こうからやって来るダンプカーと。

 どちらにより強い威圧を感じるかと言えば、俺は断然後者だと思う。巨大なものの身動(みじろ)ぎに比例して付随する音が、振動が、内包する破壊力を如実に想像させるからだ。

 それでも俺は、咄嗟に背嚢(はいのう)を投げ捨て、盾を展開して身構える事ができた。

 動きが醸し出す圧力までは未経験だったけれど、亜龍の大きさ自体は幾度も頭に思い描いていた。決してこの体は(すく)んでいない。

 それに、俺はこいつを目掛けて驀地(まっしぐら)に進んできたのだ。この邂逅(かいこう)は望むところで、予想外でもなんでもなかった。


「貴様か」


 だから俺が一瞬呆然とした理由は、決して恐怖心からじゃない。

 鰐のように突き出した、長く牙を持つ顎。がしゅ、とそこから漏れる亜龍の吐気。

 ただの呼吸音としか思えないそれが、そのように翻訳されて聞こえたからだ。

 その“声”の響きが、その波長が、俺の記憶にあるものだったからだ。俺にとって忘れがたいものだったからだ。


「重畳だ」


 やはり錯覚ではなく、翻訳は続けて為される。

 これまでの実験によれば、翻訳さんが機能するのは人に類似した精神構造とある程度の言語体系を備えた相手に対してだけだった。例えばこっちの馬連中と、会話が成立した試しはない。

 つまるところそれは、この亜龍が人かそれに準じる意識を持った存在だという事を示唆(しさ)している。

 そして。


 ──失敗例のひとつとして挙げた人格転換。それこそが転移術の本来の形だった。

 ──精神を置換し肉体を奪う。アンデールの血統術はそういう術式だったんだ。


 シンシアから聞いた禁制術式の実態。捕縛を逃れて逃げ失せた魔術師。飛び地のように森の奥地で拡大していた病の感染。ただ一体生き残り、目的を抱くかのようにアンデールを目指す亜龍。

 いくつかの事柄が、稲妻のように頭の中で符合する。


「エイク・デュマ……!」


 有り得ない仮定に、けれど半ば以上の確信を込めて。

 唇は、その名を紡ぐ。

 それは死んだはずの男の名だった。

 佞言(ねいげん)でアンリを誑かし、恣意(しい)でシンシアを孤独に追い込み、そして俺をこちらに喚び落とした男の名だった。

 応答めいて亜龍は縦長の瞳孔をきゅうっと細め。

 そうして──多分、嗤笑(わら)った。

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