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病は君から  作者: 鵜狩三善
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2.

「ところで、まだ名を聞いていなかったな」


 俺がひと皿目を半分ほど片付けた頃合で、姫様がそう切り出した。

 そういえばそうだった。姫様の名乗りは聞いたのに、食欲に流されて俺は自己紹介をしていなかった。こいつはとんだ失礼だ。


「すみません、申し遅れました。新納萩人、です」

「ニーロ・ハギト」


 姫様は口の中で転がすように繰り返す。

 新納がファミリーネームで、萩人がファーストネームだとか言った方がいいだろうか。翻訳さん任せで大丈夫だろうか。

 だが俺が余計な気回しをする前に、


「では、ハギトと呼ばせてもらおう」

「どうぞ、ご随意に」


 そのように御裁可(ごさいか)が下されたので付和雷同しておいた。

 ちなみに自分の物言いが、上ずって精一杯気張ったような具合になってる自覚はある。だって姫様、わりと周囲に緊張を強いるタイプなのだもの。

 多分本人は無意識なのだろうけども、近づきがたい特権階級的高嶺の花プレッシャーをがんがんに放射しているのだ。 


「既に名乗りはしたが、今一度改めようか。私はシンシア・アンデール。ここアンデールの、守護大名家の娘だ」


 ……シュゴダイミョウ。

 おいなんかいきなり和風になったぞ。

 だが俺の概念からすると、その単語が一番近いのであろう。翻訳さんの愛嬌(あいきょう)というか、名訳というかなのかもしれない。

 つまり姫様んちは結構な武力を有していて、更にどっかの栄誉機関から土地の所有を認められている家柄、という事になる。いやいいとこのお嬢さん的予測はしてたけど、そんなレベルじゃなかった。(まが)う事なく本物のお姫様である。


「偉い人だったんですね」


 とっさに口をついたのは、まるで小学生みたいな感想だった。我ながら情けない。権威に弱いぜ日本人。


「てっきりお前は承知なのだと思ったが」

「いやまったくの初耳です」

「そうなのか? だが先程私を『姫様』と呼んだろう」

「……」


 思い返したら一回呼んでた。声に出してた。

 俺、思考が駄目な感じにだだ漏れである。心の中で適当につけてたあだ名です、とは今更言えない。曖昧に口を濁しておく。


「えーと、姫様」

「うん?」


 ともかく話題を変えようと声を上げた。

 そしてもう後には引けない。居直って姫様呼びは継続だ。


「姫様はなんでまた、ここに単身乗り込んできたりしたんですか。一体何するつもりなんです?」


 兵隊さんに取り囲まれて、これはもう駄目だぶっ殺されるなと予想したら交渉役が出てきた。しかも妙に厚意的。その上相手は大変偉い人だった。

 こうなると、流石に理由と目的とが気になる。


「性急だな」


 だが姫様は首を横に振った。


「こちらにも諸事情がある。踏まえてもらってからでなければ、一口に伝えるのは難しい。それに会食中に重い話では、喉の通りも悪かろう? それよりも我々はもう少し、お互いについて知るべきだと思う。ただ咀嚼(そしゃく)の為だけに口があるわけではない。少し話でもしないか、ハギト」


 言って、姫様は卓の上に腕を乗せこちらに身を乗り出した。

「あなたに興味と関心がありますよ」というボディランゲージなのだろうけれど、その所作でついまたチラ見してしまった。

 いや姫様のドレス、かなり胸元を強調した作りなのだ。ご本人のスタイルの良さと相乗効果で、破壊力が凄い事になっている。

 俺だって青少年なのだから、これはガード不能技である。仕方がない反応でどうしようもないリアクションだ。きっと無罪に違いない。


「いきなり漠然(ばくぜん)を言われても困るか。文化風俗が違うのだ、趣味嗜好について語っても不理解のままに終わるかもしれない」


 駄目な感じの俺の沈黙を、姫様は話題探しの為のものと解釈してくれたようだった。ちょっと心が痛む。


「見たところお互い手足がふたつずつで頭がひとつ。相似にして酷似の形態であるようだ。するとお前の世界でも、木の股から人が生まれてくるわけではないのだろう。であれば、家族の話などはどうかな?」

「うーん……俺んちの話なんて面白くもなんともないと思いますけど。食事時がぎゃあぎゃあうるさいくらいで、他はごく普通の家庭ですし」


 おふくろとか兄貴とか杏子とか、個々のタレントに尖った部分はあるけども。でもアベレージで見れば多分、新納家は何の変哲もない一家であるはずだ。


「いや、興味があるな。私は私の家しか知らない。よければ語ってもらえないか」

「じゃあ、とりあえずで話しますけど」


 言い置いて、俺は思い返す。


 

 新納家は四人家族である。おふくろと兄貴と俺と杏子。

 おふくろについては姫様には割愛。身内の恥はあんまり(さら)したくない。

 というわけで兄貴。特徴としてはガタイがいい。上背(うわぜい)は180を越えている。しかも鍛えてて滅茶苦茶に運動神経がいい。

 更にその上で頭も切れる。これは勉強ができる、テストでいい点が取れるという意味じゃなく、なんというか知識の使い方が上手いのだな。そしてとどめに面倒見のいい親分肌ときたもんだ。

 弟からすると、もうげんなりするような存在である。


 でもって妹。杏子はおふくろに似て眉目秀麗である。家族から見ても手放しの美少女。一度本気のスカウトが押しかけて来た事がある。運動は中の中で平均的だが、色の白いは七難隠すと言うし、そこは取り立てて問題にするところではない。

 そして兄貴とは別の意味、つまりテストの点的な意味でで学業優秀。

 お兄ちゃんとしては自慢の妹である。


 と、こんな具合に分かりやすく上下に文武が揃ってしまっているわけで。そして俺は顔も頭も平均点で、目立った長所も特にないわけで。

 するとこの二人に挟まれた俺は、ちょっとアレな感じの扱いになる。

 つまり「新納さんちの地味な子、残念な子」。まあ兄貴も杏子も実際大したものだから、そういう扱いもむべなるかな、である。

 でもってそんな俺が家族からどう思われているかというと、


「ハギが結婚するまで結婚はしない」


 これは兄貴。いやそれ逆だろ。下が上にする配慮だろ。


「ハギ兄が結婚したら諦める」


 こっちは杏子。お前は何を言ってるんだ。


「あんたはねぇ、上と下の平凡をごっそり吸い取っちゃったわよねぇ」


 とどめは実の母。いやあんたホントに人の親か。フォローしろよ、フォロー。


「ハギ兄、なんかごめんね?」


 真面目に謝るんじゃありません。


「ハギぃ、なんかごめんねぇ」


 大男が(しな)を作って猫なで声で擦り寄るな。むさいうざい暑苦しい。しっしっ。

 まあ思うところががないわけではないのだが、こんな兄と妹を憎めるわけもなく。

 仕方がなくこれはあんたの遺伝かと睨んでみたりもしたのだが、写真の父はあっけらかんと笑うばかりで勿論答えない。


「あー、でもハギの笑い方はお父さん譲りかもねぇ。一級品だったのよ、お父さんの笑顔。名前と性格は地味だったけど、お母さんそこに惚れたんだから。名前と性格は地味だったけど」


 どこまで言うんだおふくろ。どこまで言われるんだ親父。

 ちなみに親父の名前は耕一である。

 ……ああ、うん。確かに地味。



 ほんの数日前までの日常は、今やひどく遠く懐かしく感じられるものだった。

 そして自分でも驚いた事に、語り終えたら俺、ちょっと泣きそうになってた。

 姫様はテーブルの上の俺の手に、そっと自分の手のひらを重ねて、しばらくそのままでいてくれた。


「ハギト」


 そうして俺が落ち着いたのを見計らって、小さく呼ぶ。

 冷たいような響きは変わらないのに、声音は随分と優しく聞こえた。


「ひとつ、訊いてもいいだろうか」

「なんでしょう?」

「お前は、」


 しばし言いにくそうにした後、姫様は言葉を押し出す。


「お前は、その、兄妹に嫉妬や隔意を覚えたりはしなかったのか?」

「……。全然なかった、と言えば嘘です」


 例えば俺が陸上部に入ったのも、ぶっちゃけ兄貴の影響である。

 それ以外にもあちこちで、ちょくちょくと差す兄貴の影と張り合おうとしていた。

 

「でも羨ましいばっかりじゃなくて、兄貴は俺にとって憧れの対象でもあったんで」


 俺にとってあの人は、目の前に実在するヒーローみたいなものだった。目の上の大きなたんこぶで、邪魔で羨ましくて仕方ない。それでも背中を追いかけずにいられない。そんな存在だった。

 一生涯誰にも話さないだろうと思っていたその感慨は、この場では不思議と軽く口をついて出た。本当なら絶対に出会わないはずの、一切のしがらみのない相手にだから、こうして言えてしまえるのかもしれなかった。


「あと妹の方はですね、あれです。無条件に可愛いので無条件に愛でます。上が下を可愛がるのは当然です」

(むつ)まじいな」


 剽げ(ひょう)て言ったら、姫様もくすりと笑った。


「お前の兄は、大人になろうと努力して大人になった人間なのだろう。きっと兄の方も、お前が羨ましくて妬ましくて、そして大好きだったと思う」

「分かるもんなんですか?」


 皮肉ではなく返すと姫様は力強く頷いて、「上が下を可愛がるのは当然だ」と言い切った。そして、それから表情を(かげ)らせた。


「尚更詫びなければならないな。そんな家族から、私たちはお前を引き離した」

「え、あ、いや、姫様が俺を喚んだわけじゃないんだし。そこは気にしないでください」


 すると姫様はまた笑って、手を離すと背筋を伸ばした。今度の笑みは、どこか寂しそうだった。

 憂えるような瞳で、ひとつゆっくりと瞬き(まばた)をする。それから俺ではない、遠くの誰かを見るようにした。


「最終的に私は、お前と信頼関係を築きたいと考えている。ならばお前には私の事を知っておいてもらうべきだろう。今度は私の話を、聞いてもらえるか」


 こちらも居住(いず)まいを正して頷くと、姫様も頷いて言葉を継ぐ。


「先も告げたが、私はこの土地の大名家の長女だ。父母の他には弟がひとりの家族だったが、母は弟を産んですぐに、父は少し前に逝去(せいきょ)した。私に家の継承権はないから、アンデールを継ぐのは弟になるだろうな」


 あれ。とってもできる子っぽい印象なのに、姫様は御家(おいえ)を継げないのか。


「ひょっとして女の子だからとか、そういう?」

「いや。お前の世界ではある事なのかもしれないが、こちらでそれは理由にならない。私に継承権がないのは、私が子を成せない体だからだ」


 大名家のお世継ぎイメージで口にしたら、さらっと重たい返答をされてしまった。

 なんでも、こちらには見透かしという魔法があるのだという。法王府なる組織所属の魔術師だけが使用を許された術で、それによって対象とした人間の可能性が見えるらしい。

 おそらくゲームのステータス画面をイメージするのが近いのだろう。能力値とか成長率とかレベルアップの上限とか、そういうのまで含めた全部の情報が開示される感じなのじゃないかと思われる。

 それによって姫様の魔法的資質の高さと、そして体の事が明らかになったのだそうだ。


「勿論術者の力量と経験によって、何をどこまで見透かせるかは変わってくる。一人の見透かしは絶対ではないから、何人もに見てもらうのが普通だ。ただどれだけ調べても、私の結果は変わらなかった。魔術の才は血の流れに乗る。特にその血に独自の資質を伝える我ら領家(りょうけ)にとっては、優秀な才覚を備えた子供を残す事こそが最優先。だからその点で、行き止まりの私は駄目なのだ」


 その魔法によって、こちらの人たちは自分の才能に一番活かせる道を堅実に選べるわけだ。正直に言うと、そういう具合に自分のデータを見られたら、そしたら進路選択とか楽だろうなと思った経験が俺にはある。

 でも姫様の例を出すまでもなく自分の全てが詳ら(つまび)かになってしまうというのは、苦い出来事であるのかもしれない。


「でも勘違いはしないで欲しい。私がそれで恨みや妬みを抱えたりという事は一切ない。幸い弟は子孫を残せる体であったし、そもそも雌鶏(めんどり)鳴けば家滅ぶとの言いもある。だから私は表には立たぬようにしてきたし、これからもそのつもりだ。もし必要とされたなら助力を惜しみはしないが、弟とその周りの者たちだけで、おおよそ上手く(かじ)を取っていけるはずだと信じている」


 さらりと執着なく言い捨てて、しかしそれから姫様は、またしても沈んだ面持ちで遠くを見るようにした。


「まあそういった家柄なのだ。血統が最優先で、家族間の情は薄い。領家の生まれの母に、父はあてがわれたわけだ。だから、と言うべきかな。父は現実に生きていない人だった。母の婿にと望まれるほどの才気を持ちながら、何にも興味がないようだった。いつもここでないどこかを夢見ているような人間だった。ここで生きていない人間だったよ」


 姫様は、そこで小さく息を吐いた。

 そっと紡がれた言葉は、悪口のようでいてその実ひどく悲しげだった。


「自分の足元を見ないという点で、困った事に弟は父に似ている。決して悪い子ではないのだが、な。そしてどうも屈託(くったく)を抱かせてしまったようで、私を好いていないのだ。幾度も友好を図ったのだが、どうも駄目らしい。父は私を家族と思っていなかったのかもしれない。そして母もそれでいいと考えていた節がある。弟については今述べた通りだ。お前は家族の賑やかな食卓を当たり前のように言ったけれど、私にとってはそうではなかった」


 まるでなんでもないような顔で、まるでなんでもない事のように姫様は言う。

 その様は深い湖面のように穏やかで、だからその分、心の内が波立っているのだと知れた。

 ……あ、これって何か俺がアクションすべきなのだろうか。

 思ったが、しかし先ほどとは違って、姫様の手はもうその膝の上に戻っている。だいたい卓上に残っていたとしたって、女の子の手を気軽に握るとか俺には無理。無理無理無理。ハードルが高過ぎて、もう(くぐ)るしかないレベル。

 俺がただおたついているうちに、姫様は独力で心を立て直したようだった。

 もう大丈夫だという(しら)せめいて、あの不敵な笑みを浮かべて見せる。うわ、俺超役に立ってない。


「すまない。どうも、意図せず重い話になってしまったな」


 首を振ってから姫様は、冷えたシチューにちぎったパンをどっぷり()けた。

 一度思う存分(ひた)してみたかったのだ。茶目っ気めかしてそう言って、静かにまた微笑んだ。

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