12.
翌朝。
朝食を終えた俺は部屋に戻ると、独り身支度を行った。
まず身に付けるのは、法王府からの借り物である革鎧だ。ナナちゃんが見立ててくれて以来愛用してるヤツよりも、ずっと着心地は柔らかい。
ゲーム的に言うならソフトレザーってとこなんだけども、防具っていう言葉から想像するより更に軽くて柔軟で、なんか普段着めいた感触すらある。というか実際、「服と同じ扱いでいいわよ」って言われた。脱がずにそのまま眠ってしまったっていいらしい。
であるのに防刃防矢防牙防爪と、各種のまじないが織り込み済みで高い防御性能を備えているのだとか。
その鎧の下のインナーも、長期行動用に複数の魔法素材を組み合わせ、保温性と通気性のどちらにも優れた大層いい品だとかで、やっぱり凄いぞ魔法文明。
続いて手に取ったのは刺突剣。
森の中というシチュエーションを考慮して長柄は避け、尚且つ亜龍の鱗に斬りつけるタイプの武器では効果が薄いだろうと推測された為、こうして突き刺すタイプの得物がセレクトされたって寸法である。
勿論相手はちょっと刺したくらいで死ぬような生き物じゃない。よってこれには対策が仕込まれている。要するに魔府なのだ、これも。誤爆を回避する為に日本語で設定された合言葉を唱えれば、刀身ごとドカンと爆裂する仕組みになっている。
当然ながら一回こっきりの武器だから、これで仕留めるか、最悪機動を殺ぐまでは行きたい。動きさえ止まれば、最悪予備の短剣でもなんとかなるという目算である。
そんなファイナルウェポンなのだけれどもひとつ難点があって、実はこれアンリが使ってたのとそっくりの形状なのだ。刺された俺としてはちょっぴり嫌な思い出が過ったりもする。だけどもまあ、贅沢を言えたご身分じゃあない。我慢我慢。
お次は金属製の篭手を、左腕に。
がっちりと前腕に固定するこれは、篭手と見せかけて盾だったりする。やはり単節詠唱で呪紋を起動させると、円形に白色透明の力場を発生させるのだ。透明なのは機動隊の盾と同じで視界を遮らない為であり、わずかに白色めいているのはどこまでが盾としての効果範囲かを認識させやすくする工夫だそうである。
こっちはなんというか、俺の中でツボだった。もう大ヒットだった。だってなんか妙に格好いいじゃないか。
ついついでオンオフを繰り返してにまついていたら、稼働確認役のラウィーニアさんにめっちゃ怒られた。こういうのにときめく男の子の気持ちを、少しは理解して欲しいと思う。
そして最後に忘れちゃいけないのが、手のひらサイズの円型の魔法陣だ。
複雑で綺麗な紋様を刻み込まれたこれを起動させると、中空にホログラムめいた剣の幻像が浮かぶ。これは亜龍に打ち込まれた追跡術式と連動していて、切っ先が指す方角が標的の居場所を示している。即ちショウダウンの場への招待状ってわけだ。
距離が近づけば近づくほど剣は上向きになってくって話だけれど、でもそこまでの精度はないらしい。当てにすぎて油断しないようにとの警告もされた。
ちなみにもっと当てになる──つまり精密に距離と位置とを捕捉できるのもあるのだけれど、それは大型過ぎて持ち運びにまるで向かないらしい。
あとは湧水石に火熾しの魔府、衣類その他最低限の必要雑貨を収めた背負い袋を担ぎ上げれば準備完了。しかし我が事ながら、凄そうな装備でびっしり身を固めていてちょっとびっくりした。
なんというかもう至れり尽くせりで、どっかのゲームの端金とひのきのぼうで龍退治に送り出される鉄砲玉とはえらい違いである。
だけどもこの装備群、非常にもったいないながら、亜龍討伐成功の暁にはまとめて焼き捨てる事になっている。
まあ街に被害が出ないようにって頑張って保菌者を撃退しようってのに、退治した当人がその病原菌を持って帰ってくるとか洒落にならないしな。
最後に一度だけ振り返って、部屋を見渡す。
不思議な郷愁が身を震わせた。
もうすっかり馴染んで居心地がよくなった、ここは俺の部屋だった。
それから館のエントランスホールに出ていくと、そこには皆が集合していた。シンシアやタマちゃん、ナナちゃんたちばかりでなく、朝早いってのに通いの人たちの顔までがある。彼らは俺の姿を認めると、揃って深く礼をした。
俺がこれから何しに行くのかを知って、それで駆けつけてくれたみたいだった。
というか昨日、毒龍アペーモシュに関する情報をアンデール全体に公布したはずである。同時に避難勧告も出たはずなのだけれども、なんだって皆居残ってるんだ。
いや皆さんさ、これから始まるのは高校生対羆の殴り合いだぜ。
俺なんぞは全部を託すには頼りなさすぎる相手だし、一応避難しといた方がいいんじゃなかろうか、となどと思うのだけれど、この妙な期待は多分、法王府の後押しがあるってのを公表してるからこそなんだろう。やっぱメジャーなバックがあると違うんですよ。
だから法王府の権威の付属品である俺としては、そんな敬意に満ち満ちたお辞儀なんてされちゃうと、「あ、ども」とか挙動不審になるばかりである。
「何をしている、ハギト」
へどもどと胡乱な体を晒していたら、呆れ顔のシンシアに手招きをされた。
そりゃ君は慣れてるだろうけどさ。注目集めるのにも見惚れられるのにも慣れまくりなんだろうけどさ。俺は駄目なんです、こういうの。
右手と右足が一緒に出そうになるのを辛うじて制して彼女のところへ近づくと、ぐいと卒業証書を入れる筒みたいなものを押しつけられた。
「まずは受け取っておけ」
「これは?」
「ラウィーニアの指示書だ。現地の法王府の人間に渡すといい。お前の便宜を十二分に取り計らうようにと記してある」
それからシンシアは少し可笑しそうにして、
「言っておくが、これは私が書かせたのではない。あれが自分から認めて託してきたのだ」
あれ。てっきり俺、彼女にはあんま好かれてないと思ったのだけれど、どうやら感情と行動は別らしい。まあシンシアと同じく、仕事のできるタイプっぽい雰囲気だったものな。
お礼を言おうと姿を探したのだけれども、あの特徴的な赤栗毛が見当たらない。
「ええっと、ご本人は?」
「あれなら部屋だ。『あたしは顔出さないからね。貴方を見送る義理なんて欠片もないんだから!』と言付けられている」
芸の細かい事に、伝言部分は声を作ったラウィーニアさんの物真似だった。似てる似てない以前に、いつもの落ち着いた声とのギャップがあって妙に可愛い。
こんな状況だってのに、「今度頼み込んでツンデレっぽい台詞を言ってもらおう」とか考えてしまった俺は大分病気が重篤だ。
「それじゃあとりあえず、ありがとうって伝えといてもらっていいかな?」
「当座のものは承ろう。だが後日、自分でも正式に告げてやるといい」
「それは勿論」
間髪入れない俺の回答に頷くと、シンシアは傍らに目をやった。視線を受けたタマちゃんが一歩前に進み出る。
「ハギトさん、あの」
「うん」
「お荷物になるかもですけど、これをどーぞ」
差し出されたのは小振りのバスケットだった。
「今日のお昼に召し上がってくださいな」
「ありがとう。楽しみにしておく」
受け取って、頭を下げた。
これは多分、昨日タマちゃんの料理がいいってって話をしたところから来た心尽くしだろう。いつもながらの気回しが本当に嬉しいし、ありがたい。というか疲れてるところに負担かけちゃってごめんなさい。
「それから、えと、えっと」
何か言おうとして、言葉にならなくて。
泣き出しそうに微笑むと、タマちゃんは手甲の上から俺の手をぎゅっと包む。
しばらくそうしてから、ぱっと逃げるように離れてシンシアの後ろに隠れてしまった。
「ご武運を、ニーロ卿」
それと入れ替わるようにして進み出たのはナナちゃんだ。
ただしするりと近寄るなりで、俺の足を踏んづけている。しかも軽く足を乗せるとかそういう可愛らしい類の仕業じゃなくて、親指の付け根を重心に片足立ちになって、全体重を乗っけてきてやがる。
頑丈なブーツの上からだから特に痛くはないんだけれど、いやでもナナちゃんとの距離がぐっと近くてむしろ周りの視線が痛いです。
「あの……ナナちゃん?」
「ふん、だ」
ついっと横を向かれてしまったので、俺はちょっと苦笑して、よしよしとその頭を撫でた。
「何? 何のつもり? 別に僕、拗ねてなんてないんだけど?」
「拗ねてる自覚があるから、そういう台詞が出るんだと思うぞ」
すると彼女は「うーっ」と唸って、
「ハギはそうやって僕の事、すぐ子供みたいに扱うのよくないと思う。タルマ様には、すぐデレっとするくせに!」
あ、うん。お言葉前向きに善処しますんで、こういう場所でそういう事を大声しないでいただきたい。ほら見ろ、皆苦笑してるじゃないか。
俺の困り顔と、それから周囲の雰囲気とで、ナナちゃんもすぐにしくじりを自覚したみたいだった。慌てて俺の足から飛び降りると、こほんと大きく咳払いをして、
「自分が伝えるべきは、これまででもう伝えきりました。何よりニーロ卿の修練を自分はよく存じています。ですからこれ以上の口舌は本来不要でしょう。ですがひとつ、ひとつだけ、取り消しておきたい言がありました。よろしいでしょうか」
今更体裁を取り繕っても遅いだろうにと思いつつ、「どうぞ」と頷くと、ナナちゃんは眦を強く決した。
「ニーロ卿は、自分の一番弟子ではありません」
そこかよ! それ違うのかよ!
最近わりと認めてもらってきてるかななんて自惚れてただけに、どっさり自信喪失である。
まあ教練中の娘子軍に、出来のいい子とかいるんだろうな。くそう、なんか妬ましいぞ。
「あれから色々考えたんだけど。色々考えたんだけどね。やっぱりハギは弟子なんかじゃなくて」
落ち込み気味の俺の耳に唇を寄せ、ナナちゃんは小さく囁く。
「僕の、ご主人様だもん」
無理気味に口角を吊り上げて、彼女は笑みを形作った。
「だから弟子ってだけよりもっとずっと、たくさんハギを信じてる」
言葉尻を震わせ俯いたその髪を、俺は指でもう一度梳く。
ナナちゃんはしばらくされるがままでいた後、ぐいと腕で目元を拭い、しゃんと背筋を伸ばした。いつもの毅然とした面持ちになると、
「ご武運を!」
芯の強さを秘めた声で、ナナちゃんはくるりと踵を返す。
そうして元の位置──お姫様の脇へと戻って控え、だからその背を追った俺の視線は、自然シンシアのそれと絡んだ。
「この、果報者め」
肩を抱いてタマちゃんをあやすようにしていた彼女は、若干の悋気を帯びた調子で紡ぐ。
タマちゃんをナナちゃん預けて数歩近づき、すっと腕を伸ばすと、そのしなやかな指で俺の額をぱちんと弾いた。
あ、う、いや俺、凄く他の子に手出ししちゃってる感じですよね。なんかその、えーと、ごめんなさい。
小さな痛みと一緒に罪悪感を噛み締めていたら、
「ハギト。それは悪龍を誅しに行く者の面持ちではないだろう?」
なんとも可笑しそうに言われてしまった。
「大体お前の造作は、元からして可愛らしい。意識して顰め面をしておけ。その方が威厳が出る」
あと「可愛らしい」って、それ男に対する褒め言葉じゃないから。断じてないから。
というか、むう。
どうにも手玉に取られている感じである。これはよくない。よろしくない。ひとつびしっと毅然と、言うべきを言っておかねばなるまいよ。
「シンシア」
「何だ?」
「ありがとう。あの時引き留めてくれて。それから、こうして舞台を整えてくれて」
何度目とも知れない彼女への感謝と一緒に、俺は深く頭を下げる。
「もし君がいなかったら。俺はきっと無謀に突っ込んで、無様に、無駄に死んでた。こうやって勝機が見えてるのは、心の底から君のお蔭だって思う。本当に、ありがとう」
すると彼女は、ふっと笑った。いつものように、不敵めいて。
「気にするな。これらはただの恩返しだ。お前こそが、先に私にしてくれたのだから」
それからシンシアは、真っ直ぐに俺を見た。
全部の嘘を見透かす瞳で、頭のてっぺんからつま先まで。入念に、丹念に。
「もう、大丈夫だな?」
「うん。もう大丈夫」
応じて俺が頷くと、シンシアもまた頷き返す。
それ以上は、特に必要なかった。
俺たちは互いに笑みを交わし、
「──いってきます」
独りでこっそり館を抜け出そうとしたあの夜とは異なって、今度のこの言葉には少しの不安もない。
必ず、ここへ帰る。
誓いの代わりに、胸を張ってそう告げられた。
そうしてシンシアの隣を過ぎて、館の扉を押し開ける。
わっと強い歓呼が俺の全身を打ったのは、その途端だった。




