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病は君から  作者: 鵜狩三善
ひだまりの日々
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4.

 結局、そのままその日の授業は取りやめになった。


「姫さまにはする側でしたから、今度はされる側になってみるのはどうでしょーか?」


 なんて恥じらい半分で膝枕のお誘いまでされちゃって、いやもうあの雰囲気でお勉強とか無理筋もいいところである。正直魔性のお姉さんオーラに(たぶら)かされて堕落する寸前だったけど、どうにか振り切ってきた。

 ヘタレ野郎と呼ばば呼べ。なんでだか一度でもタマちゃんに甘えたら、後は際限なく甘え続けて甘やかされ続けて駄目人間街道まっしぐらな気がしてならないのだ。

 でもまだ右手には、タマちゃんの髪のやわらかさとぼんやりとした温度が残っていたりして。

 俺も男の子であるから、ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ、「勿体無い事したなー」という気持ちがなくもない。

 しかし姫様を抱きしめたり膝枕したり、タマちゃんをいい子いい子したりと、最近は女の子との直接接触がやたらに多いように思う。そのうち俺、(ばち)が当たるんじゃなかろうか。

 

 とまれそんなこんなで時間のできた俺が何をしてるかと言えば、それはおそらくどっかでトレーニング中のナナちゃんの捜索だ。

 へそを曲げたままっぽい彼女を見つけて謝って、明日までにご機嫌を直してもらおうって寸法である。決して「タマちゃんに翻弄されてしまったからナナちゃんいじってバランスを取ろう!」みたいな思考ではない。

 いや流石に俺にだって、


「姫様とタマちゃん、二人ともの頭を撫でたけど、どっちにも怒られなかったぞ」


 みたいな発言をナナちゃんにしようものなら、口を利いてくれなくなるどころかぶっ飛ばされるであろう事くらいは想像がつく。

 なんだかんだで結構長くタマちゃんとは駄弁っていたので、日は赤色を増して夕暮れに差し掛かっている。落ちる影は色濃くて、どうにも人探しには適さない。 

 それでも心当たりをうろつくうちに、ようやく厩舎のところで何かしているナナちゃんらしき人影が目に入った。


「おーい、ナナちゃーん」


 遠間から呼びかけつつ手を振った途端、ナナちゃんの動きがびくっと止まった。同時に「キャー!」と複数の黄色い声が厩舎の陰から上がる。あ、いかん。てっきり独りだと思ったのに、お連れさんがいたらしい。

 続けて数名がぱたぱたと、俺が見える位置にまで駆け出しきて、その辺りで状況に見当がついた。

 多分あれ、話に聞いてた娘子軍の子たちだ。昨今の姫様人気で入隊希望者が多くて人数を絞るのが大変だ、みたいな話を聞いた記憶がある。

 おそらくだけどもナナちゃんは、その子らの指導中だったのだ。選別も兼ねて、いつもの生真面目で堅物な厳しいキャラを作っていたのだな。実力はさておき彼女は年若いわけで、最初にびしっとした印象を与えておく事で円滑になるものもあるのだろう。

 そこへ「ナナちゃん」なんて可愛く呼びかけてしまったら、そりゃもう台無しであろう。これはすまない事をした。だがしかし、犬娘(わんこ)のクセに猫をかぶるとは如何なものであろうか。

 とかなんとか思いつつ、一言も発さずに俺はその場をダッシュで逃げた。

 だってあの子、絶対怒ってるに決まってるし。



 ちなみに俺がナナちゃんに襟首引っ捕まえられるまで、それからほんの数分しかかからなかった。とりあえずで正座させられてびしばし叱られました。

 にしても追いつくのが早すぎやしませんか。


「先回りしたの。ハギの逃げる先は大体決まってるからね」


 え、マジで? 自分じゃまるで意識してなかったけど、そういう癖ってあるものなのか。

 というかパターン化されるくらいナナちゃんに追っかけ回されてる事自体を深く反省すべきかも知れない。


「あー、えーと、娘子軍の子たちは?」

「もう帰したよ」

「それじゃあその、ナナちゃん怒ってる?」

「怒ってないと思う?」


 ですよねー。

 ナナちゃんは眉根を押し揉みながら、


「あのさあ。ハギ、タルマ様に本見せてもらわなかった?」

「『星の騎士と月の姫君』?」

「そう、それ。あれの所為でハギってばやたらと人気なんだよね。格好いいとかシンシア様を救ったとか真の騎士だとか、色々と誤解されてる」


 あっさりさっくり誤解って言い切ったぞこの子。相変わらず容赦がない。

 まあ実際その通りだし、現実の俺を見れば幻滅する事請け合いなんだけどさ。


「だからハギはあの子達がいる時は出てくるの禁止ね、禁止」

「へーい」


 まあアクシデントで鉢合わせする可能性ってのは否定しきれない。そこらの不確定要素を考慮して、「前向きに善処します」みたいな空気の返答をして、俺は膝を払って立ち上がる。


「ところでさ、ハギはさ」


 生真面目なナナちゃんは若干鼻白んだ様子をしたけれど、すぐにいつもの事だと見切りをつけたようだった。声を落として訊いてくる。


「女の子にああやって騒がれるの、好き?」

「うーん、好き嫌いのその前に、自分の事じゃないような感じがあるかな」


 ぶっちゃけてしまえばさっきのナナちゃんの「誤解」って言葉の通りだ。彼女らの好意やら敬意やらは、正しく俺を向いていない。明後日の方向の、虚像目掛けて放たれている。

 なんで俺としてはその様を遠くから見守るばかりだ。

 ひょっとしたら兄貴や杏子もこんな気持ちで、自分を持ち上げて盛り上がる連中を眺めていたのかもしれない。そりゃまあこれは、ちょっと冷めたような対応にもなるよな。


「そうだよね!」


 俺が応じたその途端、ナナちゃんは両の拳を胸の前でぐっと握って身を乗り出した。「我が意を得たり」と全身で言わんばかりである。


「ハギはごくごく普通の男の子でさ。それなのに怖い事や嫌な事から逃げないで勇気出して立ち向かって、できる限りの知恵を絞って乗り越えようとするところがいいのにさ。なのにあの本みたいに『最初から凄い力を持ってて何でもできます』みたいな描き方とかよくないと思うし、それに乗っかってきゃあきゃあ騒ぐなんてどうかなだよね。本物のハギの事、まるで見てないみたいで嫌だよ」


 うっわ、耳が痛ぇ。

 ナナちゃんの言うまったくそのままを姫様や兄貴にしてきちまってた俺である。身の置き場がなくなるような心地だった。

 情報を統合して推測してくる姫様やタマちゃんとは違って、ナナちゃんてばずばっと肝心要の核心だけを射抜いてくる子だなあ。


「ち、違うから! いいって言ったのはあくまで一般的にはカッコよく見えるかなって話であって、僕がそう思ってるとかそういう事じゃないから。全然ないから。誤解しないでよね!」


 俺の敬服の眼差しをどう受け取ったのか、ナナちゃんは慌てたように言い募る。


「まあでもさ。一般論でもなんでもさ。ナナちゃんみたいに本物の俺の事をちゃんと見て、知っててくれる人がいるってのは、すっげぇありがたい事だと思うよ。サンキューな」

「……もー。また平気でそういう事言うんだから……」


 ありがたく感じたの事実だし、今回は誠心誠意でお礼を言ったつもりだったのだけれど。ナナちゃんは不自然にたじろいで、そしてそっぽを向いてしまった。

 まあなんだか知らんけど、気勢が()がれたならチャンスである。


「あとナナちゃん、昼間はごめんな」

「え?」

「ほら、姫様と俺のやり取りの件。あれって爪弾(つまはじ)きの仲間外れにされたみたいで不愉快だったよな。ごめんなさい」


 頭を下げたら、ナナちゃんの爪先が更にたじたじと一歩下がった。


「あ、あれはいいよ。もういいんだよ。僕が勝手に羨ましがって、シンシア様には敵わないなって悔しくて、それで拗ねちゃっただけだし。僕の方こそ、ごめん」


 けれど彼女はそこで踏みとどまって、あちらから手を差し出してきた。

 頷いてその手を取って、仲直りの握手の成立である。ナナちゃんはこの辺り、さっぱりしてるので失言の多い俺としてはとても助かる。

 

「じゃあこれで仲直りって事で、ハギ、ちょっと付き合ってくれる?」




 改まってお願いされたので一体どんな難題をふっかけられるのかと思ったら、ナナちゃんに頼まれたのは俺が教えた整理運動のおさらいだった。娘子軍の基礎トレーニングに取り入れたるつもりでいるらしい。


「ハギに聞くまで意識してなかったけど、こうやって体を解しておくのって効果があるし大事だなって思って。だからしっかり覚えておきたいんだ」


 なんて言われれば、役に立ったようで俺も嬉しい。

 当然ながら協力に否やはなくて、もう夜になりかかった庭の片隅で、俺たちは屈伸伸脚前後屈と準備運動を開始する。以前から繰り返しやっている動きだけに、おさらいしたいと言いつつも、ナナちゃんはしっかり流れを覚えているようだった。


「そういえばこうして二人だけでするのって、久しぶりな気かも」

「あー、そうだな。ちょい前からおっちゃんらが混ざってたし、最近はナナちゃん大忙しだし」


 体側、上体回旋、背伸びに跳躍深呼吸。そこまで終えたらストレッチングへと移行。ふくらはぎから太腿(ふともも)の前後、そして内側を伸ばしていく。


「ハギには本当に感謝しなきゃだよね」

「んん?」

「ハギが来るまで、僕は独りだったんだよ。そりゃシンシア様は良くしてくださるけど、やっぱりお姫様だし。だからずっとずっと独りだった」


 肘、上腕、手首。そこが過ぎたら体幹に移って腰、背、首。


「でもハギが来てから、ハギと仲良くなってから、そうじゃなくなった。おじさんたちとも親しくなって、それに最近はタルマ様ともお喋りするようになったんだ」


 へぇ。

 前者は完全に俺の手引きだけども、後者は素直に意外だった。

 タマちゃんもナナちゃんも二人とも人見知りっぽいのにいつの間に、ってな感じだ。

 ああでもそういえば、さっきタマちゃんが「ナナさん」なんて呼んでたっけ。あれはこういう事だったのだな。


「ちなみにタルマ様との話題はね、主にハギの悪口だよ」


 おい。おいこらなんだそれ。

 まあそんな具合に和やかに始まった整理体操であったけれども、俺はひとつ失念していたのだ。

 何をかって、革鎧を外して平服で柔軟をするナナちゃんは青少年にとって目の毒だって事実をである。

 例えば開脚前屈。

 ぺたんと上体を折り曲げたナナちゃんの豊かな女の子の部分が、地面とおしくらまんじゅうしていたりする。なんていうか、その、なんとも言えない光景だった。


「? 何?」


 目のやり場に困るなあ。というかあんまり見ちゃいかんよなあ。

 などと思いつつ、ついついでチラ見していたら察知されてしまった。


「い、いや、ナナちゃんてば体柔らかいなと思って」


 慌てて誤魔化したらナナちゃんは小さく笑って片手をつく。そこを支点に「よっ」と小さく跳ねて立ち上がり、


「ハギだって柔らかいじゃん。うりうり」


 同じく前屈していた俺の背中をぐいぐいと体重をかけて押し、それから何かを思いついたように、唐突にその動きを止めた。


「でも、ハギの言うのも確かかもね」


 俺が肩ごしに振り返る、その前に。

 言葉と一緒に後ろから、彼女の両腕が首に絡んだ。押し潰された俺に覆いかぶさる格好で、ナナちゃんがぎゅっと密着してくる。


「──僕の体、やわらかいでしょ」


 そうして、耳元で囁かれた。

 いやもうそりゃやわらかいですよ。やわらかいのも当然ですよ。

 だってさっきまで地面で変形してたふくらみが、今度は俺の背中でこう、ふにゅっと。ふにゃっと。


「……って、アホかああああああああ!」


 地べたを転がってナナちゃんから逃げて、それから起き上がって立ち上がって更に走って逃げた。屋敷の壁にぶつかるまで逃げた。

 全力疾走の後みたいに心臓がばっくんばっくんいってた。

 いきなり何しでかしやがりますか、この子は。男心を弄ぶのはやめていただきたい。俺はナナちゃんをそんなふうに育てた覚えは断じてありませんですkことよ。


「だーかーらー! 女の子がみだりにそういう真似するんじゃありません!」

「で、でもハギは僕の胸、好きなんでしょ!?」


 壁に背中を貼り付けて喚いたら、負けじとナナちゃんも声を張り上げた。いやどういう状況だこれは。


「僕だって、僕の事ハギに見て欲しいんだもん。それにシンシア様がそうしろって……あ」


 おい。今なんか聞き捨てならない発言が飛び出した気がするぞ?


「ナナちゃん」

「なし。なしなし、今のなしっ!」

「ナーナーちゃーん」

「な、何かな」

「その話もうちょっと詳しく」

「……その話ってどの話? 僕、ちょっと分かんないかも」


 しらばっくれよって、小娘が。


「分かった。じゃあ直接姫様に訊いてくる」

「待って、まってー! それじゃあ僕がバラしたってなっちゃうから! 怒られちゃうから!」


 踵を返して見せたら、全力で背中にタックルされた。今度はやわらかいというよりも正直痛い。


「じゃあ、白状する?」


 腰にすがりつくナナちゃんとじとーっと見下ろしてやると、「うう……」と小さく呻いて、


「あのね、シンシア様がね。『私に譲る気はなくなった。だから後悔のないようにしろ。私もそうする』って、タルマ様と僕に仰られたんだよ。『どういう意味だ』なんて訊かないでね? ハギはいっつも自分に自信がないみたいだけど、でもシンシア様にタルマ様、それから僕に限っては、それって勘違いじゃないよ。本当はハギだって分かってるんでしょ? この、幸せ者」


 まあその。

 ナナちゃんはちょっと真意が掴みにくくて、タマちゃんは意味深かつ含みがあって、ただし時々単刀直入って感じなのだけれども。

 姫様に至っては真正面から真っ直ぐにぐいぐい来るから、そりゃもう勘違いのしようもなくて。

 でも。でも、俺は。


「だけどハギってさ、僕なんかよりもずっと人の気持ちに敏感でしょ? それなのにそういう素振りなのって、言い出せない何かを抱え込んでるんだよね。ハギは見栄っ張りだから」

「……」

「僕は疎いからお二人みたいに遠回しはできないけど、でもさ言ってくれればきっと力になるよ。それは覚えておいてね」

「ん」


 俺は短く返すしかできない。

 姫様やタマちゃんのみならず、ナナちゃんにまで見抜かれてるとは。いやナナちゃんを特に侮ってたつもりはないのだけども、なんだか一太刀に斬り捨てられたみたいな気分だった。

 そんなしょぼくれた俺の背中を思い切りばしっと叩いて、


「それじゃ、また明日」


 全部引っ(くる)めて受け止める強さで、明日を信じる強さでナナちゃんは言う。そうして、「シンシア様には今の事、絶対内緒だからね」と念押しをして駆けていった。

 その背が、夜の闇に溶けるまで見送って。

 俺はなんとなくで空を眺めた。

 生憎と雲が多くて、三色団子の月の他には星も見えない。

 例の物語の騎士は、どんな結末を迎えたのだろう。故郷の星に帰ったのか。それとも。

 そんな他愛のない事が、どうにもひどく気になった。

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